前回(→こちら)の続き。
「将棋のポカを語ったら、今度はいい手もやらなアカンで」
という友人のアドバイスと、コメントで好評をいただいたことにより、今回から私がおぼえている絶妙手について語ってみたい。
まず登場いただくのは、やはりこの人、羽生善治九段。
それも、まだデビューして間もないころの、とびきりのすごい手を紹介しよう。
1988年のC級1組順位戦の4戦目で、羽生善治五段は泉正樹五段と当たることとなる。
泉は3連勝、羽生は3回戦でベテラン佐藤義則七段に敗れて1敗。
昇級を争うには、どちらも負けられない、直接対決の大一番である。
終盤の妙技もすごいのだが、全体としてなかなかおもしろい将棋であり、参考になる手筋も多い。
手順もシンプルで追いやすいので、中盤戦からじっくりと見ていくことにしよう。
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泉の先手で、戦型は相矢倉。
矢倉らしく先手が先行し、後手番の羽生は受けに回る形に。
駒損ながら3筋に拠点を作った泉が、ここでいかにも矢倉という過激な手を披露する。
ヒントは、今一番先手がほしい駒は何?
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▲55銀と突進するのが、「野獣流」泉正樹の強烈な攻め。
先手はすでに、銀と桂香の二枚替えで駒損だが、その銀もいらないと捨ててしまう。
後手は△同金と取るが、そこでわれわれも大好きな▲33銀の打ちこみ。
△同銀、▲同歩成、△同金に▲34歩とたたくのが、まさに「一歩千金」の格言通り。
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この歩を打ちたいがための、銀の特攻なのだ。
矢倉や角換わりの将棋は、多少の損は気にせず、バリバリ攻めるのがいいらしい。
後手は△43金とよろけるが、すかさず▲33銀とおかわりで追撃。
こめかみへの一撃が強烈極まりなく、羽生は△31玉と落ちるが、これぞ「玉は下段に落とせ」の格言通り。
さらに「金をよこせ」と▲56金とぶつけ、これ以上先手に戦力をあたえられない後手は△54金と引く。
攻められっぱなしだが、相居飛車の後手番というのは、戦型によっては、こういう展開になりやすいのだ。
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ただ、こうしてじっと辛抱されると、攻め続けるのも大変である。
この局面、先手に手駒がなく、3筋の駒もダブって重く感じられる。
ここで足が止まると、後手には反撃の筋がいくらでもあるが、
「▲33の銀がいなければ、歩が成れるのになあ」
そう感じたアナタは、なかなかスルドイ。
「パンがなければケーキを食べればいいのよ」と言い放ったアントワネットのごとく、銀が邪魔なら捨ててしまえばいいのである。
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▲24銀成が、邪魔駒除去の華麗な手筋。
△同歩の一手に▲33歩成となって、大砲の前にトンネルが開通し、先手絶好調の図。
頭上に大穴が空いて、これ以上正面から受けられない羽生は、△37成桂と攻め駒の裏側からプレッシャーをかける。
泉はかまわず▲43と、と取る。
△36成桂と飛車を取られても、今度は▲24角と眠っていた角を飛び出して、気持ちよすぎるさばき。
「野獣流」の攻め、一丁あがりの巻である。
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さて、問題となるのが、この局面。
「先手がその利を生かして攻めまくり、後手がそれを耐えに耐え、最後に一瞬だけ攻めのターンが回ってくる」
という、相居飛車でよくあるパターンだ。
ここで、いいカウンターがないと、矢倉や角換わりの後手番は、なんの楽しみもないことになってしまう。
具体的には、次に先手が▲33角成とすれば、頭金の詰みが受けにくく、ほぼ必至。
だから、ここで詰めろ級の手が必要となる。
豊富な持駒はあるから、形は△86桂の「歩頭の桂」とか、△69銀とかける手だが(どちらも憶えておくと、とっても使える手筋です)、控室での棋士たちの検討でも、やや足りないという結論に。
なら後手負けかといえば、これがそうでもない。
なんといっても、指しているのが、あの「天才」羽生善治である。
当時まだ18歳の五段とはいえ、すでに実力はトップクラスと認められていた。
この少年なら、きっとすごい手で、皆をおどろかせてくれるに違いない。
その期待感は、今の藤井聡太に対するそれと同じようなものだ。
その視線を受け、はたして羽生は控室の面々が驚愕する一手を放つ。
だがそれは、並みいるプロたちの予想を超えた、すごい手だったからではない。
控室の検討で、
「この手だけは指してはいけない」
といわれた、だれが見てもわかる、ただの凡手だったからだ。
(続く→こちら)