前回の続き。
1994年の第52期A級順位戦は、羽生善治四冠と谷川浩司王将とのプレーオフに突入。
最終戦で、勝てば即挑戦の羽生を押しとどめ、プレーオフに持ちこんだ谷川は見事だったが、ではこの決戦でどちらが有利なのかと問うならば、それはやはり羽生なのであった。
というのも、このころの谷川は羽生に強い苦手意識を抱いていた。
羽生はこの名人戦をステップに「七冠王」ロードを走ることになるのだが、それを1度阻止することとなる第44期王将戦まで、なんとタイトル戦でシリーズ7連敗を喫することとなる。
その内訳と言うのが、まず両者のタイトル戦初顔合わせとなった1990年の第3期竜王戦こそ、谷川が羽生を4勝1敗で一蹴し「羽生時代」に待ったをかけたが、そこからが大変なことに。
★1992年
第5期竜王戦 3勝4敗
第18期棋王戦 2勝3敗
★1993年
第62期棋聖戦 1勝3敗
第41期王座戦 1勝3敗
第63期棋聖戦 2勝3敗
★1994年
名人挑戦プレーオフ(←今ココ)
第64期棋聖戦 1勝3敗
第42期王座戦 0勝3敗
第44期王将戦 4勝3敗(七冠王を阻止)
これがキツいのは、このころは谷川もまた、キャリア最盛期と言えるほどの強さを誇っていたこと。
タイトル戦で7連敗するということは、その間ことごとくタイトル戦に出ていた証でもあるわけで、森下卓、佐藤康光、森内俊之、郷田真隆といった面々には本戦トーナメントなどで貫録を見せながら、最後の一人にはばまれてしまうだけで、こんなことになってしまう。
今の将棋界でも渡辺明名人・棋王、永瀬拓矢王座、豊島将之九段らが、藤井聡太五冠に大きいところでヒドイ目にあわされているが、谷川の場合はなまじ他で無双していた時期だけに、その被害を一人でかぶる羽目に。
アスリートの世界で「この人さえいなければ……」という悲劇はよくあるが、ほんの数年前「四冠王」だった谷川こそ先崎学九段をはじめとする同業者から、
「他の棋士と(強さが)大駒一枚ちがう」
つまりは、当時の谷川と互角に戦うには、飛車か角を落としてもらわないといけないくらい……というのはさすがにモノのたとえだが、それくらい絶賛されるほどの仕上がりっぷりだった。
羽生がいなければ、いやせめて「覚醒」がもう数年遅ければ、まさにこちらこそが先に「七冠王」になってもおかしくないはずだったのだ。
このあたりの心境を、谷川はのちのインタビューなどで素直に語っており、たとえば7連敗後の1994年後期、第65期棋聖戦で挑戦者決定戦に進出するも、そこで島朗八段に敗れる。
おしいところでリベンジのチャンスを逃したが、この結果を受けた記者が、
「今回のところは、負けて正直ホッとしてるんじゃないですか?」
そんな意地悪な質問をすると、谷川はムッとして「そんなことないですよ」と答えたが、後年、宝島社の本でインタビューを受けて、
「ああはいったものの、今思うと本当はどうだったかなと……(苦笑)」
また、羽生はこの後、名人位を獲得するのだが、谷川と羽生の名人になる経緯は、おどろくほど似たルートをたどっていることで有名だ。
両者ともプレーオフで名人経験者を破る(谷川は中原誠、羽生は谷川)。
対戦相手は前年度「悲願の」名人に1期だけ就いた大豪(谷川は加藤一二三、羽生は米長邦雄)。
スコアはともに3連勝、2連敗からひとつ勝って奪取。
もちろん、できすぎた偶然であるが、それ片づけるにはあまりにも運命的な符合にも見えた。
これを受けて谷川は、もともと将棋の神が自分に棋界を引っ張るよう託したが、それがうまくいかなかったので、
「同じシナリオを使って、羽生善治でやり直そうとしたのではないか」
という妄想にさいなまれることになったという。
中学生棋士からスタートし「21歳名人」になってこのかた、谷川は自分が将棋界に王として君臨することを、露とも疑ったことなどないはずだ。
そんな「神の子」が、自分はもしかしたら「神の失敗作」ではないかと苦悩する。
今でいえば、藤井聡太五冠が8歳年下の新星からすべてのタイトルを奪われ、
「なーんだ、【藤井時代】が来ると思ってたけど、そうじゃなかったんだ」
なんてことになるなど想像すらできないが、そのまさかがこのときの谷川には起こってしまった。
のちに谷川は羽生から「竜王名人」を奪い返す逆襲を見せるが、今から思うと、よくこのとき壊れなかったなと思うほどだ。
その気持ちの差が、この将棋でもハッキリと表われてしまう。
今度こそ勝ったほうが挑戦という決戦は角換わりになり、後手の羽生が棒銀を指向すると谷川は右玉でかわしにかかる。
羽生が3筋から桂頭をつっかけ、そこからむずかしい押し引きがあって、この局面。
まだ中盤戦だが、早くもここで谷川に敗着が出てしまう。
▲38銀打が力のない手。
ここは▲36銀打と上から打ち、△24桂、▲27歩、△15角、▲16歩、△36桂、▲同銀、△24角で上部の銀が厚く、まだ大変だった。
それを▲38銀打はいかにも弱気というか、駒が縮こまっている。
このあたり、植え付けられた苦手意識がモロにでてしまったか、とにかく「前進流」らしくない手であった。
ここからは羽生の独擅場で、△36歩と打ち、▲同銀に△同飛。
そこで▲27歩から追い返そうとするが、そこでスッパリ△56飛と切るのが気持ちのいい手。
▲同歩に△35角とこちらに引き、▲47銀、△65桂、▲67金左に△45桂が華麗すぎるさばき。
まるで、燃料切れで立ち往生する戦車をねらい撃つ戦闘爆撃機の群れであり、こんな気持ちよく駒を使われては先手に勝ち目はない。
またしても谷川は敗れた。完敗だった。その胸中は察するにあまりある。
一方の羽生は、もう称賛のしようもない強さ。
初のA級で、それも中原、谷川の名人経験者を蹴散らしての挑戦権獲得は、お見事の一言。
いよいよ、羽生がデビューした瞬間から待ち望まれていた「羽生名人」が現実に近づいてきた。
むかえうつのは「50歳名人」米長邦雄である。
(続く)
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