「変な人は論理的である」。
というと、たいていの人は
「えー、そんなことないよ。変な人は考え方が論理的じゃないから変なんでしょ」
そう返してくるものだが、これがそうではない。
そこで前回は「共産主義国家のサンタクロース問題」を例にあげたが(→こちら)、今回は中島らもさんの本から。
らもさんの知り合いの編集者に、頭をカッパのように丸く剃り上げている人がいたという。
学校の先生なら100%「ザビエル」とあだ名をつけられるタイプの髪型だが、ハゲているわけでもなく自らの意思でそのような髪型にするのは、なんとも面妖である。
「オシャレ」とも思えないし、たとえどのような思惑があるにしろ、これはどう見ても「変な人」であろう。
らもさんがその理由を問うならば「ザビエル」氏は、
「私はね、変人なんですよ」
はあ、それは見たらわかりますけど。
といってもそれは「この髪型だから変」というわけではなく、
「変だとされるがゆえに、この髪型にせざるをえない」
順序が逆なのだという。続けて曰く、
「だから普通の頭にしてると、みんな普通の人だと思って話しかけてくる。この頭にしておくと、一目で変人とわかるでしょう。あとで変人だとか、やいやい言われなくてすむ」
なるほど、そう説明されると理解できるところはある。
つまり、この「ザビエル」氏は変人だが、自分でそのことを納得しているわけではない。
なので「普通の人」として、ごくまっとうな普通の髪型をしていたのだが、いざつきあってみると、
「え? この人って、こんなに変だったの」
そうおどろかれてしまうことが、多々あるのだろう。
こうなると、仕事や人間関係に問題が出る。
なまじパッと見が「まとも」なだけに、そのギャップが悪い方に出て、「ドン引きされる」ということになるのだ。
「こんな人だと思わなかった」と。
よく昭和のマンガやテレビドラマなどで
「動物を助けて好感度が上がるヤンキー」
というキャラが出たりしたものだが、その逆パターンといえよう。
そこで氏は考えたのだ。どうすれば、「変」であることに、おどろかれないのか。
そこで思いついたのだろう。《普通に見えるのに変》だからビックリされるんだと。だったら、最初から
《見た瞬間に変だとわかる》
このようにしておけばいいんだと。
そのためには、一番目立つところに異物を置くのがいい。で、選んだのが
「カッパのようなハゲ」であると。
これなら、第一印象で「変」だとわかるから、あとで「そんなはずでは」となることがない!
中学生くらいのころ、これを読んだ私は、
「なんと明快で、論理的な思考経路なのか!」
と感嘆し、「ザビエル」氏の頭のよさに感心したが、同時にこうも思ったわけなのだ。
「変な人……」。
(森下卓九段編に続く→こちら)