この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

『ミステリと言う勿れ』、本当に言いたいことは…。

2025-01-13 10:57:17 | 旧作映画
 毎年、お正月休みになると、深夜に映画が放映されていた記憶があります。
 端にも棒にも引っかからないB級映画だったり、逆に「え、これが放映されるの?」と思うような推し映画だったり、いろんな映画が年末年始にかけて放映されていました。
 でも今年はそういうのがなかったですよね?
 今年突然無くなったのか、それとも年ごとに減っていき、今年とうとうゼロになったのか、それはわかりませんが、残念と言えば残念です。

 とはいえ、深夜帯以外では何本か放映されたので、それは見ました。
 『ミステリと言う勿れ』もそのうちの一本です。

 もしかしたら『ミステリと言う勿れ』というタイトルなので、それでよいのかもしれませんが、ミステリーとしてはお世辞にも出来が良いとは言えないと思いました。
 例えば、、、ヒロインの汐路の父親は事故で亡くなるんですよ。
 運転していた車がガードレールを突き破り、崖下に転落、炎上したのです。
 しかしのちに彼はある人物に睡眠薬を盛られていたことがわかります。
 父親の死は事故ではなく、殺人だったのです。
 でも、それってあり得ないですよね。
 なぜならガードレールを突き破ったということは相当なスピードが出ていたということになります。
 スピードが出ていたということはアクセルを踏み続けていたということです。
 睡眠剤を服用した状態ではそれは出来ないことじゃないでしょうか。
 もし仮に何らかのアクシデントでアクセルが踏み続けられたとしても、同乗者がいたのであれば、運転手の異常に気付いた時点でサイドブレーキを引くか、ハンドルを操作すればそれで済むことです。
 睡眠薬を盛るという手段で運転中の人物を殺害しようとするのはずいぶん確率の低いやり方だと言わざるを得ません。
 ガードレールにバンパーをこすっただけで終わってしまったとしたら、睡眠薬を盛った人物はどうするつもりだったんでしょうか?
 次の手段を考える?
 警戒されるかもしれないのに?
 一事が万事こんな感じで、ミステリーとしては全体的にお粗末で、とても及第点は与えられません。
 ただ、「久能整」というキャラクターを楽しむ映画としてはアリなのかもしれません。

 でもこの映画を見て、本当に言いたいことは別にあります。
 この映画、脚本家がドラマ『セクシー田中さん』の脚本を担当した人なのですが、未だにそのことでクレームをつけている人が少なからずいるのです。
 『セクシー田中さん』の原作者である芦原妃名子氏が自殺した件において、一番間違っていたのは誰かなのか、死者に鞭打つようですが、自分は他でもない芦原氏本人だと考えています。

 芦原氏はドラマ化を許可する際、ドラマは原作に忠実であることという条件を出したうです。
 原作に忠実であるようにと言われて、ドラマのプロデューサーも別に「いや、絶対に忠実には作らないぞ」と誓ったわけではないでしょう。
 ただ、忠実の度合いが、芦田氏が90~100%だったのに比べ、プロデューサーは60~70%だった。 
 純粋に作品のことだけを考えられる芦田氏とスポンサーや視聴率のことまで考えなければいけないプロデューサーとの間でそういった差異が生じたとしても仕方がないことだと思います。
 それを責めるのは酷というものではないでしょうか。

 ドラマ化の際に原作者が条件を出すこと自体は決して間違ってはいないし、当然の権利だと思います。
 ただ、「忠実であるように」といった、抽象的で具体性を欠く、人によって答えがいくつもあるような条件を出すのは間違っていると思うのです。
 条件を出すのであれば、このエピソードは作品の根幹をなす重要なテーマとなっているので必ずドラマでも採用すること、といった具体的なものにするべきだったのではないでしょうか。

 もう一つ、芦田氏が間違っていると思うことがあります。
 それは自殺したことです。
 自分はドラマの『セクシー田中さん』しか知りませんが、そのテーマを「世の中には無理解や不条理がいくらでもあるけど、そういったものにめげることなく、前向きに、自分らしく、胸を張って生きていこう」というふうに捉えました(全然トンチンカンかもしれませんが)。
 それなのに、ドラマが原作に忠実ではなかったから絶望した、死にます、では原作者自身が原作を裏切っているとしか言いようがないと思うのです。

 件の脚本家にまったく落ち度がないとは思いません。
 ただ、あの一件で引退をしなければいけないほどの責はないと自分は考えます。
 彼女が再び脚本を手掛けられるようになったらいいのですが、さて…。
コメント (2)
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ジェロームはなぜ死んだのか?

