またかよ!と思われる方もいるかもしれませんが、というか、ほとんどかもしれませんが、思うところがあるので書きます。
世の中こんな考え方をする奴もいるんだなぁと軽く聞き流してやってください。
先日、プレゼントには送り主の心が込められているので、どんなプレゼントであれ粗雑に扱うべきではないという記事を書いたところ、ある方から次のようなコメントをいただきました。
【以前知り合いから大量のぬいぐるみをプレゼントされたのだが、あまりに大量だったので処分に困って、貰い手が見つからないものはゴミとして捨ててしまった。そういったケースもあるのでプレゼントを粗雑に扱うなといわれても無理な場合もある。】(←要約)
確かに、贈られたプレゼントを最終的にゴミとして処分しなければいけない場合もありますよね。仕方がないと思います。
おぃおぃ、ちょっと待て、プレゼントを粗雑に扱うなと言っておきながら、ゴミとして捨てることを認めるのかよ、と仰る方がいるかもしれません。
極端に言えば、まぁそういうことになりますね。
藤子不二雄の漫画『オバケのQ太郎』に次のようなシーンがあります。
ある日Q太郎はガールフレンドのU子がアメリカ帰りのオバケのドロンパからケーキをもらって喜んでいるのを目撃します。
よ~し、自分はもっとたくさんのケーキをU子ちゃんにプレゼントしよう!
そう決心したQ太郎は苦心惨憺、たくさんのケーキを手に入れ、それをU子にプレゼントしました。
ありがとう、Q太郎さん!そう喜んでもらえるものと思っていたQ太郎に投げかけられたのは「こんなたくさんのケーキ、食べられるわけないでしょ!!」というU子の無情な言葉でした。
あわれQ太郎は今日もトボトボと一人家路に着くのでした…。
細かいところまでは覚えていないのですが、まぁこんな感じだったと思います。
このときQ太郎の行動には何らかの非があるでしょうか?
ない、ですよね。
Q太郎は単にU子に喜んでもらおうと思って行動しただけなのですから。
責められるべき非があるとは思えません。
Q太郎に非がないのであれば、U子はプレゼントされたケーキをすべて受け取らなければならなかったのか。
そんなことはないと思います。
受け取れない理由や事情があるならば、受け取らないという選択もありですよね。
ただし、このときのU子の態度はない。
なぜかというとQ太郎の善意を踏みにじるものだから。
同じ断わるにしても、「気持ちは嬉しいけど、今日はお腹が一杯だから(受け取れない)」と言って断ればいいと思います(実際にはU子であれば、十個や二十個ぐらいのケーキだったらペロリと平らげると思いますが)。
上述の知人から大量のぬいぐるみをもらった方でいえば、気に入った奴だけを一個か二個もらい、あとは返却するというのが一番正しい対応だったと思います。
しかし何らかの事情があって返却が出来ない場合は捨てるのもやむを得ないでしょう。
ぬいぐるみっていうのはやっぱり場所を取りますからね。
家が無限に広くない限り、置けるぬいぐるみの数が限られるのも当然です。
このとき、ぬいぐるみを捨てることは粗雑な扱いになるのか?
そんなことはないと思います。
捨てると言っても右から左に捨てたわけではなく、どうするべきか散々悩んだ挙句に捨てたというのであれば、それはきちんとした対応であるといえるのではないでしょうか。
こういった悲劇がなぜ起きるのかというと、贈る側と贈られる側に嗜好や趣味、許容度に違いがあるからです。
まぁ当たり前ですよね。
それらがすべて同じ人間というものはおそらく存在しません。
そしてこれらの違いは決して罪にはならないと自分は考えます。
Q太郎は何もU子を不快にさせようとたくさんのケーキを集めたのではないでしょうから。それはぬいぐるみの贈り主にしても同じでしょう。
人はすべての結果を予想して行動できる生き物ではありません。
それもまた当たり前のことです。
また、押し付けはよくないという話もよく聞きます。
ではどの時点で押し付けになるのでしょう?
自分は返却を申し出て、その返却を贈った側が拒否した時点からだと思います。
どんなプレゼントであれ、贈った時点では(贈る側に悪意がないのであれば)押し付けにはならない、自分はそう考えます。
段ボール十箱分のみかんを贈られて閉口したとしても、それは押し付けや強制ではなく、贈る側がそれぐらいのみかんを贈っても喜んでもらえると思った、許容度の違いによる悲劇といえるのではないでしょうか。
それから、、、押し付けって本当によくないんでしょうか?
