この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

靴紐が解ける謎が少しだけ解ける。

2011-11-15 23:30:10 | 日常
 少し前の記事で、靴の紐が、なぜか右の方だけ解ける(ほどける)、というようなことを書きました。
 同じ靴を履き、同じ靴紐を、同じように結んでいるのに、なぜ右側だけがすぐに緩くなって解けてしまうのか、すごく謎だったのです。

 右側と左側で歩き方が違うからだ、と言ってくれた友人がいたのですが、この説にも正直頷けませんでした。
 だって、右側の靴の紐だけが極端に緩くなるほど、左右の歩き方が違うようには思えなかったので。

 それで、今日もまた右の靴の紐が緩くなって、ふと思いついたことがありました。
 (蝶結びの)結び方をいつもとは変えてみよう、と。
 通常、自分は蝶結びをする際、最初に右の紐を上に、左の紐を下に交差させ、両方の紐をキュッと引っ張ってから蝶の形に結びます。

 これを今日は右の紐を下に、左の紐を上にして、靴紐を蝶結びにしたのです。
 すると!
 いつもに比べ、格段に右側の靴紐が解けなくなりました。

 なぜ右の靴の紐と左の靴の紐を同じように結ぶと右側だけ解けやすいのか、言い換えると、どういった理屈で靴紐が解けるのか、それは未だにまったくわかりませんが、それでも少しだけ謎が解けて、少しだけスッキリしました。

 世の中には謎が充ちています。
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臨床心理士の方から被害妄想の持ち主と言われる。

2011-11-14 22:12:41 | 戯言
 ブログのコメント欄で、臨床心理士の方から、被害妄想の持ち主だと言われました。
 しかも、久しくお目にかかったことがないぐらい強度の、だそうです。
 
 恥ずかしながら精神的に病んでるという自覚はあるので、「あなたは精神が病んでますね」と言われたら(言われたくはないけど)、「えぇ、まぁ確かにそうですね」と否定はしませんが、「あなたは強度の被害妄想ですね」と言われても(自覚がないので)「え?」と思ってしまいます。

 被害妄想って文字通り、特定の誰かから危害を加えられるんじゃないかと妄想を抱くこと、ですよね。
 う~~~ん、、、危害を加えられるんじゃないかと妄想を抱く以前に、危害を加えてきそうな相手に心当たりがまったくないんだけどなぁ。
 いったい誰が自分に危害を加えようとしているっていうんでしょうか?
 全然わかりません。
 
 確かに先月、親しい友人の何気ない言葉に傷ついて、落ち込んで、自暴自棄になったことはありましたが、あれは自分が勝手に傷ついて、落ち込んで、自暴自棄になっただけのことです。
 あの言葉に悪意や害意は感じられませんでしたよ?

 もし、どなたか、自分に大してこれから危害を加えようと画策している方がいたら、出来たら翻意してくれると助かります。
 傷つきやすい年頃なので。笑。

 などと、ジョークで済ませられるような話ではないんですよね。

 風邪を引いた人が、病院で風邪であると診断を下される際、医者は患者の顔色を見るだけでなく、患者に症状を聞き、体温を測り、脈を取り、触診し、、その他様々な診療をした結果、風邪である、という診断を下します。
 顔色を見ただけで風邪だと診断を下す医者はいません。

 同じことは心療内科にも言えます。
 ブログの記事やコメントを診断の材料の一つにする、というのならわかります。
 しかし、それだけを材料にして診断を下す、というようなことは決してあってはなりません。
 もしそういうことが可能であるなら、カウンセリングや精神科医の診療は、実際カウンセラーや精神科医が患者と顔を合わせることなく、メールのやり取りをすれば充分だ、ということになります。
 そんなことがあるわけないです。
 カウンセラーは(もしくは精神科医は)、患者と対面し、表情を読み、息遣いを感じ、話を聞き、注意深く観察し、etc、そしてようやく診断を下すのだと思います。

 その患者に、何らかの精神的な疾患があると診断を下すことは、その患者の一生を左右する、といっても過言ではありません。
 そのような重要でデリケートな案件が、ただブログの記事を一つか二つか読み、コメントを二、三度やり取りしただけで、解決されるわけがないのです。