2025-01-04 13:25:57 | 旧作映画
 ついでなので、「ジェロームはなぜ死んだのか?」ということについて自分なりの考えを述べてみたいと思います。
 このことは『ガタカ』に感動はしても、多くの人がその理由についてわからないように見受けられます。
 しかし見方を少し変えれば、謎は謎でなくなります。

 「ジェロームはなぜ死んだのか?」ということの前に「ジェロームの死体を見つけるのは誰なのか?」ということについて考えてみましょう。
 異臭に気づいた近所の住民が通報し、警察がジェロームの死体を見つけたとします。
 そうなったら最悪ですよね。
 仮に完全に死体が炭化していて、DNAが採取できなかったとしても、住んでいたアパートメントから焼死体が見つかったのですから、地球に帰還したヴィンセントに対して何らかの司法の手が伸びるのは間違いありません。
 ヴィンセントは訳が分からないままその窮地を自分一人の力で脱しなければならず、その状況は決して望ましいものではないはずです。
 より最悪なのは死体が完全には炭化せず、DNAが採取された場合です。
 その場合、ヴィンセントのこれまでやってきたDNAの偽装がバレるので、彼はDNA偽装という重罪を犯した犯罪者として逮捕されます。
 しかし一番最悪なのは、死体を見つけるのが警察ではなく、ヴィンセント本人である場合です。
 アパートメントの焼却炉に、旅に出たと思っていた友人の変わり果てた姿を見つけたとしたら、到底まともな精神状態ではいられないでしょう。

 そのように考えると、ジェロームが焼却炉の中で焼身自殺をしたことはどう転んだとしてもヴィンセントに多大な迷惑をかける行いだった、と言えます。
 どうしてジェロームは無二の親友であるヴィンセントに迷惑をかけるような死に方を選んだのでしょうか?
 例えば、海でボートを借り、出来るだけ沖合いに出て、そこで足に重石をつけて海に飛び込めば、間違いなく死体は見つからないでしょう。
 死体が見つからなければ、ヴィンセントに迷惑をかけることもありません。
 ジェロームはなぜそういった死に方を選ばなかったのか?

 答えは一つしか思いつきません。
 ジェロームは自分がどのような死に方をしたとしてもそのことでヴィンセントに迷惑をかけることはないと考えたのです。
 これって一見矛盾していますよね。
 なぜなら、ジェロームが焼身自殺をしたことはどう転んだとしてもヴィンセントに迷惑をかける行いであるからです。
 ヴィンセントに迷惑をかける行いをしてもヴィンセントに迷惑をかけることはないというのはどういうことなのか?
 ジェロームがヴィンセントに迷惑をかけるとしたら、それは彼が生きて地球に戻ってきた場合においてのみです。
 ヴィンセントが生きて帰らないのであればその限りではありません。
 つまり、ジェロームがアパートメントで焼身自殺をしたことは、彼はヴィンセントが地球に二度と戻ってくることはないと考えていた、何よりも雄弁な証拠なのです。

 ジェロームはなぜ死んだのか?
 それは彼が無二の親友であるヴィンセントを宇宙という死地へと送り出したから、です。
 死を選ぶ理由として充分だと自分は考えます。

 ジェロームの死に対して疑問を持つ人の多くが、『ガタカ』というお話を「翼を持たぬ者が艱難辛苦の末に翼を得て、本来翼を持つ者しか立つことを許されぬ高みから飛び立ち、大空を飛び回った」というふうに解釈している節があります。
 そうじゃないんですよ。
 それだとなぜ地上で待つ友人が死を選ばなければいけないのか説明がつきません。
 『ガタカ』は「翼を持たぬ者が翼を得ぬまま、翼を持つ者しか立つことが許されぬ高みから飛び立った」お話なのです。
 翼を持たぬまま高みから飛び立てばどうなるか、答えは明白です。

 そのように考えることで『ガタカ』での感動は失われるのか?
 そんなことはありません。
 翼を持たぬまま高みから飛び立ったヴィンセントも、結果がわかっていながらその行いに協力したジェロームも、彼らのことを考えると泣けて泣けて仕方がありません。

 ジェロームがなぜ死んだのか、その理由がよくわからないという方は視点を少し変えて『ガタカ』という物語を眺めては如何でしょうか。
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『ガタカ』で検索して来られた方に最初にお願いしたいこと。

