他人を説得しようと思ったら二つの『り』を心掛ければいい。
一つ目の『り』とはすなわち『理』。つまり道理のことで、大袈裟に言えば大義名分のことである。わかりやすくいうと「~すべきだ」「~すべきじゃない」といったことだ。
人は『理』があれば行動を起こしやすい。何しろ正義は我にあるのだから怖いものなどない。
だが正義がこちら側にあっても、説得に交渉することはしばしばある。
なぜか。それはもう一つの『り』が欠けているからだ。その『り』とは『利』、つまり利益のことだ。
戦争をすべきじゃないってことは誰でも知っている。子供だって知っている。犬や猫だって知っているんじゃないかって思う。
でも戦争は無くならない。それは単純に戦争をすることで儲ける人間がいるからだ。
本気で戦争を無くそうと思ったら、戦争で儲けている連中に、戦争をしないとこんなに利益があるのですよ、ということを証明してみせなければならない。
だがそれはほとんど不可能事だ。なぜなら彼奴らときたら戦争をすることで莫大な利益を得ているからだ。それを放棄しろといっても納得できる話ではない。
だから戦争は地球上から無くならない。
一方、日々中高生の自殺が新聞を賑やかす。自殺をしようっていう連中に、自殺はいけないことですよ、人は生きるべきなんですよ、などと道理を説いても始まらない。
なぜなら彼らもそんな道理は百も承知しているからだ。彼らが死のうとしているのは、生きていることによって生じる悩みや苦痛などの不利益が、生きていくことで得られる喜びや楽しみなどの利益を大きく上回るからだ。望んで死ぬ奴など実はいない。
だから彼らを説得しようと思ったら、彼らが生きていくことで、どれぐらいの利益を得られるのか、具体的に説明し、納得させればいい。
決して易しいことではない。だが不可能ごとでもないかな、とも思う。
もしかしたらいつか地球上から自殺者はいなくなるかもしれない。
そんなことをふと、新聞を読みながら考えたりした。
一つ目の『り』とはすなわち『理』。つまり道理のことで、大袈裟に言えば大義名分のことである。わかりやすくいうと「~すべきだ」「~すべきじゃない」といったことだ。
人は『理』があれば行動を起こしやすい。何しろ正義は我にあるのだから怖いものなどない。
だが正義がこちら側にあっても、説得に交渉することはしばしばある。
なぜか。それはもう一つの『り』が欠けているからだ。その『り』とは『利』、つまり利益のことだ。
戦争をすべきじゃないってことは誰でも知っている。子供だって知っている。犬や猫だって知っているんじゃないかって思う。
でも戦争は無くならない。それは単純に戦争をすることで儲ける人間がいるからだ。
本気で戦争を無くそうと思ったら、戦争で儲けている連中に、戦争をしないとこんなに利益があるのですよ、ということを証明してみせなければならない。
だがそれはほとんど不可能事だ。なぜなら彼奴らときたら戦争をすることで莫大な利益を得ているからだ。それを放棄しろといっても納得できる話ではない。
だから戦争は地球上から無くならない。
一方、日々中高生の自殺が新聞を賑やかす。自殺をしようっていう連中に、自殺はいけないことですよ、人は生きるべきなんですよ、などと道理を説いても始まらない。
なぜなら彼らもそんな道理は百も承知しているからだ。彼らが死のうとしているのは、生きていることによって生じる悩みや苦痛などの不利益が、生きていくことで得られる喜びや楽しみなどの利益を大きく上回るからだ。望んで死ぬ奴など実はいない。
だから彼らを説得しようと思ったら、彼らが生きていくことで、どれぐらいの利益を得られるのか、具体的に説明し、納得させればいい。
決して易しいことではない。だが不可能ごとでもないかな、とも思う。
もしかしたらいつか地球上から自殺者はいなくなるかもしれない。
そんなことをふと、新聞を読みながら考えたりした。