 ここまで言えばわかってもらえると思います。
 自分の妄想でも何でもなく、自称臨床心理士の方は、おそらく臨床心理士では、ない。

 もう一つ言っておかなければならないことがあります。
 それは、ある種の職業についている方は、よほどの事情がない限り、インターネット上で、自らの職業を明かすことはない、ということです(実名登録のものを除く)。
 例えば弁護士が、インターネットの掲示板において、自らが弁護士であることを明かし、何らかの法的なアドバイスをする、というようなことは考えられません。
 アドバイスをするにしても一般論の形を取るでしょう。
 なぜなら、彼らは自分たちの肩書の重さと、言葉の影響力を充分承知しているからです。
 
 確かに、弁護士であることを明かした上で、アドバイスをした方が信憑性は増します。
 しかし、それを容認していたら、間違いなく偽の弁護士が現れ、同じことをするでしょう。
 そしてインターネットにおいては、その弁護士が本物なのかどうか、確認するすべはないのです(正確には確認が極めて難しい)。

 ですから、掲示板などで自称弁護士が現れたら、まず間違いなく弁護士ではないと思ってもらって構いません。
 それは弁護士だけでなく、医者、警察官、政治家などにも言えることです。

 自分の大学の時の同級生に沖縄で警察官をやってる奴がいます。
 彼もブログを運営しているのですが、彼のブログを見ても、彼が警察官であるということは決して窺えません。
 そのブログからは、管理人はただの子煩悩な二人の子供の父親であるとしか読み取れないのです。
 それは彼が警察官の肩書の重みを知っているから、そして警察官であることを誇りに思っているからでしょう。

 インターネットはなりたい自分になれる場所だと思います。
 アラフォーの女性が女子大生のふりをすることも構わないでしょう。似非大阪人のふりをするのもいい。それどころか、性別を偽ったとしても罪だとは思いません。
 インターネットにおいては、すべて本当のことを語らねばならない、真実をさらさねばならない、という決まりはないですから。
 なので、弁護士のふりをするのも、医者のふりをするのも、警察官のふりをするのも、自由と言えば自由です。それ自体は罪に問われることではない。
 ですが、弁護士のふりをして、法的なアドバイスをするというのはNGです。
 そのアドバイスによって逆にトラブルが発生するということも充分ありえますから。

 このブログで、臨床心理士を自称した人は、決してそうでないとは認めないでしょう。
 しかし、私は臨床心理士であると自称した上で、あなたは極度の被害妄想であると宣告した以上は、臨床心理士であることを証明する必要があるはずです。
 なぜなら自らの言葉の正しさを強調するために自らの肩書きを利用したのですから。
 ですが、それは不可能でしょう。
 自らが臨床心理士であることを証明するということは、自らの実名を晒し、自らの勤務病院を晒すということに他ならないからです。
 その人も、そこまでの覚悟があって、臨床心理士であることを明かしたわけではないでしょうからね。

 善意によるアドバイス自体が悪いと言っているのではありません。
 しかし、アドバイスをするにしても最低限のマナーとルールがあり、そしてそれはインターネットにおいて自分でない自分のふりをする際にもいえることなのです。
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『インモータルズ 神々の戦い』、豪華絢爛・超絶残酷・問答無用の俺様ルールのギリシア神話絵巻!!

2011-11-13 20:13:11 | 新作映画
 ターセム・シン監督、ミッキー・ローク主演(?)、『インモータルズ 神々の戦い』、11/12、ワーナー・マイカル・シネマズ筑紫野にて鑑賞。2011年40本目。


 十一月の第二週は、スケジュール的に大変でした。
 というのも『インモータルズ』、『マネーボール』、『コンテイジョン』と観たい映画が三本も同時期に公開されたのです(シアター・シエマで公開される『スーパー!!』も含めれば四本)。
 この三本の中で強いて二本選ぶとすれば、『マネーボール』と『コンテイジョン』ですね。
 『インモータルズ』ももちろん観たい映画であることには違いないんですけど、ターセム・シン監督の過去作との相性もあって、若干期待値が低かったんですよね。
 それがなぜ『インモータルズ』を最初に観たのかというと、理由は単純、前売り券を購入していたから(逆にいうと『コンテイジョン』は前売り券が九州では発売されなかった)。