2025-01-03 22:11:43 | 旧作映画
 自分はボンクラなので、普段映画を観てもその映画が何を訴えたいのか、どういう映画なのか、わからないことも多いです。
 ブログのレビュー記事にはわからない時は「わからない」とはっきり書きます。
 わからないのにわかった振りをしても仕方ないですからね。

 一方で稀に「わかる」映画もあります。
 例えばホラー映画の『マーターズ』がそうですね。
 一般的には延々と拷問が続く陰鬱なホラー映画と評されていますが、自分には寄る辺ない二人の女性の孤独な魂の邂逅を描いた感動作なのです。
 考察記事はそれなりの支持を得ています(こちら)。

 ただ、「わかる」映画の考察記事が常に支持されているわけではありません。
 その筆頭がSF映画の『ガタカ』です。
 自分が書いた『ガタカ』の考察記事を積極的に支持してくれた人は皆無です。
 支持してくれた人がいないぐらいならいい方で、考えの違いから最終的に喧嘩別れになることもあります(だいたい自分が一方的に罵られる)。
 どうして映画の解釈が違うぐらいで相手のことを罵れるのか、自分にはよくわからないです。
 あぁ、この人は自分とは考えが違うのだな、と思えないのでしょうか。

 なぜ『ガタカ』の解釈が異なるのか、理由はいくつかありますが、その一つに主人公ヴィンセントの弟であるアントンの人物像の捉え方が違うということが挙げられます。
 ここに来る人の多くがアントンはヴィンセントが乗り越えなければいけない大きな壁のような存在と捉えている節があります。
 自分の考えは違って、アントンはヴィンセントのよき理解者、ヴィンセントが宇宙飛行士になるという夢を叶えるために欠かせない人物だと思っています。

 『ガタカ』で検索してこられた方に最初なお願いしたいのは、もしあなたに生まれつき心臓に重い障害がある兄がいたとして、その兄から夜の海での遠泳勝負を挑まれたら、あなたはどうしますか?ということです。
 そんな勝負、受けたくないです。
 だって勝負の最中に兄が心臓発作を起こして、自分の目の前でブクブクと海に沈んでいくかもしれないんですよ?
 そんな姿、見たくないですよね。
 兄であるとか、家族であるとかといったことは関係なく、心臓に重い障害がある人間と遠泳勝負なんて、誰でもしたくないはずだ、自分はそう考えます。

 心臓に重い障害がある人間と遠泳勝負をしたくないというのはお前の勝手な決めつけだ、という方もいるかもしれませんね。
 もしそういう声が一定数あれば、自分は自分の考えの誤りを認めましょう。
 ただし、そういう声をあげた人たちのことを自分は「人でなし」と呼ばせてもらいます。
 だって、目の前で一人の人間が溺れ死んでも構わないというのですから、「人でなし」でなくて何なのですか?
 ともかく自分はアントンは「人でなし」でなかったと思うので、彼は兄との遠泳勝負をしたくなかったのだと考えます。

 しかし実際にはアントンは勝負を受けてますよね。
 なぜアントンは勝負を受けたのでしょう?
 勝負をしたくなかったのであれば、したくないと断ればいいだけのことじゃないですか。
 もし勝負を挑んできたのが縁もゆかりもない人間であれば、アントンも「心臓がいつ止まるかわからない相手と遠泳勝負はしたくない」とストレートに断ったことでしょう。
 そうすることで相手がどれほど傷ついたとしても、です。
 思うに、アントンはヴィンセントのことを不用意に傷つけたくなかったんですよ。
 先ほど、兄であるとか、家族であるとかといったことは関係なく、心臓に重い障害のある人間とは誰だって遠泳勝負はしたくないはずだ、と述べました。
 今度は、兄だから、家族であるから、アントンはヴィンセントのことを傷つけたくなかったのです。
 それ以外にアントンが勝負を受けた理由を自分は見つけられません。

 もしアントンがヴィンセントのことを傷つけたくなかったのであれば、彼は兄ヴィンセントのことを愛していた、そうなります。
 アントンがヴィンセントのことを愛していたという視点に立って物語を眺めれば、また別の『ガタカ』が浮かび上がるのではないか、自分はそう思うのです。
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人として当たり前だと思うことを理解出来ない人と議論をするのはとても疲れる。

