「変な人は論理的である」。
というと、たいていの人は
「えー、そんなことないよ。変な人は考え方が論理的じゃないから変なんでしょ」
そう返してくるものだが、これがそうではない。
そこで前回は『寄生獣』のミギーやドイツのV2ロケットを例にあげたが(→こちら)、今回のテーマは「メルヘンとロジックは両立するのか」について。
ファンタジーと論理は、基本的には食い合わせが悪いものだが、荻原祐一さんの書いた『サンタクロース学』という本は、まさにその対立の火薬庫ともいえる緊張感をはらんだ内容となっている。
サンタクロースの起源から、その歴史や商業主義的見方など様々な視点から解説したものだが、圧巻なのが後半にあるサンタクロース本の紹介。
こういうところではふつう、
「この絵本のサンタはステキ」
「この歌に出てくるサンタはおもしろい解釈」
なんてメルヘンなところをフィーチャーするものだが、どっこいこの本は、そんな生ぬるい思想ではできていない。
どうも荻原先生は、真面目というか硬派なサンタクロースフリークであり、まがいものというか、サンタクロースのイメージを壊すような本はゆるせないらしい。
『トンデモ本の世界』シリーズでこの本を取り上げた唐沢俊一さんによると、たとえば
「なまけ者のサンタが、子供の願いを聞いてサンタの仕事の大切さに目覚める」
といった本を取り上げた場合。
「仕事」「責任」「大人になる」とはなにかを殊勝に問いかける、いい話だと思うのだが、先生は「こんな話はダメだ!」と断罪。
「サンタクロースが怠け者だななんて、そんなことはおかしい。これは、子供たちに間違った情報を与えることになる。こんなものがはびこるようでは日本も終わりだ!」
と大激怒。
これだけで、充分に荻原先生の情熱が伝わろうというもの。他にも「動物がサンタに扮する」という話があれば、
「サンタは動物ではない。安易に子供に媚びるな」。
また、「サンタさんの奥さん」が出てくる話には、
「サンタが結婚しているという話など聞いたことがない」。
「サンタの玄人」として、設定の不備はゆるせないと。それだけならただ口やかましいだけと言えなくもないが、荻原先生は続けて、
「それにこの話は、妻のサンタは家の仕事を押しつけられているという古いタイプの女性しか描いていない。現代風にアレンジするなら、サンタの仕事も家のこともお互いに平等にこなさなければならないのではないだろうか」
実にスルドク、ジェンダー論にまで切れこんでくる奥の深さ。
荻原先生はただの偏狭なガンコ者ではない、柔軟であり、女性の味方なのである。
一番「論理的」だと感心したのが、中国を舞台にしたサンタ話。
サンタクロースは世界中の子供、ヨーロッパだけでなく、アジアやアフリカにも出かけていってプレゼントを渡すもの。
その中には当然、中国も含まれているわけだが、荻原先生はそれはおかしいと一喝。
といっても別に、昨今流行りの嫌中というわけではなく、
「中国というのは共産主義国家である。共産主義とは唯物論的思想であり、宗教は否定される。なので、中国にサンタという存在はありえないのである!」。
つっこむとこそこかよ! と、思わず声に出したくなる、まこと見事な亜細亜サンタ論。
クリスマス前にほのぼのした本を読みたくて、サンタと共産主義という視点が飛んでくるとは思ってもみなかった。
まあ、たしかに共産主義バリバリ時代の中国では、キリスト教も肩身のせまい思いをしていたというのは、小田空さんの『中国いかがですか?』でも語られていたけど。
また北欧文学者で翻訳家の稲垣美晴さんの『サンタクロースの秘密』によると、フィンランドは世界から届く「サンタクロースへの手紙」に返事を出すというサービスを行っていた。
そこではスウェーデン語や英語にドイツ語、さらには日本語や韓国語のお便りにも、その国の言語で返事を返していたが、そこに中国語がなかったのも、おそらくは政治体制の影響なのであろうから、先生の言うことはもっともなのだ。
以上の例などをとっても、どうであろうか、変な人というのは、実はそのおかしさの原理は「論理的」であることなのだ。
空想の産物すらも容赦しない。まこと「論理道」の道はかくもけわしいのである。
(河童のサラリーマン編に続く→こちら)