 しかし、いざ観に行って、予想はいい意味で裏切られました。
 観る前は、ターセム・シン監督の前作『落下の王国』の印象もあって、ひたすら衣装が豪華絢爛なだけの、単純な剣劇アクションなのかなと思っていたのですが、違いましたね。
 もちろん衣装はすさまじく豪華絢爛なのですが、それ以上に印象に残るのが、その残酷描写のすさまじさ。身体は四散する、首は吹っ飛ぶ、目はえぐられる、女性は蒸し焼きにされるetcもう『SAW』シリーズも裸足で逃げ出すんじゃないか、ってぐらいです。

 全能の神ゼウスの身勝手さ、というか俺様ルールもよかったです。
 ゼウスは分身を使い、十年以上に渡って人間であるテセウスを導くのですが、他の神が窮地に陥った彼を救おうとすると、マジでブチ切れるんです。
 人間の戦いに介入するのは許さん!!とか何とか言って。
 オメーも充分介入してるじゃん!とツッコミたくなったのは自分だけではないはずです。
 で、テセウスを救おうとした神をゼウスは罰するのですが、その罰がまた苛烈なことこの上ない。
 そしてゼウス自身が罰を与えたことで後々窮地に陥るんです。
 ゼウスの身勝手さと皮肉が効いた展開には思わず笑ってしまいました。

 本作はとても万人にお薦め出来る娯楽作ではありませんが、半端じゃない残酷描写に、自分はアクション映画とホラー映画を一度に観れたような、そんなお得感がありました。
 ヴィジュアル重視という方も観て損はないと思います。


 お気に入り度は★★★★、お薦め度は★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
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ムーン・イン・ザ・キッチン sideA-2。

2011-11-12 13:22:10 | ショートショート
 セレンディプティは無垢だった。
 それは彼女だけではない。いつも農園で土にまみれているアルマリオンも、図書館で読めもしない書物とにらめっこしているヴァルクも、日がな一日サンルームでのんびり日向ぼっこしているトゥワロも同様だった。
 みな穢れというものを知らない、天真爛漫、純真無垢な存在だった。
 だが彼らは醜かった。
 セレンは手足の指が七本ほど欠損している。背骨もいびつに曲がっている。口蓋の裂傷も著しい。突起した尾てい骨や天使の翼の跡を思わせる背中の隆起など普通の人間には見られない特徴をもっている。
 他の子供たちもみな似たようなものだった。
 だが彼らは自分たちが醜いということを知らない。私も彼らにそんなことを言いはしない。
 彼らは知らない。私も言わない。だから彼らがそのことで悩むこともまた、ない。
 彼らは『異形の子』と呼ばれる存在だ。月世界開拓初期の不幸な被害者といっていいだろう。
 月は不毛な世界だ。これは比喩でも何でもなく、言葉どおりの意味だ。確かに、地球では枯渇したファンバレルやルナタイトなど様々なレアメタルが豊富に埋蔵されている。
 だが鉱物ではなく、生きとし生ける者にとって、ここは昏く冷たい死の世界以外の何物でもない。
 簡単な宇宙生物学のレクチュアをしよう。
 何でもいい、地球で採れた植物の種子を無重力空間で育てようとしたらどうなるか。
 藍藻植物や一部の苔類を除いて、ほとんどの植物は重力に逆らって成長しようとする。
 だが逆らうべき重力のない状態では、植物は当然のことながらまっすぐには育たない。どんな植物も枝や根が分別なく絡まって、最終的にはボール状になってしまう。
 これが月だと、地球の六分の一の重力があるため、ある程度はまっすぐに育とうとする。
 だが頭に載せる重石が軽いのが気に入らないのか、結局最後には植物で出来たぐしゃぐしゃのラグビーボールが出来上がってしまう。
 ではこれが動物だとどうか。
 通常精子は重力という荒波を越えて卵子の元にたどり着く。
 だがまったく波のない、凪の状態だと、精子は卵子の元にたどり着こうとする意欲を著しくそがれるらしく受精率は異常なまでに低下する。ゼロではないという程度だ。必然的に人工授精という方法に頼らざるをえないのだが、この受精卵を無重力、もしくはそれに近い状態で放置しておくとどうなるか。
 受精卵は受精初期の形態を維持したまま分裂と増殖を繰り返して成長する。すなわち、ヤモリの姿形をしたヒトが誕生することとなる。
 これはある意味外宇宙進出を目指した人類への、最後通告にも等しい。
 人類が重力の呪縛から逃れられないのならば、すなわち無重力空間での生殖活動が不可能ならば、恒星間航行など夢のまた夢だ。
 地球の人口が最大数を年毎に更新していたころは、人類も宇宙旅行を、正確には外宇宙への移住を本気で考えていた。
 宇宙にこそ人類の未来は存在するのであり、いつかは宇宙に人類は進出するもの、宇宙こそ真のユートピア・・・。
 多くの人々がそのような幻想にとらわれていた。
 そんな中で、科学者たちは重力の介在なしに生物が、やがては人が、生きていく方法を見つけるために、果てしない研究と実験を繰り返した。
 しかしそれらは必ずしも人道に則ったものばかりではなかった。その影では多くの悲劇が引き起こされた。
 その一つがセレンをはじめとする『異形の子』だった。
 だが今は、人口が毎年減少している現在となっては、誰も宇宙になど目を向けようとはしなくなっていた。開拓初期の不幸な被験者の存在など、誰もが遠い過去の存在として忘却の彼方へ葬り去ろうとしていた。