2024-06-27 20:36:12 | 旧作映画
 昨日の記事の続きです。

 昨日の記事では最後に「もしあなたに生まれつき心臓に重い障害を持つ兄がいたとして、その兄から夜の海での遠泳勝負を挑まれたら、あなたはどうしますか」と問いました。
 どうしますかというか、どう思いますかでもいいのですが、ともかく、兄弟だからとか、家族だからとかいったことは関係なく、心臓に障害を持つ相手から遠泳勝負を挑まれたら嫌ですよね。
 なぜなら遠泳の最中に発作を起こしたら、その相手は間違いなく死んでしまうからです。
 そしたら自分が殺したようなものじゃないですか。
 そんなの誰だって嫌に決まっています。
 
 誰だって、と言いましたが、障害者相手にも手加減することなく、その結果相手が死んでしまってもまったく気に病まない、人でなしであれば話はまた別です。
 けれどアントンもそこまでの人でなしではないでしょう。
 アントンもまたヴィンセントと遠泳勝負をすることは嫌だったはずです。

 しかし実際にはアントンはヴィンセントと遠泳勝負をしています。
 どうして彼は遠泳勝負をしたのでしょう?
 嫌ならば断わればよかったのに。
 自分はアントンが勝負を受けた理由を一つしか思いつきません。
 もしアントンが「いつ心臓が止まるかわからない相手と遠泳勝負をするのなんて御免だ」とヴィンセントに言っていれば、彼は兄と遠泳勝負をせずに済んだでしょう。
 でも言えなかったんですよ。
 言えば兄を深く傷つけることがわかっていたから。
 アントンは遠泳勝負を受けたのは彼が断わるすべを知らなかったからです。
 それ以外の理由を自分は思いつかないですね。

 遠泳勝負を受けたアントンが次に考えたことは何でしょうか。
 遠泳勝負で勝利すること?
 彼は勝利にこだわっていなかったと思いますよ。
 だって、勝負に勝ったからといって誰かに褒められるわけでもなければ、高額な賞金がもらえるわけでもない、勝って当たり前の相手に勝ったからといってそれで特別カタルシスが得られるわけでもないですから。
 彼が何より重要視したのは勝負を一秒でも早く終わらせることだったのではないでしょうか。
 勝負が長引けば長引くほどヴィンセントの心臓への負担は増し、発作を起こす確率は上がりますからね。

 ではどうやって勝負を早く終わらせるのか?
 アントンがヴィンセントに『ここらへんで勝負はもうやめよう」と呼び掛けて、兄がそれに応じてくれればそれが一番でした。
 しかしヴィンセントがアントンの呼びかけに応じず、さらに先に行こうとしたら?
 そのときはアントンには秘策がありました。
 それは彼が溺れる(溺れた振りをする)ことでした。
 溺れた弟を放っておいて先に行く兄ではないということをアントンは知っていたのです。

 今述べたことをまとめます。
 ①アントンは兄ヴィンセントと遠泳勝負をするのが嫌だった。
 ②しかし兄を傷つけることを望まなかったアントンは勝負を受けた。
 ③勝負を早く終わらせたかったアントンは溺れた振りをした。
 これがロジックで導き出した最初の遠泳勝負の真相です。
 この真相を認められないという方も流れ的におかしなところは指摘出来ないはずです(指摘してもらっても全然構いません)。
 というか、心臓に障害を持つ相手と遠泳勝負をしたくないと思うのも、その遠泳勝負を一秒でも早く終わらせたいと思うのも、人として当たり前の感情だと思うんですけど、違うんですかねぇ。
 まぁ実際、そう思わない人が多いんですけどね。
 自分が人として当たり前だと思うことを理解出来ない人と議論をするのはとても疲れます。。。
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対話を拒絶するな。

2024-05-24 21:38:47 | 旧作映画
 昨日の続きです。

 ともかく言いたいのは、自分は『ガタカ』の終盤でジェロームが用意した血液や尿の検体はフェイクであると考えていて、それは決して根拠がないわけではない、ということです。
 根拠があってそう考えているので、誰に何を言われても、その考えが揺らぐということはありません。

 ただ、その考えを他人に強制するつもりはありません。
 ぶっちゃけて言うと、見ず知らずの赤の他人が『ガタカ』の解釈を間違えていたとしても、それは自分とは全く無関係のことなので、敢えてその間違いを訂正しようとは思いません。
 そのような優しさを自分は持ち合わせていないのです。

 ただし、このブログにおいては『ガタカ』の考察文をアップします。
 自分の考えを述べるためにこのブログはあるので、それは自分にとって当たり前のことです。
 そしてそのことで何かを尋ねられたら、必ず答えるようにしています。
 それが「文責」だと考えています(「文責」とは自分の言葉に責任を持つこと)。

