毎年、お正月休みになると、深夜に映画が放映されていた記憶があります。
端にも棒にも引っかからないB級映画だったり、逆に「え、これが放映されるの?」と思うような推し映画だったり、いろんな映画が年末年始にかけて放映されていました。
でも今年はそういうのがなかったですよね?
今年突然無くなったのか、それとも年ごとに減っていき、今年とうとうゼロになったのか、それはわかりませんが、残念と言えば残念です。
とはいえ、深夜帯以外では何本か放映されたので、それは見ました。
『ミステリと言う勿れ』もそのうちの一本です。
もしかしたら『ミステリと言う勿れ』というタイトルなので、それでよいのかもしれませんが、ミステリーとしてはお世辞にも出来が良いとは言えないと思いました。
例えば、、、ヒロインの汐路の父親は事故で亡くなるんですよ。
運転していた車がガードレールを突き破り、崖下に転落、炎上したのです。
しかしのちに彼はある人物に睡眠薬を盛られていたことがわかります。
父親の死は事故ではなく、殺人だったのです。
でも、それってあり得ないですよね。
なぜならガードレールを突き破ったということは相当なスピードが出ていたということになります。
スピードが出ていたということはアクセルを踏み続けていたということです。
睡眠剤を服用した状態ではそれは出来ないことじゃないでしょうか。
もし仮に何らかのアクシデントでアクセルが踏み続けられたとしても、同乗者がいたのであれば、運転手の異常に気付いた時点でサイドブレーキを引くか、ハンドルを操作すればそれで済むことです。
睡眠薬を盛るという手段で運転中の人物を殺害しようとするのはずいぶん確率の低いやり方だと言わざるを得ません。
ガードレールにバンパーをこすっただけで終わってしまったとしたら、睡眠薬を盛った人物はどうするつもりだったんでしょうか?
次の手段を考える?
警戒されるかもしれないのに?
一事が万事こんな感じで、ミステリーとしては全体的にお粗末で、とても及第点は与えられません。
ただ、「久能整」というキャラクターを楽しむ映画としてはアリなのかもしれません。
でもこの映画を見て、本当に言いたいことは別にあります。
この映画、脚本家がドラマ『セクシー田中さん』の脚本を担当した人なのですが、未だにそのことでクレームをつけている人が少なからずいるのです。
『セクシー田中さん』の原作者である芦原妃名子氏が自殺した件において、一番間違っていたのは誰かなのか、死者に鞭打つようですが、自分は他でもない芦原氏本人だと考えています。
芦原氏はドラマ化を許可する際、ドラマは原作に忠実であることという条件を出したうです。
原作に忠実であるようにと言われて、ドラマのプロデューサーも別に「いや、絶対に忠実には作らないぞ」と誓ったわけではないでしょう。
ただ、忠実の度合いが、芦田氏が90~100%だったのに比べ、プロデューサーは60~70%だった。
純粋に作品のことだけを考えられる芦田氏とスポンサーや視聴率のことまで考えなければいけないプロデューサーとの間でそういった差異が生じたとしても仕方がないことだと思います。
それを責めるのは酷というものではないでしょうか。
ドラマ化の際に原作者が条件を出すこと自体は決して間違ってはいないし、当然の権利だと思います。
ただ、「忠実であるように」といった、抽象的で具体性を欠く、人によって答えがいくつもあるような条件を出すのは間違っていると思うのです。
条件を出すのであれば、このエピソードは作品の根幹をなす重要なテーマとなっているので必ずドラマでも採用すること、といった具体的なものにするべきだったのではないでしょうか。
もう一つ、芦田氏が間違っていると思うことがあります。
それは自殺したことです。
自分はドラマの『セクシー田中さん』しか知りませんが、そのテーマを「世の中には無理解や不条理がいくらでもあるけど、そういったものにめげることなく、前向きに、自分らしく、胸を張って生きていこう」というふうに捉えました(全然トンチンカンかもしれませんが)。
それなのに、ドラマが原作に忠実ではなかったから絶望した、死にます、では原作者自身が原作を裏切っているとしか言いようがないと思うのです。
件の脚本家にまったく落ち度がないとは思いません。
ただ、あの一件で引退をしなければいけないほどの責はないと自分は考えます。
彼女が再び脚本を手掛けられるようになったらいいのですが、さて…。
端にも棒にも引っかからないB級映画だったり、逆に「え、これが放映されるの?」と思うような推し映画だったり、いろんな映画が年末年始にかけて放映されていました。
でも今年はそういうのがなかったですよね?