 
 月での暮らしは単調なものではあったが、決して飽きるということはなかった。
 任務自体はローテーションの繰り返しだ。採掘スケジュールのチェック、本局への定時連絡、集積センター内外のパトロール(愚直にも私はこのパトロールを欠かしたことがなかった。いったい何のためのパトロールなのかと、外宇宙のエイリアンの侵攻に備えてのものなのか、それとも凶悪なテロリストによる月資源強奪を警戒してのものなのかと疑問に思わずにはいられなかったが)、その他与えられた任務自体は特に語るべきこともない。
 けれど私には他にやりたいこと、やるべきことが山のようにあった。
 集積センターの外に出て、ただ時間の過ぎるままに星を眺めているだけでも飽きることはなかった。
 月で見る星は地球でのそれとまったく別物だ。瞬くということがないため、どんな小さな星さえも抑光ガラス越しにしか眺めることは叶わないが、それらの放つ光は、まるで私自身を焼き尽くさんばかりに鮮烈だった。
 今は子供たちの世話に時間を取られてなかなか行けないが、以前は開拓初期の月面コロニーにもよく探検に出かけたものだった。
 開拓初期のコロニーには数百万人の開拓民がいた。そのころの月は希望の大海である大宇宙へ船出するための、港の役目を担っていた。希望にも活気にも満たされていたはずだ。それは、今でもコロニーの廃墟のそこかしこから感じることが出来る。
 廃墟といっても崩れかけ、朽ちたビルディング群ではない。地球に比べ六分の一しか重力がない月では、塵芥の類が積もり重なるということはない。月の廃墟は廃墟でありながら新築そのものだ。
 実をいうと、セレンたちを見つけたのも廃墟と化したかつての実験施設の一つからだった。たぶんさらに
 探索を進めれば、セレンのような子供たちはまだ見つかるのだろう。
 だが今の私にはそれをする時間も、新たな子供たちの世話をする労力も残されてはいない。
 時々自分自身の存在意義について疑問に思うことがある。
 私は何のためにここにいるのだろうかと。
 確かに私には与えられた任務がある。
 だがそれも私の存在が不可欠かというとそういうわけでもない。採掘作業の進み具合のチェックなど、仮にずれが生じたところで修正するのは作業の度合いでなく、計画の方なのだ。ほとほと人間は計画を立てるのが下手な生き物だと思う。パトロールなど前述通り無意味なものだし、集積センターが無人化されたところで実際何ら支障はない。地球の月資源管理局にとっても、採掘現場においても、集積センターにも。
 そして私自身にとっても。
 たぶん最初にここに基地を作った連中が決めたのだろう。少なくとも採掘作業には人間の監督官が一人はいなければいけないと。
 もしかしたら最終的な責任を取らせるために、言い換えれば、誰かが貧乏くじを引かなければならない、そのために私がいるのかもしれない。
 だが義務は義務として、権利を行使するのであれば果たさなければならない。
 そして私は集積センターの監督官としての権利を最大限に行使していた。
 そのおかげで子供たちを見つけることが出来たのだし、また面倒を見ることも出来る。私が見つけて、そして蘇生させなければ、子供たちはおそらくこれから数百年という長い時間をかけて緩慢に死を迎えたことだろう。
 その方が彼らにとって幸せだったのかもしれないが、私には、彼らこそ生まれて初めて家族と呼べる存在だった。
 私は地球では孤独だった。だがそのことを地球にいたときは気づかなかった。月に来て、家族と呼べる存在を得て、私は初めて孤独という言葉の本当の意味を知ったような気がする。
 もしかしたら、管理局の方でも、私のささやかで、禁じられた楽しみのことを掴んでいるのかもしれない。  
 だが例えそうだったとしても、遠く離れた地球からは実際には何も出来やしない。少なくとも私の任期中は…。
 その日が来るのが恐ろしい。
 子供たちと、離れ離れにならなければいけない、任期開けの日が。
 今の私には子供たちのいない生活など考えられないのだから。