 先月のことですが、拙ブログの中の『ガタカ』の考察記事の一つに久しぶりにコメントがつきました、それも二つ。
 一つ目のコメントは『ガタカ』に関する自分の考えを問うものでした。
 しかし続く二つ目のコメントはそれを破棄するものでした。
 以下転載。

>すみません、先程質問をしましたがやはり撤回します。
>失礼ながら過去の文を見ていて自分の価値観を人に押付けているだけだなと感じたので…このコメントに返信は不要です…

 えーっと、、、このコメントにはいろいろ言いたいことがありますが、まず、人の間違いや欠点を指摘する行為は間違いだとは思いません。
 でも間違いを指摘するにしても、「あなたは間違っている!何が間違っているかは自分で考えろ。」では困るんです。
 「あなたは間違っている。なぜならあなたは〇〇と言っているが、必ずしそうではないからです」というふうに具体的に言ってくれないと。

 その人によると自分は価値観を人に押し付ける人間なのだそうです。
 それがよくわからないんですよ、自分のどこら辺が価値観を人に押し付けているのかが。
 その人はおそらく、というか十中八九間違いなく、考察文での自分と質問者とのやり取りを見てそう思われたのでしょう。
 でもそこで議論されているのは価値観とは無縁のことなんですよ。
 議論されているのは作品の解釈についてです。
 価値観は関係ありません。

 考えを人に押し付けている、というならまだわからないでもないです。
 でもそれも違うんですよ。
 自分が考察記事で述べていることはすべてロジックによって導き出したものだからです。
 それが違うというのであれば、何がどう違うのか、きちんと指摘してくれないと。
 例を挙げれば、自分はジェロームが用意した血液や尿はフェイクだと考えていますが、それは血液が一度に大量に用意出来るものではなく、また保存の効くものでもないからです。
 その解釈が違うというなら、その根拠を否定してくれないと。
 今までそこに言及した質問者はいません(せいぜいLL牛乳を知らないんですか、と言った人ぐらい)。

 ロジックによって導き出した答えを曲げなかったからといって、考えを人に押し付けているなどと言って欲しくはありません。
 それでは自分の考えを何も言えなくなってしまいます。

 でもその人に一番言いたいことは対話を拒絶するな、ということです。
 「このコメントに返信は不要です」というのは、あなたとは対話をするつもりはありませんということなのでしょう。
 自分は言いたいことを言うだけ言って、相手が釈明や反論をする機会は与えないって何なんですかね。
 価値観を人に押し付ける人間であれば釈明や反論の機会を与えずとも当然ってことなんでしょうか。
 自分が同じことをされたらどうなんでしょうか。
 一方的に弾劾されて、それに対する釈明や反論が与えられなかったとしたら?
 それで納得するんでしょうか。

 自分は欠点の多い人間かもしれませんが、誰かとの対話を拒否したことはありません。
 長くブログを運営していますが、その間、荒らしすらきちんと対応しています。
 一方的に無視したり、そのコメントを削除したことはありません。
 荒らしに対してきちんと対応しろというのは難しいかもしれませんが、せめて自分自身が荒らしになるのは止めませんか。
 言いたいことだけ言って、釈明や反論を認めないというのは荒らし行為に他ならないのですから。

 対話は大事だと思います。
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「わからない」映画、「わかる」映画。

2024-05-23 21:15:21 | 旧作映画
 普段映画はボンクラに観ることが多いです。
 正確に数えたわけではないですが、映画レビューの半分ぐらいには「わからない」、「わからなかった」と書いているような気がします。
 「わからない」ことを「わかる」振りをしても仕方がないですし、そもそも自分は「わからない」ことが恥だとは思っていないのです。

 その一方で「わかる」映画も稀にですがあります。
 例えばフランス発のホラー映画『マーターズ』がそうですね。
 難解な作品として知られる『マーターズ』ですが、自分にはすごくわかりやすい映画でした。
 そしてそのレビュー、というか考察文もそれなりに支持を得ています(こちら)。

 また同じように「わかる」映画でありながら、その考察文がまったく支持されない作品もあります。
 それが『ガタカ』です。
 ぶっちゃけ拙ブログで『ガタカ』の考察文をどれぐらい書いたのか、書いた本人にもわかりません。
 なぜそれほどまでに『ガタカ』の考察文を延々と書いているかというと理由は簡単、その考察文を支持してくれる人が皆無だからです。
 一人でも「その通りですね!」と言ってくれる人が現れたら、そこで筆を置くことが出来るのですが、現れないので延々と書く羽目になっています。

