注意!本文は
『近況報告』に続く、伊坂幸太郎著『残り全部バケーション』を読んでないと意味が分からない二次創作です。
といっても『残り~』を読んだ人が読んで面白いかどうかは定かではないです。
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「画(え)を描いたのは溝口の奴なんだろう?」
毒島はことも無げに言った。
岡田が連れてこられたのは都内にあるマンションの一室だった。さほど広くはない。調度品は錆びたパイプ椅子が二つあるだけで、天井からは時代錯誤の感がある裸電球がぶら下がっていた。普段この部屋が何に使われるのか、岡田は想像したくなかった。
「溝口はお前がすべてやったって言ってる。だが、それが嘘だってことぐらい俺にもわかる。俺だって馬鹿じゃないからな」
部屋には岡田と毒島の二人きりだった。毒島が武器を携帯している様子はない。加えて極めて無防備に見えた。何しろ座っている岡田に背を向けて話をしているのだから。
椅子に縛り付けられているわけでもない岡田はいつでも背後から毒島に飛びかかることが出来たが、それでも岡田は毒島に勝てる気がしなかった。
「だんまりか?溝口は命をかけてまで忠義立てするような野郎じゃねぇぞ」
毒島がゆっくりと振り返る。冷酷な視線が岡田の体を射抜いた。
「忠義立てとか、そんな大層なものじゃないですよ」
部屋に通されてからずっと押し黙っていた岡田が初めて口を開いた。
「溝口さんは俺にとって友だちみたいなものですから。忠義立てとかそんなことはしませんよ」
溝口が友だちかよ、と毒島がおかしそうに笑った。
「友だちを売るような真似は出来ないですよ。毒島さんは怖い人だって噂ですから」
「お前はその友だちに売られたんだぞ」
毒島がさもおかしそうに言う。
「仕方ないですよ。溝口さんはそういう人だから」
「そうか、仕方ないか」
そう言って納得したかのように頷きながら、毒島が向かいのパイプ椅子に座った。
「その噂」
「え?」
「噂だよ。毒島さんは怖い人だっていう噂」
「はい」
「その噂を流したのは俺だ」
「え?」
「この業界はイメージが大切だからな。怖い人だというイメージは何かと役に立つんだよ」
噂の半分は作り話だ、と毒島は悪びれもせずに言う。残り半分が本当なら、やはり怖い人なのではないかと岡田は思う。
「溝口は殺さねえよ」
毒島が物騒な台詞をあっさりと口にした。
「信用できないって顔をしてやがるな。だが本当だ。俺には溝口を殺さない理由がある」
そして毒島はドアの方を一瞥する。その向こうに誰か立ってでもいるかのように。
「いいか、この話は誰にも言うなよ。誰かに言ったらその時は間違いなくお前を殺す」
少しの間を置いて毒島はこう言った。
「俺は溝口に命を助けられたことがある」
一瞬聞き間違えたのかと岡田は思う。溝口が毒島の命を助けることなど、毒島本人から聞いたとしても俄かには信じがたい話だ。
「ずいぶん昔の話だ。女に買ってやったマンションの部屋で俺は銃を持った四人の男に囲まれた」
さすがにこのときばかりは駄目かと思ったんだがな、と毒島が続ける。
「そのとき溝口が現れたんだよ。窓の外に」
え?と岡田は聞き返す。
「そうだ、窓の外にだ。溝口はアドバルーンにぶら下がっていた」
毒島が遠くを眺めるような表情を浮かべる。
「男たちの注意が一瞬溝口の方にそれた。ほんの一瞬だがな。だがその一瞬で俺には充分だった。俺は四人の男たちを倒すことが出来た」
毒島は向き直った。
「溝口がなぜそのときアドバルーンにぶら下がっていたのか、そんなことは知らない。知りたくもない。だがアドバルーンにぶら下がった溝口が現れたおかげで俺は助かった。溝口は命の恩人だ。だから溝口は殺さない」
わかったか、と聞かれ、岡田は素直に頷く。
「もっともこのことは溝口も知らないはずだ。あのとき奴はアドバルーンにぶら下がるのに必死で、そのマンションで何が起きてるかなんて見ちゃいないだろうからな」
おそらくそうなのだろう。でなければ、溝口の口から直接毒島を助けたことを自慢話として聞かされていたはずだからだ。
「溝口は殺さない。だが、俺に歯向かった奴に何の罰も与えないというわけにはいかない。イメージの問題があるからな」
だから、お前には死んでもらうことにした、と毒島に言われ、岡田は驚く。
「心配するな、本当に殺しはしない。だが死んだことにさせてもらう」
お前には悪いがそうさせてもらうに決めた、と毒島は悪びれる様子もなく言った。
「早速で悪いが、今夜にでも東京を離れてもらおうか。家族にも恋人にも誰にも連絡をつけずにな。もちろん溝口にもだ」
急に言われても納得できる話ではなかったが、この話を受けることで溝口の命が助かるなら悪くないかもしれないと岡田は思い直す。
わかりましたよ、と観念したように岡田は言った。
「今夜にでも東京を離れることにします。どこか地方の町に行って目立たないように暮らします。俺からは誰にも連絡は取らないって約束しますよ」
でも、と岡田は続ける。
「俺からは誰にも連絡しません。でも知り合いの誰かが俺のことを偶然見つけたときはどうします?俺はそんなに嘘が上手い方じゃないですよ」
岡田の言葉に毒島は少し考えてから、そのときは大目に見てやるよ、と言った。
「それにしてもお前は運がいい」
毒島が急に真顔になる。
「もしお前があっさりと溝口を売るような奴だったら、お前は生きてこの部屋を出られなかった」
お前は運がいい、毒島はそう繰り返した。