月川翔監督、平手友梨奈主演、
『響 -HIBIKI-』、9/16、シネプレックス小倉にて鑑賞。2018年32本目。
結局映画は将棋フェスティバル終了後、シネプレックス小倉で観ることにしました。
Tジョイリバーウォーク北九州とシネプレックス小倉、JR小倉駅の案内所のおねーさんには「どちらも(JR小倉駅から)同じぐらいの距離ですよ」と言われたのですが、シネプレックス小倉の方が若干遠いような気がしました。
シネプレックス小倉の方が変化のない道をひたすらテクテクと歩いたからかなぁ。
今月は観ようかどうしようか、当落線上の映画が本当に多かったです。
具体的に挙げていくと『泣き虫しょったんの奇跡』、『ザ・プレデター』、『スカイスクレイパー』、そしてこの『響 -HIBIKI-』です(『MEG ザ・モンスター』はさすがに観ようとは思わなかった)。
その中で、今月の予定で挙げていた『泣き虫しょったんの奇跡』と『ザ・プレデター』を観らずに挙げていなかった『スカイスクレイパー』と『響 -HIBIKI-』を観たのは直感としか言いようがないですね。
そしてその直感は正しかったです。特に『響 -HIBIKI-』を映画館で観ることが出来たのは大正解でした。
まぁ何て言うか、傑作であると同時に問題作でしたね。
何しろヒロインの響が暴力を振るうことに躊躇をしないので、暴力を嫌悪する人は同時に本作も好きになれないかもしれません。
ただ響は決して理由もなく暴力を振るうことはないんですよね。
自らのアイデンティティを、もしくは大事な存在を守るがために彼女は暴力を振るう。
彼女が暴力を振るうシーンを見て、自分が不快に思うことはなかったです。
作中彼女は他者と上手くコミュニケーションが取れないアスペルガー症候群として描かれます。
不良の「殺すぞ」という脅し文句を本気で受け取り、相手が自分を殺そうとしているという前提で行動するのです。
一般人であれば「殺す」という脅し文句は本気ではないということはわかりそうなものですが、彼女には言葉の裏側が読めないのです。
その一方で彼女は文学の天才少女でもあります。
彼女のつむぐ物語は多くの人の心を揺り動かすのです。
ここで一つの疑問が浮かびます。
言葉の裏側が読めない人間が、果たして人の心を揺り動かす物語を作れるのか否か。
人によっては「否」と答えることもあるでしょう。
自分はあり得ないことではないと思います。
完全に私事なのですが、自分はときにある映画で、もしくはある小説で、(作者を除き)誰よりも深くその作品を理解しているのではないか、と思うことがあります。
それは感覚的なもので、理解しようと思って理解するのではなく、気がつくと理解しているのです。
それほど深い理解力があるのであれば、人の心を理解することも簡単なのでは、と思う方もいるかもしれませんが、実生活において他人が何を考えているのか、ほとんどわからないと言ってよいです。
なぜか?
理由は明白で、人は論理的に動かないからです。ときに明らかに自らの不利益になるように行動することもあります。
それは自分にとって理解しがたいことです。
一方、小説や映画の登場人物は一定のロジックに従って行動しています。別の言い方をすれば作者によってコントロールされています。
ですから、ロジックさえ押さえれば、行動が読めないなどということはないのです。
今のは作品を理解するポイントですが、作品を創作する際においても同じことが言えるのではないか、と思います。
つまり、一つのロジックさえ構築すれば、作品を創作することも可能ではないのか。その際、実在の人間の心を必ずしも理解する必要はないのではないか。
そんなふうに考えました。
お気に入り度★★★★、お薦め度★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。