 物語の終盤、木星に旅立つビンセントに、親友のジェロームが、一年後ビンセントが地球に帰還した時のために大量の血液と尿の検体を用意し、披露するシーンがあります。
 感動的なシーンですが、よくよく考えるとおかしいのです。
 まず血液は一度に大量に採取することが出来るものではなく、また長期間の保存の効くものでもありません。
 なのでこのシーンでジェロームが用意した血液と尿の検体はすべてフェイクなのだと自分は考えました。

 問題はなぜジェロームがそのような芝居をしたのかですが、もちろんその説明もつきます。
 大量の検体を用意したジェロームを見て、皆さんはどう思いましたか?
 こう思われたのではないでしょうか、ジェロームはそれほどまでにビンセントが地球に帰還すると信じているのか、と。
 そうです、ジェロームはそう思わせるのが目的だったのです。
 なぜならジェロームはビンセントが地球に帰還するとは思っていなかったから。
 思っていなかったからこそ一芝居打つ必要があったのです。

 ともかく、血液は一度に大量に用意できるものではなく、また長期間の保存が効くものでもないというのは、そんなに難しいことを言っているつもりはありません。
 むしろ、言われてみれば当たり前のことを言っているつもりです。
 でも理解出来ない人には理解出来ないんですよね。

 以前ある人に、一年間冷蔵庫で保存していた牛乳を飲め、と言われても飲めないでしょう?同様に一年間冷蔵庫に保存していた血液は変質して検査に適することはないですよ、と言ったことがあります(牛乳と血液は成分が酷似しています)。
 その人はこう言い返してきました。
 LL牛乳を知らないんですか?(LL牛乳と同じ処理をすれば血液も長期保存が出来るはず)と。
 う~ん、、、と唸ってしまいました。
 その手があったか、と感心したのではありません。
 牛乳を例にしたら、LL牛乳を持ち出す、ああ言えばこう言うっぷりについていけないなと思ったのです。

 LL牛乳のことは知っています。
 通常の牛乳よりも高温で殺菌処理した牛乳のことです。
 でもそのような熱処理をすれば血液内のDNAは間違いなく全滅します。
 そのことを指摘すると以後その人からの反論コメントはありませんでした。

 好きな映画について議論することは楽しいことです。
 真理により近づけるような気がします。
 しかし、簡単に論破されるような屁理屈をこねる相手ではその限りではありません。

 血液は一度に大量に用意出来るものではなく、また長期保存が出来るものではないというごく当たり前のことが多くの『ガタカ』好きに受け入れられないことが自分にはとても不思議です。
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久しぶりにDVDの大人買いをしました。

2024-04-24 20:31:57 | 旧作映画
 先週の土曜日、携帯電話の買い替えに時間がかかり、上映開始時刻も都合が悪かったため、映画を観に行けなかったというようなことを書きました。
 代わりにゲオで久しぶりにDVDの大人買いをしました。
 この場合の大人買いというのはアダルトなDVDを購入したという意味ではないですよ。
 レンタル落ちの中古DVDを購入したというだけですがけどね。
 まぁ大人買いといっても5枚1000円だったので、小学生の小遣いでも買えちゃいますが。
 購入したのは次の5作品。
 『ストレンヂア-無皇刃譚-』『女優霊』『小さい魔女とワルプルギスの夜』『ハービー 機械仕掛けのキューピッド』『ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ』の5作です。

 今回の大人買いにはかなり満足しています。
 『女優霊』なんて長く見たかった作品ですしね。
 いつから中古DVDコーナーにあったんだろう?
 この前来たときはなかったと思うんだけど、、、まぁともかく手に入れられて幸いです。

 などと言ってはいますが、実際の鑑賞はかなり先になりそうです。
 ゴールデンウイークには予定がありますし、それでなくても録画していたドラマやアニメを見なくちゃいけないので…。
 何とか今年中には見たいです(長いな!)。
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DVD三昧の週末、続き。

