とかく、店頭に並べられる「人生論」と称される本の多くは、"いかに生きるべきか"という、言わば「正解」なるものを説いているような気がします。
たしかに、効率化や成果が求められる世界であればこそ、その「正解」なるものを疑い考えることなく、期待する方が楽なのかもしれません。
「人生の真実の姿だけを、きちんと疑い考えることによって、はっきりと知るというこのことは、なるほどその意味では残酷なことである」(p.10)
ところで、きちんと疑い考えるためには言葉を選び、"それがそうであること"と"それがそうではないこと"とをわかる必要があると気付くとき、そもそも"なぜそんなことができるのか?"という新たな問いかけが始まるような気がします。
「それは、言葉によって選ばれるべき『意味』が先にそこに在るからにほかならない。先にそこに在る意味がわかっているからこそ、人は言葉を選ぶことができるのである」(p.127)
効率化や成果が求められる世界なるものに背を向ける人もいれば、睥睨する人もいるかもしれません。でも、自らがその世界なるものを疑い考えることによって、自ずからその世界なるものの意味がわかるのかもしれません。
「人は自分を『自分』と言う。漢字でそれを『自ずから分かれる』と書く。どこから自ずから分かれてきたのか、言葉はどこから分かれてきたのか、現代の魂はその出自を忘れているだけである」(p.129)
初稿 2022/11/13
出典「残酷人生論 あるいは新世紀オラクル」 池田晶子, 1998.
写真 "世界なるものに背を向ける姿と睥睨する姿"
撮影 2022/04/23(東京・朝倉彫塑館)
たしかに、効率化や成果が求められる世界であればこそ、その「正解」なるものを疑い考えることなく、期待する方が楽なのかもしれません。
「人生の真実の姿だけを、きちんと疑い考えることによって、はっきりと知るというこのことは、なるほどその意味では残酷なことである」(p.10)
ところで、きちんと疑い考えるためには言葉を選び、"それがそうであること"と"それがそうではないこと"とをわかる必要があると気付くとき、そもそも"なぜそんなことができるのか?"という新たな問いかけが始まるような気がします。
「それは、言葉によって選ばれるべき『意味』が先にそこに在るからにほかならない。先にそこに在る意味がわかっているからこそ、人は言葉を選ぶことができるのである」(p.127)
効率化や成果が求められる世界なるものに背を向ける人もいれば、睥睨する人もいるかもしれません。でも、自らがその世界なるものを疑い考えることによって、自ずからその世界なるものの意味がわかるのかもしれません。
「人は自分を『自分』と言う。漢字でそれを『自ずから分かれる』と書く。どこから自ずから分かれてきたのか、言葉はどこから分かれてきたのか、現代の魂はその出自を忘れているだけである」(p.129)
初稿 2022/11/13
出典「残酷人生論 あるいは新世紀オラクル」 池田晶子, 1998.
写真 "世界なるものに背を向ける姿と睥睨する姿"
撮影 2022/04/23(東京・朝倉彫塑館)
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