王座戦第3局は衝撃の結末だった。
永瀬拓矢王座が「名誉王座」を、藤井聡太七冠が「八冠王」をかけて戦う今期王座戦五番勝負は2勝1敗と藤井が大記録に王手をかけた。
その第3局が永瀬勝勢から、まさかの後に、さらにまさかがズラリと並ぶような大逆転劇で藤井が勝利。
まだ結果が出たわけではないが、もしこれで「八冠王」が決まるなら、予選の村田顕弘六段戦、挑戦者決定戦の豊島将之九段戦に続く綱渡りであり、実力は当然として、藤井のおそるべき強運にも戦慄せざるを得ない。
こういうのは資料などで
「藤井〇-永瀬●」
みたいな記録だけあとで見ると、必然に見えるというか、
「藤井が順当に勝利」
「すべてが勝つ運命にあったのだ」
とか、したり顔で語ってしまいそうになるけど、そういうことではないのだ。
よくスポーツなどでも大きな大会で優勝したり、記録を達成するには、何回か
「もうダメだ」
「終わった」
という危機をくぐり抜けないといけないと言われるが、それがよくわかるドラマであるということで、今回はそういう将棋を。
1995年の将棋界は、かつてない「フィーバー」で持ちきりだった。
前年度、羽生善治六冠王が「七冠王」ねらって、最後のひとつとして挑戦した第44期王将戦は、フルセットの末に谷川浩司王将が防衛し、意地を見せた。
前人未到の大記録に「あとひとつ」までせまって、おあずけを喰らったのには大きな脱力感があったが、同時に「そら、そうやわな」という妙な納得感も感じられたものだった。
ところがどっこい、終わったと思ったところからの羽生のリカバリーがすさまじく、まずは棋王戦を3勝1敗、名人戦を4勝1敗と、どちらも森下卓八段を相手に防衛。
棋聖戦では三浦弘行四段を3連勝のストレートで、王位戦では郷田真隆五段を4勝2敗、王座戦では森雞二九段に苦戦しながらも3連勝で次々に防衛。
あと残る竜王戦で佐藤康光七段を破り、王将リーグも突破して挑戦者になれば「七冠ロードふたたび」になるという、とんでもないことになったのだった。
だがこの、最後の難関とも言える王将リーグは、なかなか羽生も楽には勝たしてくれなかった。
1回戦で村山聖八段を倒したものの、続く2回戦では森内俊之八段相手に大苦戦を強いられる。
図は森内が▲59香と田楽刺しを決め、羽生が△57歩とつないだところ。
馬が逃げると▲53香成でオシマイなので、やむを得ない歩打ちだが、馬が好機にボロっと取られることが確定しては、泣きたくなるようなところ。
その通り、ここで▲56香と打つのが意地悪な攻め。
△55歩と止めたいが、歩はすでに△57に打ってしまっており、二歩で不許可。
泣きの涙で△43金引と辛抱するが、これでは先手勝勢である。
……はずだったが、ここで森内が信じられないポカをやらかしてしまう。
▲92竜と入るのが、ありえない1手。
遊んでいる竜を活用して自然なようだが、これが大悪手になっているのだから、将棋はオソロシイ。
その瞬間にヒョイと△47馬とかわされると、ヒドイ形になっているのが分かる。
そう、ここでねらいの▲53香成を炸裂させると、△同金寄、▲同馬。
そこで△同金なら▲32金で詰みだが、馬を取らず△92馬と、飛車の方を取られてしまうのだ!
こんなことなら、先に▲58香と取って、△同歩成に▲92竜としておけばよく、それで先手は負けようがなかった。
森内からすれば、△58の馬はいつでも取れるもの。
そういう駒を一番いい時期に取りたいと保留するのは、強い人に共通の感覚であり「味を残す」なんて言い方をする。
ただ、それが裏目に出ることも、ままあるもので、それがまさにここ。
羽生からすれば、▲56の香と▲92の竜の位置関係が、馬の利き筋に入って絶好で、目を疑ったのではあるまいか。
△47馬以下、▲69金、△56馬、▲81竜、△25銀、▲同歩、△96桂で、投了寸前からこうなるのは夢のような展開。
ただ、こんなウッカリがあっても、まだ形勢は先手に分があった。
先手陣は上部が抜けており、今度は入玉のおそれが出てきたからだ。
▲97玉、△89馬、▲96玉に羽生は△71桂と、懸命にしがみつく。
犠打一発で、▲同竜に△84金としばるが、▲85馬と大駒を犠牲にムリヤリ上部を開拓して、やはり先手玉に寄りはない。
後手が入玉するのは絶望的だから、ここで点数を失ってもパワープレイで入ってしまえばよい。
△同金、▲同玉に一回△56歩と受けないといけないのでは、さすがに後手の猛追もここまでだ。
ここでは▲94玉とすれば入玉確定で、こうやって負けのない形にしてから後手玉にせまっていけば、やはり先手が楽勝だった。
ところが森内は、なにをあせったのか、ここで単に▲55桂としてしまう。
これにはすかさず△57歩成と取り、▲43桂不成(ここも成るのが正解)、△32玉、▲25歩、△56馬、▲57銀、△83香と上部を押さえられては先手が勝てない。
森内になにが起こったのかはわからないが、おそろしいほどの乱れで、まさかというウルトラ大逆転。
堅実派で取りこぼしの少ないこの男が、こんなことをやらかしてしまうのだから、将棋とはおそろしく、羽生も「持っている」としか言いようがない。
これで羽生は2連勝といいスタートを切ったが、まだまだこのリーグはすんなりとは終わらないのである。
(続く)