2023-12-05 20:33:48 | 旧作映画
 昨日の続きです。

『テリファー 終わらない惨劇』
 10ヶ月前に借りたDVDは前作の『テリファー』でした。
 続編が全米でスマッシュヒットしているという話を聞いて(正確には全米で失神者続出という話を聞いて)、そんなにすごいホラー映画なのかと興味を抱いて見たのです。
 実際観賞して驚きましたね。
 ごくフツーのB級ホラー映画だったので。
 確かに残虐なシーンはあるのですが、内臓にしろ、脳みそにしろ、どう見てもラテックス製(ゴム)ですし、飛び散る血は絵の具にしか見えません。
 身体を半分に裂かれた人間が、裂かれた状態で「ギャー」って叫んでますからね。
 あんな状態になった人間が叫べるわけがない。
 とにかく残虐なシーンはあってもそこにリアリティは皆無なので、怖いとか、気持ち悪いとか、吐き気がするとかそういうことはまったくなかったです。
 続編である本作は基本的に前作を踏襲していますが、ファンタジー的要素が加えられています。
 そのことでいろいろ考察している人がいますが、単純に監督のデイミアン・レオーネがそういうものが好きというだけだと思いますよ。
 仮にレオーネ監督にインタビューする機会があるとしたら、「ワンダーウーマンは好きですか?」と聞いてみたいですね。
 彼が「ワンダーウーマン?何それ?」って答えたら、自分は彼をグーで殴ります。笑。
 来年はパート3が公開されるようですが、たぶん観に行かないと思います。

『ドラキュラ デメテル号最後の航海」
 今回借りたDVDの中で一番つまらなかったのがこれ。
 ブラム・ストーカーの原作に準拠しているようですが、作中出てくるドラキュラがまったく知的には見えず、ただの翼の生えた猿にしか見えなかったです。
 あんな猿が一つの村を支配していたとか言われても説得力が皆無でした。
 やっぱりドラキュラって知性が感じられないとね。

『ベネデッタ』
 最初このタイトルを聞いた時、似たようなタイトルのゲームがなかったっけ?と思ったのですが、あちらは『ヴェンデッタ』でした。
 ベネデッタ、ヴェンデッタ、ベネデッタ、ヴェンデッタ、ベネデッタ、ヴェンデッタ、ふっ、違いがわからねぇ。
 というようなどうでもいい戯言はさておき、先日の『ナポレオン』のレビューで、御年85歳のリドリー・スコットを指してすげぇぇジジィだと称しましたが、『ベネデッタ』の監督であるポール・バーホーベンも同じく85歳でした。
 85歳でこんなエロエロレズレズな作品を撮っちゃうなんて尊敬します。
 自分もいつまでもエロくありたいものです(何だそのまとめ方は)。

 今回のDVDレビューは以上です。
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お薦めのどんでん返し映画5作。

2023-11-02 22:05:20 | 旧作映画
 先日の記事で『ドミノ』はどんでん返し映画でも何でもない、というようなことを書きました。
 記事の中でも述べたことですが、どんでん返しってジグソーパズルの最後のピースをはめたら、これまで見ていたものとは別のものが浮かび上がる、そんな感じだと思うんです。
 単に予想外の展開や結末だっただけでどんでん返しとは言わないよ…。

 じゃあ、どういう映画がどんでん返し映画なのか、具体例を示すためにお薦めのどんでん返し映画を5作選んでみました。
 参考にしてもらえたら幸いです。

 ①『エンゼルハート』
 私立探偵のハリーは失踪した歌手の捜索を依頼されるが、ハリーの行く先々で陰惨な殺人事件が起こり…。
 どんでん返し映画といえばこれでしょ、と個人的に思うのですが、なぜかどんでん返し映画ランキングでは上位にランクインしてないんですよね。
 何でだろう?
 どんでん返し映画としてよく出来ていますが、ホラー映画としても秀逸です。
 あと、この映画を見るとなぜかゆで卵を食べたくなります。笑。

 ②『フレイルティ― 妄執』
 子煩悩だった父親がある日神の啓示を受け、悪魔退治を始める。父親から悪魔退治を手伝うように幼い息子たちは言われるが、悪魔とはどこにでもいる人間に過ぎなかった・・・。
 どんでん返しは出来ればラストで起きるのが理想だと思っていますが、本作のように中盤に起きることもあります。
 それでも本作のどんでん返しっぷりはピカイチだと思っています。

 ③『アイデンティティー』
 嵐のコテージに偶然集まった11人の男女。年齢も外見も異なる彼らだったが、意外な共通点があった…。
 ホラー映画からもう一本。
 ホラー映画とどんでん返しって相性がいいのかもしれません。
 本作はある意味究極のどんでん返し映画です。
 これに比べると『ドミノ』はどんでん返し度が低いと言わざるを得ません。

 ④『アップグレード』
 事故の後、暴漢に襲われ、恋人と体の自由を失った男。彼は復讐のために最新のAIを身体に組み込むことにするのだが…。
 SF映画から一本。
 どんでん返し映画としても面白いですが、SFアクション映画としても見る価値あり、です。