                                  sideB-1へ続く
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ムーン・イン・ザ・キッチン sideA-1。

2011-11-11 13:15:41 | ショートショート
 キッチンではセレンディプティが調子っ外れなメロディを口ずさんでいた。
 いったい何の歌か私にはわからなかったし、歌っている本人にもそれは同様だろう。キッチンに置いてある食材や調味料をどう組み合わせたところで毒にはなるまい。彼女に料理は出来ない。そこまでの知能レベルはない。
 おそらく、たまに私が料理しているのを見て、彼女なりに真似しているつもりなのだろう。
 採掘作業が予定通り進行しているか、デスクモニターにスケジュールを呼び出してチェックをしていると、セレンがキッチンからやってきて、賞状でも手渡すかのように、一枚の皿を私に向かって差し出した。
 皿の上には一応何か料理らしきものが盛ってあった。
「私に・・・、作ってくれたのか・・・?」
 そう尋ねるとセレンが照れたような笑みを浮かべ、ンンと頷いた。
 ありがとう、と礼を言ったものの、食べても大丈夫なのだろうかと内心不安になった。彼女の好意を無下にするつもりもないが、かといって皿の上のものは到底人間が口にするものには見えない。黒い、溶岩のようなものとしか表しえない何か。
 死にはしないさ、そう腹を括り、えいと一切れそれを口の中に放り込んだ。なんとも形容しがたい味だった。泥土で作ったマシュマロ、といったところだろうか。
 私はそのマシュマロを咀嚼もせずにぐっと飲み込み、ありがとう、と繰り返した。
「美味しかったよ・・・」
 お世辞が通じたのかどうか、彼女はなおもマシュマロの乗った皿を私に押し付けようとする。勘弁してくれよ、そう心の中で呟きながら、私は腹をポンポンと叩いて満腹であるという意思表示をした。
 どうやらその意図を理解してくれたようで、彼女は私に皿を手渡すと、小鳥が物音に驚いて飛び立つように、パッと駆け出した。
 再びスケジュールチェックに取り掛かり、厄介な演算処理をはじめようとしたとき、セレンが私の前に影を作った。
 彼女はにっこりと笑うとデスクに置きっぱなしだったマシュマロに、手に持っていたチューブからチョコレートソースと辛子入りのマヨネーズをたっぷりと捻り出した。
 さあ、召し上がれといわんばかりに彼女は皿を私に鼻先に突きつけた。
 私は彼女の顔と、チョコレートとマヨネーズにまみれたマシュマロとを交互に眺め、ありがとう、セレン、そう言ってから、彼女に聞こえないように、そっとため息を漏らした。



                                sideA-2へ。
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『月に囚われた男』、この既視感は一体…。

2011-11-10 11:49:04 | 旧作映画
 『ミッション:8ミニッツ』が個人的に非常にツボだったので、同監督のダンカン・ジョーンズの前作にして長編デビュー作『月に囚われた男』のDVDを購入、鑑賞しました(廉価版だけどね)。

 えーっと、悪くはなかったです。
 でも、それほどいいとも思わなかったなぁ。
 『ミッション~』があまりに自分のツボだったのでちょっと期待しすぎちゃったのかもしれません。

 事前情報として、月を舞台にした作品であり、低予算映画であるということは知っていたので、低予算映画で月世界をどう描写しているのか、もっと詳しく言えば、月の、地球に比べて1/6の重力をどうやって表現しているのかに興味がありました。

 なのですが…。
 重力、めっちゃフツー。
 蛇口からもフツーに水がこぼれてましたしね。
 歩き方もフツーにスタスタ…って感じでした(自分がイメージする月面での歩き方ではない)。
 本作において月面での重力は地球と全く変わらない、という設定のようです。
 まぁ低予算で低重力を表現しろ、というのが無茶なのかもしれませんが、少しばかりガッカリしました。