今年突然無くなったのか、それとも年ごとに減っていき、今年とうとうゼロになったのか、それはわかりませんが、残念と言えば残念です。
とはいえ、深夜帯以外では何本か放映されたので、それは見ました。
『ミステリと言う勿れ』もそのうちの一本です。
もしかしたら『ミステリと言う勿れ』というタイトルなので、それでよいのかもしれませんが、ミステリーとしてはお世辞にも出来が良いとは言えないと思いました。
例えば、、、ヒロインの汐路の父親は事故で亡くなるんですよ。
運転していた車がガードレールを突き破り、崖下に転落、炎上したのです。
しかしのちに彼はある人物に睡眠薬を盛られていたことがわかります。
父親の死は事故ではなく、殺人だったのです。
でも、それってあり得ないですよね。
なぜならガードレールを突き破ったということは相当なスピードが出ていたということになります。
スピードが出ていたということはアクセルを踏み続けていたということです。
睡眠剤を服用した状態ではそれは出来ないことじゃないでしょうか。
もし仮に何らかのアクシデントでアクセルが踏み続けられたとしても、同乗者がいたのであれば、運転手の異常に気付いた時点でサイドブレーキを引くか、ハンドルを操作すればそれで済むことです。
睡眠薬を盛るという手段で運転中の人物を殺害しようとするのはずいぶん確率の低いやり方だと言わざるを得ません。
ガードレールにバンパーをこすっただけで終わってしまったとしたら、睡眠薬を盛った人物はどうするつもりだったんでしょうか?
次の手段を考える?
警戒されるかもしれないのに?
一事が万事こんな感じで、ミステリーとしては全体的にお粗末で、とても及第点は与えられません。
ただ、「久能整」というキャラクターを楽しむ映画としてはアリなのかもしれません。
でもこの映画を見て、本当に言いたいことは別にあります。
この映画、脚本家がドラマ『セクシー田中さん』の脚本を担当した人なのですが、未だにそのことでクレームをつけている人が少なからずいるのです。
『セクシー田中さん』の原作者である芦原妃名子氏が自殺した件において、一番間違っていたのは誰かなのか、死者に鞭打つようですが、自分は他でもない芦原氏本人だと考えています。
芦原氏はドラマ化を許可する際、ドラマは原作に忠実であることという条件を出したうです。
原作に忠実であるようにと言われて、ドラマのプロデューサーも別に「いや、絶対に忠実には作らないぞ」と誓ったわけではないでしょう。
ただ、忠実の度合いが、芦田氏が90~100%だったのに比べ、プロデューサーは60~70%だった。
純粋に作品のことだけを考えられる芦田氏とスポンサーや視聴率のことまで考えなければいけないプロデューサーとの間でそういった差異が生じたとしても仕方がないことだと思います。
それを責めるのは酷というものではないでしょうか。
ドラマ化の際に原作者が条件を出すこと自体は決して間違ってはいないし、当然の権利だと思います。
ただ、「忠実であるように」といった、抽象的で具体性を欠く、人によって答えがいくつもあるような条件を出すのは間違っていると思うのです。
条件を出すのであれば、このエピソードは作品の根幹をなす重要なテーマとなっているので必ずドラマでも採用すること、といった具体的なものにするべきだったのではないでしょうか。
もう一つ、芦田氏が間違っていると思うことがあります。
それは自殺したことです。
自分はドラマの『セクシー田中さん』しか知りませんが、そのテーマを「世の中には無理解や不条理がいくらでもあるけど、そういったものにめげることなく、前向きに、自分らしく、胸を張って生きていこう」というふうに捉えました(全然トンチンカンかもしれませんが)。
それなのに、ドラマが原作に忠実ではなかったから絶望した、死にます、では原作者自身が原作を裏切っているとしか言いようがないと思うのです。
件の脚本家にまったく落ち度がないとは思いません。
ただ、あの一件で引退をしなければいけないほどの責はないと自分は考えます。
彼女が再び脚本を手掛けられるようになったらいいのですが、さて…。