「助からないと思っても助かっている」
というのは、大山康晴十五世名人の有名な語録である。
将棋の終盤というのは混沌としており、「勝った」と思ったところから妙にねばられたり、逆に「やられた!」と覚悟を決めたら案外耐えていたりと、最後までわからないものなのだ。
私のような素人レベルなら、ほとんどの場合「たまたま」助かっているだけだが、これが達人レベルになると、
「助からないと思っても(読み筋だから余裕で)助かっている」
というケースも多々あって、その強さに舌を巻くことになるのだ。
1984年の前期、第44期棋聖戦は米長邦雄棋聖(王将・棋王)に谷川浩司名人が挑戦した。
「名人」と「三冠王」の対決ということで、注目を集めたこのシリーズは「前進流」谷川の攻めを「泥沼流」米長が受け止めるという展開になる。
第1局は谷川が先攻するも、持ち歩の数を間違えるという誤算があって、米長が勝利。
続く第2局でも、後手番ながら谷川が飛車を捨てて猛攻をかけ、主導権を握ろうとする。
むかえたこの局面。
△68銀と打って、谷川「光速の寄せ」がヒットしているように見える。
自然な▲48玉は△77とと引いて、▲75金直、△同角、▲同金に△67とと寄って受けがむずかしい。
かといって、▲68同飛は先手玉が薄すぎて、とても受け切れない。
谷川はこれで勝ちを確信していたようだが、ここで米長が力強い受けを見せる。
▲58玉と上がるのが、「泥沼流」本領発揮の顔面受け。
この手の意味は△77とと引くと、▲75金直、△同角、▲同金に△67とと寄ることができない。
解説されれば、なるほどだが、あのと金に近づくような手は、どう見ても指しにくいではないか。
谷川は△77と、▲75金直、△同角、▲同金に△同歩と取ったが、これが疑問だった。
ここでは△67金と打つべきで、▲49玉に△57銀成と取っておいて、難解な勝負だった。
とはいえ、いかにも重い手で「光速の寄せ」にはふさわしくないし、そもそもと金で行けたところに持駒の金を投入するなど、バカバカしくて指す気にはなれないところだ。
△75同歩に▲26桂と打って、ついに攻守が逆転。
△33金右に▲25歩と打って、そこで遅ればせながら△67金だが、これは「証文の出し遅れ」で、以下米長の鋭い寄せが決まった。
これで2連勝となった米長は、第3局も谷川の切っ先をいなして3連勝で防衛を決める。
その後、中原誠から十段を奪取し四冠王となり、
「世界一将棋の強い男」
の呼び名をほしいままにするのだった。
(米長の強すぎる見切りはこちら)
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