 テーマ的にもそれほど目新しいものは感じませんでした。
 本作はよく『2001年宇宙の旅』との類似性が指摘されているようですが、自分はどちらかというと『ブレードランナー』に近いかなと思いました。アクションシーンのまったくない『ブレードランナー』。
 あれもクローンの反乱を描いた作品でしたよね。しかも自己とは何か?人間とは何か?というテーマ性も共通してますからね。

 しかし、それより何より自分が「似てる!」と思ったのは、自分の過去作ですね。自分が昔書いた作品と本作の基本設定がめちゃめちゃそっくりなんですよね。
 ダンカン・ジョーンズ、パクったか、とさえ思いましたよ。笑。
 まぁ実際のところはこの作品程度の基本設定は誰にでも思いつく、ということなのでしょうが。

 でも、やっぱり世界的にそれなりに評価されている作品と、自分が昔書いた(そして誰からも顧みられることのない)作品が似てるというのは気になることなので、過去作をブログでアップしていきたいと思います。
 感想をいただければありがたいです(特に『月に囚われた男』を鑑賞したことのある方)。
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別れさせます!!

2011-11-09 22:49:46 | インターネット
 ネットでたまたま見つけた別れさせ屋

 まぁ、夫と別れたいとか、彼氏と別れたいとか、不倫相手と別れたいとか、そういうのならわからないでもないよ?
 夫が浪費家で別れたい、彼氏が暴力をふるう、不倫相手との関係を清算したいなど、様々な事情で別れたい、でも一人では上手く別れられる自信がない、という女性は多いだろうし、どうせ別れるのであれば、出来るだけ円滑に別れたい、というのが人情だよね。

 でも、彼と奥さんを別れさせたいとか、元彼と今の彼女を別れさせたいとかいうのは、それってどーよ、と思っちゃいます。
 そういうのを商売にするのって、何らかの法に抵触するんじゃないかと思うのだけど、、、ま、しないから堂々とHPを公開してるんだろうね。

 それにしても円満にいってるカップルを別れさせるのってどれぐらいお金がかかるんでしょうね。
 ちょっと興味があるなぁ。
 連絡を取ってみようかな…。








 嘘だよ、嘘!!
 連絡なんて取らないっつーの!!
 最近は冗談で書いても本気で取る人が多いから怖いよ。
 でも、実際この別れさせ屋を使って別れさせることに成功しました、って人がいたら、体験談を聞いてみたいです。笑。
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ムースが好き。

2011-11-08 22:20:48 | グルメ・おやつ
 最近二つのムースにハマっています。

 一つはドラッグストアで売ってる給食ムース。
 

   


 これが安いんだ。
 三個パックで九十円ぐらいしかしないんだもんな。

 しかも安いってだけじゃなく、原材料が安心印のものばかりなんだよね。


   


 合成着色料はもちろん、人工的な甘味料も添加されてない。
 入ってるのははちみつや寒天など、天然の素材ばかり。
 これで採算が取れるのであれば、なぜ大手のメーカーは真似しないんだろうと不思議に思います。


 もう一つは最近コンビニで見かけるようになったムースアイス。


   


 値段は若干高めだけど(それでも¥105)、これが非常に美味しい!!
 しかも美味しいってだけでなく、不思議なことにアイスなのに溶けない!
 だから車の運転中でも安心して食べれます。
 出来ればこの夏に食べたかった!というのはありますが、冬将軍が訪れるまで、天気がいい日にはおやつで食べようかな~って思っています。
 
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美少女にコテンパンに叩きのめされる。

2011-11-07 22:17:43 | 日常
 日曜日は、美少女にコテンパンに叩きのめされました。
 といってもゲームのぷよぷよでの話ですが。笑。

 映画を観た帰り、不思議博物館に寄ったのです。
 この日、不思議博物館では『不思議子ちゃんとぷよぷよ』というイベントが行われていて、不思議子ちゃんとぷよぷよを対戦して、勝ったら願いを何でも一つ聞いてもらえるのです。
 嘘です。最後の部分だけ嘘。
 本当は勝ったら、不思議子ちゃんと一緒に記念写真を撮ってもらえるのです(といっても写真写りに自信がないので一緒に写りたいとはあんまり思いませんが)。

