「藤井システム」のマスターピース 佐藤康光vs羽生善治 1995年 第8期竜王戦 第3局

2021年07月05日 | 将棋・名局

 「藤井システムには、羽生善治の影響がある」

 

 というのは、よく言われることである。

 これは勝又清和七段の将棋講座や、なにより藤井猛九段本人が、ネット中継のトークなどで、何度も披露している話。

 ここで興味深いのは、藤井はほとんど自力で「システム」を構築し、「升田幸三賞」を受賞しているが、羽生は「歴史的名手」にかけては、それこそ数えきれないほど披露しているものの、新手や新戦法、いわゆる

 

 「羽生システム」

 「羽生流○○戦法」

 

 のようなものは発明してないし、升田幸三賞にも無縁である。

 これは芸術の世界などでよく言う、「から」と「から10」のちがいというもので、将棋界ではよく

 

 「創造型」

 「修正型」

 

 という言い方をするが、その意味では藤井は「創造型」の天才で、羽生は「修正型」の天才。

 この2つが、かみ合ったときに起る化学反応は、それはそれはすごいもので、まさに歴史を変えるほどの爆発力を発揮するのだ。

 前回は、丸山忠久九段の見せた「激辛流」を紹介したが(→こちら)、今回は「システム前夜」の、ある将棋を見ていただきたい。

 

 1995年の第8期竜王戦

 羽生善治六冠(竜王・名人・棋聖・王位・王座・棋王)と佐藤康光前竜王(当時は名人か竜王を失冠した棋士は「名人」「竜王」と呼ぶ、変な忖度があった)の7番勝負、第3局

 後手番羽生の四間飛車に、佐藤康光は得意の穴熊にもぐる。

 

 

 

 序盤で、まだ淡々と駒組が進みそうな局面に見えるが、ここで将棋界の大革命を誘発する手が飛び出す。

 

 

 

 

 

 △93桂と跳ねるのが、おもしろい一手。

 今なら、三間飛車における「トマホーク」や、関西の宮本広志五段が披露して、有名になった端桂のようだが、その元祖ともいえるのがこれ。

 

 

 

 2014年の第73期C級1組順位戦。永瀬拓矢六段と宮本広志四段の一戦。

 オーソドックスな対抗形から、▲25歩、△同歩、▲17桂と、宮本が端桂から突然に襲いかかる。

 玉頭戦になれば、深い位置の▲39玉型が働く形で、以下バリバリ攻めて強敵を圧倒。

 

 

 この形自体は、さかのぼれば林葉直子さんや、部分的には大山康晴十五世名人なんかも指してはいるけど、主に左美濃矢倉に対してで、居飛車穴熊相手にというのは存外見たことがない。

 以下、▲88銀△85桂と早くも飛び出して形を決めたあと、そこから一転、攻めるのではなく石田流に組み直し、じっくりと腰をすえる。

 

 

 

 意図としては、常に端攻めがある状態にして、先手にプレッシャーをかけようということだろう。

 たしかに、いつでも△96歩△97桂成がある状態だと、桂香を渡しにくいし、角筋にも注意を払っておかなければならない。

 穴熊得意の「自陣を見ずに攻める」展開にさせないということだ。

 そこから左辺で戦いがはじまり、後手はねらい通りに手をつける。

 もみ合っているうちに、むかえたのがこの局面。

 

 

 

 角銀交換で後手が駒損しているが、△85桂のボウガンが急所に刺さっており、強烈きわまりない。

 ▲98金と逃げても、△97歩など次々に追撃が来て、とても保たない形。

 まともな受けではどうしようもなく、アマ級位者レベルなら後手必勝といってもいい局面に見えるが、ここで佐藤康光が指した手がすばらしかった。

 

 

 

 

 

 ▲86金と上がるのが、ちょっと思いつかないしのぎ。

 これがならだれでも指すが、「ナナメに誘え」のを行くこの金上り。

 まさに、先入観にとらわれない指し手が武器である羽生の、お株を奪うかのような絶妙手だった。

 △97桂成には、▲98香の真剣白刃取りで、それ以上の攻めはない。

 

    

 後手はを攻めたからには、どこかで△96香と走りたいが、その瞬間に▲93角が一撃必殺で、ほぼ即死

 となると、これ以上の攻めがないのだ。

 △93桂から端の速攻という構想を、木っ端微塵に打ち砕かれた羽生。

 △63歩▲67飛に、△84歩を支えるが、△97にダイブできるはずの桂を、こうして守るようでは明らかに変調だ。

 佐藤は▲55角と急所に据えて、△28飛の打ちこみに▲74桂が、美濃囲いの急所であるコビンを攻める痛烈な一打。

 

 
 

 美濃囲いが、この角桂のスリングショットを、モロに食らっては受けがない。

 △同歩に、▲91角成

 △97銀と後手も必死に迫るが、かまわず▲93角と、これまたド急所の一手。

 

 

 

 △62玉▲84角成が胸のすく王手で、△73桂と合駒するしかないが、▲85金桂馬を取りはらって盤石。

 そこで△68飛成は、▲同金なら△98銀打で詰みだが、▲同飛が飛車の横利きで、▲98の地点を守ってピッタリ。

 しょうがない△29飛成に、▲98香で見事な受け切り。

 

 

 2枚のの圧力がすさまじく、挽回のすべもないまま羽生は完敗した。

 いかがであろうか、この将棋。

 羽生の△93桂からの趣向はおもしろかったが、佐藤康光はそれを完膚なきまで、叩きのめしてしまった。

 だがこの将棋は、単に振り飛車の敗局として、埋もれてしまうわけではなかった。

 藤井猛九段が、この将棋をひそかにチェックしていたからだ。

 当時の藤井システムはまだ未完成で、いくつかの「課題局面」を突破できずに悩んでいたが、なんとこの一局が、その突破口になったというのだ。

 それこそが、羽生の見せた「△93桂」の端ジャンプ。

 この手自体は、佐藤康光の剛腕によってはばまれたが、

 

 「居飛車穴熊相手に、早く桂馬を跳ねて速攻

 

 という、藤井システムのキモともいえる発想は、この将棋に大きな影響を受けたそうなのだ。

 また、△71玉型が、戦場に近くて反撃がきびしかったなら、

 

 「じゃあ、最初から居玉でよくね?」

 

 これら、「システムへの羽生善治の影響」というのは、藤井本人が各所で語っているところである。

 この将棋が1995年の11月7日。

 そして翌月の12月22日。

 

 

 

 B級2組順位戦の対井上慶太六段戦で、藤井システムの「完成形」がお

目見え。

 将棋界に革命が、勃発することになるのである。

 

 (大山康晴の晩年の受け編に続く→こちら

 (藤井システムと「一歩竜王」については→こちら

 

 


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