「藤井システムには、羽生善治の影響がある」
というのは、よく言われることである。
これは勝又清和七段の将棋講座や、なにより藤井猛九段本人が、ネット中継のトークなどで、何度も披露している話。
ここで興味深いのは、藤井はほとんど自力で「システム」を構築し、「升田幸三賞」を受賞しているが、羽生は「歴史的名手」にかけては、それこそ数えきれないほど披露しているものの、新手や新戦法、いわゆる
「羽生システム」
「羽生流○○戦法」
のようなものは発明してないし、升田幸三賞にも無縁である。
これは芸術の世界などでよく言う、「0から1」と「1から10」のちがいというもので、将棋界ではよく
「創造型」
「修正型」
という言い方をするが、その意味では藤井は「創造型」の天才で、羽生は「修正型」の天才。
この2つが、かみ合ったときに起る化学反応は、それはそれはすごいもので、まさに歴史を変えるほどの爆発力を発揮するのだ。
前回は、丸山忠久九段の見せた「激辛流」を紹介したが(→こちら)、今回は「システム前夜」の、ある将棋を見ていただきたい。
1995年の第8期竜王戦。
羽生善治六冠(竜王・名人・棋聖・王位・王座・棋王)と佐藤康光前竜王(当時は名人か竜王を失冠した棋士は「前名人」「前竜王」と呼ぶ、変な忖度があった)の7番勝負、第3局。
後手番羽生の四間飛車に、佐藤康光は得意の穴熊にもぐる。
序盤で、まだ淡々と駒組が進みそうな局面に見えるが、ここで将棋界の大革命を誘発する手が飛び出す。
△93桂と跳ねるのが、おもしろい一手。
今なら、三間飛車における「トマホーク」や、関西の宮本広志五段が披露して、有名になった端桂のようだが、その元祖ともいえるのがこれ。
2014年の第73期C級1組順位戦。永瀬拓矢六段と宮本広志四段の一戦。
オーソドックスな対抗形から、▲25歩、△同歩、▲17桂と、宮本が端桂から突然に襲いかかる。
玉頭戦になれば、深い位置の▲39玉型が働く形で、以下バリバリ攻めて強敵を圧倒。
この形自体は、さかのぼれば林葉直子さんや、部分的には大山康晴十五世名人なんかも指してはいるけど、主に左美濃や矢倉に対してで、居飛車穴熊相手にというのは存外見たことがない。
以下、▲88銀に△85桂と早くも飛び出して形を決めたあと、そこから一転、攻めるのではなく石田流に組み直し、じっくりと腰をすえる。
意図としては、常に端攻めがある状態にして、先手にプレッシャーをかけようということだろう。
たしかに、いつでも△96歩や△97桂成がある状態だと、歩や桂香を渡しにくいし、角筋にも注意を払っておかなければならない。
穴熊得意の「自陣を見ずに攻める」展開にさせないということだ。
そこから左辺で戦いがはじまり、後手はねらい通り端に手をつける。
もみ合っているうちに、むかえたのがこの局面。
角銀交換で後手が駒損しているが、△85桂のボウガンが急所に刺さっており、強烈きわまりない。
▲98金と逃げても、△97歩など次々に追撃が来て、とても保たない形。
まともな受けではどうしようもなく、アマ級位者レベルなら後手必勝といってもいい局面に見えるが、ここで佐藤康光が指した手がすばらしかった。
▲86金と上がるのが、ちょっと思いつかないしのぎ。
これが銀ならだれでも指すが、「金はナナメに誘え」の逆を行くこの金上り。
まさに、先入観にとらわれない指し手が武器である羽生の、お株を奪うかのような絶妙手だった。
△97桂成には、▲98香の真剣白刃取りで、それ以上の攻めはない。
後手は端を攻めたからには、どこかで△96香と走りたいが、その瞬間に▲93角が一撃必殺で、ほぼ即死。
となると、これ以上の攻めがないのだ。
△93桂から端の速攻という構想を、木っ端微塵に打ち砕かれた羽生。
△63歩、▲67飛に、△84歩と桂を支えるが、△97にダイブできるはずの桂を、こうして守るようでは明らかに変調だ。
佐藤は▲55角と急所に据えて、△28飛の打ちこみに▲74桂が、美濃囲いの急所であるコビンを攻める痛烈な一打。
美濃囲いが、この角桂のスリングショットを、モロに食らっては受けがない。
△同歩に、▲91角成。
△97銀と後手も必死に迫るが、かまわず▲93角と、これまたド急所の一手。
△62玉に▲84角成が胸のすく王手で、△73桂と合駒するしかないが、▲85金と桂馬を取りはらって盤石。
そこで△68飛成は、▲同金なら△98銀打で詰みだが、▲同飛が飛車の横利きで、▲98の地点を守ってピッタリ。
しょうがない△29飛成に、▲98香で見事な受け切り。
2枚の馬と金の圧力がすさまじく、挽回のすべもないまま羽生は完敗した。
いかがであろうか、この将棋。
羽生の△93桂からの趣向はおもしろかったが、佐藤康光はそれを完膚なきまで、叩きのめしてしまった。
だがこの将棋は、単に振り飛車の敗局として、埋もれてしまうわけではなかった。
藤井猛九段が、この将棋をひそかにチェックしていたからだ。
当時の藤井システムはまだ未完成で、いくつかの「課題局面」を突破できずに悩んでいたが、なんとこの一局が、その突破口になったというのだ。
それこそが、羽生の見せた「△93桂」の端ジャンプ。
この手自体は、佐藤康光の剛腕によってはばまれたが、
「居飛車穴熊相手に、早く桂馬を跳ねて速攻」
という、藤井システムのキモともいえる発想は、この将棋に大きな影響を受けたそうなのだ。
また、△71玉型が、戦場に近くて反撃がきびしかったなら、
「じゃあ、最初から居玉でよくね?」
これら、「システムへの羽生善治の影響」というのは、藤井本人が各所で語っているところである。
この将棋が1995年の11月7日。
そして翌月の12月22日。
B級2組順位戦の対井上慶太六段戦で、藤井システムの「完成形」がお
目見え。
将棋界に革命が、勃発することになるのである。
(大山康晴の晩年の受け編に続く→こちら)
(藤井システムと「一歩竜王」については→こちら)