 ⑤『アヒルと鴨のコインロッカー』
 邦画から一本。
 小説を原作とする映画ってしばしば「何じゃ、こりゃ~」って松田優作ばりに叫びたくなるものもありますが、本作は伊坂幸太郎の原作小説も映画もどちらも負けず劣らず面白いです。

 この記事を書くために映画サイトのどんでん返し映画ランキングをいくつか回ったのですが、思いもよらぬ作品がランクインしていて、「え?」と思いました。
 フィンチャーの『セブン』なんて自分には衝撃的な結末の映画ではあっても、どんでん返し映画ではないのですが…。
 「どんでん返し」と一口に言っても定義は人それぞれなんですね。。。
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中洲大洋劇場の思い出。

2023-09-09 14:04:20 | 旧作映画
 中洲大洋劇場が2024年3月をもって取り壊されることになりました(こちら)。
 再開は未定とのことですが、アラブの大富豪が「再開にかかる費用はワシが全部持つ!」とでも言い出さない限り、再開は難しいでしょう。

 最後に観に行ったのはいつだったか、、、去年の7月に観た『ブラック・フォン』が最後だったかな。
 中洲大洋劇場は割引サービスが(ほぼ)ないので最近は足が遠のいてしまいました。

 とはいえ今でも好きな映画館であるのは間違いのです。
 特にスクリーン1の椅子の座り心地の良さは福岡県内1だと思っています。

 今日は中洲大洋劇場で観て、思い出に残っている映画とそのエピソードについて書いてみたいと思います。

 ある年の年末に友人三人を誘って中洲大洋劇場で『グリーン・インフェルノ』を観ました。
 飛行機事故によって未開のジャングルに放り出された大学生たちが人食い族に囚われてエライ目に合う、というお話です。
 実はこの映画鑑賞は実験の一環でした。
 何の実験かというと、人はホラー映画を観た後に焼肉を食えるのか、という実験です。
 四人いれば一人ぐらいは、あんな映画観た後で肉が食えるか!という奴がいるかと思ったのですが、実際はそんなことはなく、みんなガツガツと美味そうに肉を食べてました。
 結論、ホラー映画を観たからといって必ずしも食欲が減退するわけではない、むしろ増すこともある。

 中洲大洋劇場ではやっぱりホラー映画を観ることが多いですね。
 ホラー映画はお客さんが少ないことが多くて、『ハロウィンKILLS』を観に行った時は自分の他にお客さんが一人しかいませんでした。
 お客さんが少ない映画を観ることはままあるのですが、時には貸し切り状態で観ることもあるのですが、その時はそのたった一人のお客さんが前の席のヘッドレストに足を投げ出して観てるんです。
 それだけでも充分腹立たしいのですが、その足がちらちらとスクリーンに映るんですよ。
 イラっとしたので上映中、男の前に回り込んでじっと無言で睨みつけてやりました。笑。
 そしたら男は大人しく足を下ろしました。
 ホラー映画の鑑賞中、そんなことをされたら誰でもたぶんビビると思いますが、良い子の皆さんは危険なので決してマネをしないでくださいね。

 ホラー映画はお客さんが少ないと言いましたが、『ミッドサマー』を観た時は場内一席も余すことなく満員でした。
 しかもお客さんの七割方が女性で、妊婦と思しき方もいました。
 そんな経験、初めてだったので、映画の内容よりもその状況の方が気になって仕方ありませんでした。
 鑑賞後、その当時所属していた映画サークルのLINEのグループチャットにそのことを書き込むと、ある人から「マジレスすると福岡市民の半分以上は女性なので不思議なことではないと思います」とレスされました。
 自分が言ってることってそーゆーことじゃないでしょ!
 ちなみに『ゴーストランドの惨劇』というホラー映画を観て、「とてもよかったですが、暴力描写がハンパないのでそういうのが苦手な方は注意してください」とグループチャットに書き込んだら、同じくその人から「ネタバレの書き込みは止めてください」と注意されました。
 暴力描写がハンパないというのがネタバレ?
 当然その人とは犬猿の仲でしたが、最終的にサークルを追放されたのは自分の方でした。
 今となってはいい思い出です(んなわけない)。

 まぁそんなところかな。
 って中洲大洋劇場で映画を観て、ろくなことが起きてないな、、、まぁそれは中洲大洋劇場に限ったことではないですけどね。泣。
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