人の指す将棋のおもしろさは「悪手」や「フルえ」にこそある。
前回(→こちら)の谷川浩司九段に続き、今回は永世名人つながりで森内俊之九段に登場していただこう。
平成の将棋界における王者といえば、これはもう異論なく羽生善治だろう。
通算1400勝越え、タイトル99期。
通算タイトル数の現役2位が、谷川浩司九段の27期なのだから、文句のつけようのない絶対王者である。
だが、そんな羽生にも
「絶対に更新できない記録」
というのがあり、たとえば「最年少タイトルホルダー」(屋敷伸之が18歳6か月で棋聖獲得、羽生の初タイトルは19歳2か月での竜王獲得)がそれ。
またマニアックなところでは、今はなき「早指し新鋭戦」での優勝なし(その将棋は→こちら)などがあるが、もっとも将棋界をおどろかせ、本人も痛恨だったのが、
「十八世名人の座を、森内俊之にかっさらわれる」
これであろう。
将棋にくわしくない人にとって、羽生善治といえば「羽生名人」の印象が強かったろうが、実は羽生が名人戦を比較的苦手としていたのは、ファンには有名なところ。
たとえば、初めて名人になり、3期目で失冠したあとなど、その後6年間も挑戦者になれなかったりした。
一方、名人戦でめっぽう強かったのが、宿命のライバルである森内だった。
若いころは優勝回数は多いのに、なぜかタイトルに縁がなく
「無冠の帝王」
などと呼ばれたこともあったが、名人戦では羽生の永世位獲得を阻止しつつ、着々と「森内名人」の地歩を固めていく。
そうしてむかえた、2007年度、第65期名人戦。
羽生と同じく名人獲得4期で、「十八世名人」にリーチをかけた森内が、ついに「羽生越え」に挑む。
挑戦者はこれまた「羽生世代」のライバル郷田真隆九段。
この「羽生より先に永世名人」はファンのみならず、当の森内にも微妙な感覚を引き起こしたらしく、そのせいでもないだろうが、開幕2局は郷田が制することに。
だが、そこでくずれないのが森内の強みで、第3局からは立て直して一気の3連勝。
とうとう、十八世名人として歴史に名を残すまで、あと1勝に迫る。
運命の第6局は相矢倉から、先手番の森内がリードを奪う。
負ければおしまいの郷田も必死にねばるが、途中なんと王手飛車龍取りという、ゴージャスな大技が決まって先手勝勢。
プロ同士の将棋で、ストレートな王手飛車が決まるのもめずらしいのに、しかもそこにさらに「竜取り」までついてくるのだから、なんともレアケース。
まさに永世名人誕生を祝うに、ふさわしい一撃だ。
これは決まった。他のタイトルならまだしも、羽生がまさか永世名人を他の棋士に先んじられるとは……。
……なんてことは、私は特に名人というタイトルを特別視してないから、あんまし思いはしなかったけど、意外なのは意外だったなあと、それなりに感慨もあって、でも実はここはまだドラマの序章にすぎなかった。
将棋は、もはやおしまいだ。
あとは
「いつ投げるか」
「勝者のコメントはどんなものか」
終局後の話であり、おそらくは森内も
「自分が先でいいのか」
という、複雑だった気持ちに整理をつけていたころだったろう。
ところがこの局面、たったひとり違う景色を見ていた男がいた。
そう、挑戦者の郷田真隆だ。
(続く→こちら)