そう言ったら、当たり前だろ!!価値観の押し付けなんて最低に決まっている!!そう憤慨する方もきっといるでしょう。
でも、誰からも何も押し付けられることのないのも虚しいものですよ。
今の自分がそうですが。
今の自分に対して、何かを大量に贈りつけてきたり、「この映画、絶対に見てください!!」と強力にプッシュしたり、その他何かを押し付けたりする人はいません。
まぁ気楽でいいといえばそうですが、ときどきふっと虚しさを覚えます。
押し付けという行為は結局自分が気になる相手にしかしないものですからね。
押し付けなんてゴメンだ、と言ってる人は押し付けをする誰かがいるという有難味がわかっていないのでしょう。
そんなもの、わかりたくはないでしょうけれど。笑。
世の中こんな考え方をする奴もいるんだなぁと軽く聞き流してやってください。
先日、プレゼントには送り主の心が込められているので、どんなプレゼントであれ粗雑に扱うべきではないという記事を書いたところ、ある方から次のようなコメントをいただきました。
【以前知り合いから大量のぬいぐるみをプレゼントされたのだが、あまりに大量だったので処分に困って、貰い手が見つからないものはゴミとして捨ててしまった。そういったケースもあるのでプレゼントを粗雑に扱うなといわれても無理な場合もある。】(←要約)
確かに、贈られたプレゼントを最終的にゴミとして処分しなければいけない場合もありますよね。仕方がないと思います。
おぃおぃ、ちょっと待て、プレゼントを粗雑に扱うなと言っておきながら、ゴミとして捨てることを認めるのかよ、と仰る方がいるかもしれません。
極端に言えば、まぁそういうことになりますね。
藤子不二雄の漫画『オバケのQ太郎』に次のようなシーンがあります。
ある日Q太郎はガールフレンドのU子がアメリカ帰りのオバケのドロンパからケーキをもらって喜んでいるのを目撃します。
よ~し、自分はもっとたくさんのケーキをU子ちゃんにプレゼントしよう!
そう決心したQ太郎は苦心惨憺、たくさんのケーキを手に入れ、それをU子にプレゼントしました。
ありがとう、Q太郎さん!そう喜んでもらえるものと思っていたQ太郎に投げかけられたのは「こんなたくさんのケーキ、食べられるわけないでしょ!!」というU子の無情な言葉でした。
あわれQ太郎は今日もトボトボと一人家路に着くのでした…。
細かいところまでは覚えていないのですが、まぁこんな感じだったと思います。
このときQ太郎の行動には何らかの非があるでしょうか?
ない、ですよね。
Q太郎は単にU子に喜んでもらおうと思って行動しただけなのですから。
責められるべき非があるとは思えません。
Q太郎に非がないのであれば、U子はプレゼントされたケーキをすべて受け取らなければならなかったのか。
そんなことはないと思います。
受け取れない理由や事情があるならば、受け取らないという選択もありですよね。
ただし、このときのU子の態度はない。
なぜかというとQ太郎の善意を踏みにじるものだから。
同じ断わるにしても、「気持ちは嬉しいけど、今日はお腹が一杯だから(受け取れない)」と言って断ればいいと思います(実際にはU子であれば、十個や二十個ぐらいのケーキだったらペロリと平らげると思いますが)。
上述の知人から大量のぬいぐるみをもらった方でいえば、気に入った奴だけを一個か二個もらい、あとは返却するというのが一番正しい対応だったと思います。
しかし何らかの事情があって返却が出来ない場合は捨てるのもやむを得ないでしょう。
ぬいぐるみっていうのはやっぱり場所を取りますからね。
家が無限に広くない限り、置けるぬいぐるみの数が限られるのも当然です。
このとき、ぬいぐるみを捨てることは粗雑な扱いになるのか?
そんなことはないと思います。
捨てると言っても右から左に捨てたわけではなく、どうするべきか散々悩んだ挙句に捨てたというのであれば、それはきちんとした対応であるといえるのではないでしょうか。
こういった悲劇がなぜ起きるのかというと、贈る側と贈られる側に嗜好や趣味、許容度に違いがあるからです。
まぁ当たり前ですよね。
それらがすべて同じ人間というものはおそらく存在しません。
そしてこれらの違いは決して罪にはならないと自分は考えます。
Q太郎は何もU子を不快にさせようとたくさんのケーキを集めたのではないでしょうから。それはぬいぐるみの贈り主にしても同じでしょう。
人はすべての結果を予想して行動できる生き物ではありません。
それもまた当たり前のことです。
また、押し付けはよくないという話もよく聞きます。
ではどの時点で押し付けになるのでしょう?
自分は返却を申し出て、その返却を贈った側が拒否した時点からだと思います。
どんなプレゼントであれ、贈った時点では(贈る側に悪意がないのであれば)押し付けにはならない、自分はそう考えます。
段ボール十箱分のみかんを贈られて閉口したとしても、それは押し付けや強制ではなく、贈る側がそれぐらいのみかんを贈っても喜んでもらえると思った、許容度の違いによる悲劇といえるのではないでしょうか。
それから、、、押し付けって本当によくないんでしょうか?
そう言ったら、当たり前だろ!!価値観の押し付けなんて最低に決まっている!!そう憤慨する方もきっといるでしょう。
でも、誰からも何も押し付けられることのないのも虚しいものですよ。
今の自分がそうですが。
今の自分に対して、何かを大量に贈りつけてきたり、「この映画、絶対に見てください!!」と強力にプッシュしたり、その他何かを押し付けたりする人はいません。
まぁ気楽でいいといえばそうですが、ときどきふっと虚しさを覚えます。
押し付けという行為は結局自分が気になる相手にしかしないものですからね。
押し付けなんてゴメンだ、と言ってる人は押し付けをする誰かがいるという有難味がわかっていないのでしょう。
そんなもの、わかりたくはないでしょうけれど。笑。