 ぷよぷよは、ルールはもちろん知っていましたが、プレイするのは何年ぶりだろ?って感じで、さらにセガサターンでのプレイとなると初めてした。
 なので、まったく勝算も自信もなかったのですが、実際対戦してみると、相手は想像以上に強かったです。

 
   


 
 対戦相手の不思議子ちゃんであるミシェルさん。
 フランス帰りのクォーター、、、ではなく、ちゃきちゃきの日本人です。
 可愛い顔して、案外エロネタに喰いついてきます。
 そしていうまでもなく、猛烈にぷよぷよが強い。

 対戦前、「ハンデはどうしますか?」と聞かれました。
 冗談じゃない!と思いましたよ。
 仮に羽生と将棋をすることになっても、自分は平手で負けたいです。ハンデをつけて負けたら、よけい惨めじゃないですか。
 だから、ミシェルさんにはっきりとこう言ってやりました。
「じゃ、片手でプレイしてください」
 さすがに無理目なハンデかな、と思いましたが、ミシェルさんは涼しげな顔で「はい、片手でやってみますね~」と答えました。
 うわ、あっさり呑みやがった!!
 で、あっさり負けました。片手でコントローラーを扱う彼女に。
 けちょんけちょんに。完膚なきまでに。
 あまりに完璧に叩きのめされたので、いっそ清々しいぐらいでした。
 たぶん、彼女が足でプレイしても勝てないような気がします。

 一応自分の(あるかないかよくわからない)名誉のために付け加えておくと、ミシェルさん以外の、館長を含めた、その場にいた全員には勝ちましたよ。
 ミシェルさんだけが尋常じゃなく強いのです。

 閉館時間となり、自分は心に固くリベンジを誓いながら、不思議博物館を後にしました。
 この借りはいつか必ず返してやるからな!!(ただしぷよぷよ以外でな!!)
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『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事(デカ)』、その他大勢の脇役にスポットライトが当たる時。

2011-11-06 21:46:24 | 新作映画
 アダム・マッケイ監督、マーク・ウォルバーグ&ウィル・ファレル主演、『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事(デカ)』、11/6、ユナイテッドシネマキャナルシティ13にて鑑賞。2011年39本目。


 冒頭から凄まじいカーチェイスシーンが展開されます。
 乱れ飛ぶ弾丸の中、凶悪な強盗犯を見事捕まえる二人のスーパー刑事。
 よくある刑事もののアクション映画かと思わせて、物語は大きくツイストします。
 だって二人のスーパー刑事がいきなり舞台から退場しちゃうんですからね(二人の退場シーンにはめちゃめちゃ爆笑しました。あれ?え?嘘?と思ってる間に退場するので。)。

 代わって躍り出るのが、ウィル・ファレル扮するデスクワーク命のアレンと、マーク・ウォルバーグ扮する暴走刑事テリー。
 二人のアザー・ガイズ(その他大勢、脇役)は主役の座を射止めることが出来るのか…。

 いやぁ、腹を抱えて笑わせてもらいました。めちゃめちゃ面白かったです。
 キャラクターは一人一人が深く掘り下げられてるし、ギャグはストーリーと密接に絡んで機能してるし、コメディなのにアクションは手を抜いてないし、生意気にも伏線が張られてるし、そして何より社会派ドラマとしての一面も持ってるし、言うことないです。ブラボー!!

 と、個人的には絶賛したいところなのですが。
 世間的な評価はあんまり高くないみたいなんですよねぇ。
 ミクシィのレビューには、
> 自分には笑いのツボがことごとくズレたように感じた作品でした。
>ウィル・フェレルが日本で人気の出ない理由が、分かるような一本(笑)
>映画館でも家でも観る価値はないです。
>アメリカンジョークはわからんっ。
 といった具合で、散々でした。

 おっかしいなぁ、自分はめちゃめちゃ笑ったんだけどな。
 自分がほとんど笑えなかった『ステキな金縛り』が世間一般では評価が高く、自分が爆笑した本作が逆に酷評の嵐だと、自分の中の価値観が世間とはズレまくってるのかなぁと思ってしまいます。
 まぁいいや、どうせ自分は永遠にマイナー嗜好だよ!!
 と、意味なく僻んでみせたりして。笑。

 でも、ほんと面白いと思ったんだけどな~。


 お気に入り度は★★★★、お薦め度は★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
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