創作小説屋

創作小説置き場。BL・R18あるのでご注意を。

イノセントチャイルド (4/8)

2006年08月25日 21時31分16秒 | イノセントチャイルド(原稿用紙30枚)
 空気が淀んでしまったので寒いけれど窓を全開にする。冷たい風が心地よい。全身についた汚れを取り去ってくれる気がする。
 視線を感じて庭に目をやると、隅の方にユウが立っていた。このアパートの一階の部屋には小さな庭がついているのだ。お隣との境界線には垣根があり、道路側には二メートルほどの塀がある。子供が乗り越えられる高さではない。
「ユウ? どこから入ったの?」
 ユウは黙って首を振っている。その瞳には涙が浮かんでいる。
「どうしたの?」
 ユウは何も言わない。ふいに胸が強く押されるような感覚にとらわれた。ギュッと抱きしめたくなる。
「あ! りんごだ!」
 声に振りかえるとサユリとマユリが上がりこんでいた。彼女達がくる時間には鍵をあけるようにしているので勝手に入ってくるのだ。
「ミカは?」
「ミカちゃんは飼育係の当番でウサギ小屋の掃除してた。ユウちゃんは知らない」
「え? ユウならそこに……あれ?」
 庭をみたが誰もいない。小さな庭なので隠れるところはどこにもないはずなのに。
「今さっきまでユウがそこにいたのよ」
「いないじゃん」
「おかしいなあ。消えちゃったよ……」
「えー。幽霊みたーい」
 ふふふ、とサユリとマユリが笑う。
「幽霊? まさかあ」
 一緒に笑おうとしたがうまくできなかった。
 だって本当に消えてしまったのだから。
 でもそんなことはありえない。きっと私の見間違えだ。そうに違いない。寝不足だから幻覚が見えたんだ。そうに違いない。
 気を取り直してりんごをむく。
「ねえ、ユウってここのアパートの子じゃないんだって?」
 言うと二人はきょとんとして、
「ううん。ここのアパートの子だってミカちゃんのお母さんが言ってたよ」
「同じアパートのヨシミで面倒みてあげなさいってミカちゃん言われてた」
 どういうこと? 大家である叔母が知らないはずないのに。
「あ! りんごおいしそう!」
 しばらくしてミカがうれしそうな声をあげて部屋に入ってきた。その後ろにはいつものようにユウの小さな姿もある。驚いたことに先ほどと同じ白いセーターに黒いスパッツという服装をしている。やはり見間違えではなかったのか?
「ユウ、さっきうちの庭にいなかった?」
「えー? ミカが学校から帰ってきたときにはいつも通りウチにいたよ」
 ミカによると、学校から帰るとユウはいつもミカの家にいて、夕方母親が出勤するときに連れて出ていくそうだ。
「ねえ、ユウの家ってどこにあるの?」
「知らない。お母さんはこのアパートの一階っていってたよ」
 一階の住人は、私と、斉藤さんとその三歳の息子と、一人暮しをしているおじいさんと、東南アジア系の若い男の人だけのはずだ。
「『ユウはカワイソウな子だから仲良くしてあげなさい』ってお母さんにいわれたの。だからいつも一緒に遊んでるんだ」
 カワイソウな子?
 ユウは無垢な笑みを浮かべている。いとおしさがこみあげてくる。
 ふいに母の言葉が頭の中でこだました。
『一番かわいそうなのはあんたの赤ちゃんよ! 化けて出てくるわよ!』
 まさか。
「ねえ、ユウといつから一緒に遊ぶようになったの?」
「うーん。十月くらいかなあ」
「十月……」
 背筋に冷たいものが走った。十月といえば私がここに引っ越してきた月だ。
 霊感があるというミカの母親。大人よりも純粋なぶん幽霊が見えやすい子供。十月に現れたユウ。まさか……まさか!
「いっただっきまーす。ほらユウも食べな」
 ミカに手渡されりんごをほおばるユウ。
 確かにユウに対しては他の子には感じない愛しい気持ちになることがある。でもそれは一番小さいからだと思っていた。
「このりんごおいしいね」
「池田のおじいちゃんにも食べさせてあげたいね」
「ねえ、ショーコちゃん。これ持っていってもいい?」
 池田のおじいちゃんとは、サユリが通っているピアノ教室の先生の旦那さんのお父さんで、現在駅前の病院に入院しているらしい。
「ユウも連れていくの?」
「うん。いつも一緒にいってるよ」
「そう……私も一緒にいってもいい?」
 ユウが他の人にも見えているのかどうか確認したい。
 ユウが幽霊だなんてそんなことありえないとは思う。こんなに暖かなぬくもりがある幽霊なんているわけがない。
 でも、このアパートにユウという子はいないということや、突然庭先に現れて消えたことはどう説明する? ユウにだけ感じるこの温かい気持ちは?
 ユウがあのときの赤ちゃんの幽霊だとしたら、すべてつじつまが合ってしまう……。
コメント (2)
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イノセントチャイルド (3/8)

2006年08月24日 23時45分14秒 | イノセントチャイルド(原稿用紙30枚)
「昨日、お隣の斉藤さんの家うるさかったでしょ?」
 このアパートの大家であり母の妹でもある留美叔母さんが、りんごのおすそわけと共にやってきてそんなことを言い出した。
「そう? 気がつかなかったけど?」
「じゃ、あんたが出かけてた間かもしれないわね。彼女のお兄さんと叔父さんがきて怒鳴りあいしてたのよ」
 斉藤さんの実家はすごいお金持ちらしい。私が買い物をするスーパーの近くにある豪邸がその家だそうだ。庭に動物の形をした植木があるのでよく覚えている。
 彼女は出来ちゃった婚で家をでたが今は離婚調停中らしい。実家には兄夫婦がいるので家には戻らずこのアパートに住んでいるそうだ。一度だけみかけたことがあるが、二十五、六歳のなかなか印象的な美人だと記憶している。
「何でもね、斉藤さんのお父さんが入院先で遺言書を書いたんだけど、『一番大切な人に預けた』とかいって隠しちゃったんだって。彼女は一番かわいがられてたから預かってるんじゃないかって疑われてるらしいの」
 叔母さんは何だか楽しそうだ。
「昨日はイサムくんも怯えちゃって大変だったそうよ」
「イサムくん?」
 誰それ?
「斉藤さんの子供よ。今三歳くらいかな。みたことない?」
「ないよ。声も全然聞こえないよ。このアパートにミカとユウ以外に子供なんていたんだね。知らなかった」
「え?」
 訝しげに叔母さんが首をかしげた。
「ユウって誰? ミカちゃんは吉川さんのとこの子よね? あとはイサムくんしかいないわよ?」
「へ? ユウって子いるよね? まだ二歳にならないくらいの女の子」
「いないわよ。私が知らないはずないでしょ」
 なんだ。同じアパートだと思ってたのに。
「本当にいない? 結構かわいい子だよ?」
「いないわよ。いやあね。吉川さんみたいなこといわないでよ」
 どういうこと?
「あの人、霊感があって普通の人には見えないものが見えるんだって」
 それは初耳だ。それではミカが謎めいた感じなのも納得できる。
「あ、占いも得意だからあんたも見てもらったらいいわよ。私もみてもらったけど結構あたるのよ」
「興味ないからいい」
「またそんなこという!」
 叔母さんは眉を寄せると母によく似ている。
「何事にも興味ないって一日中部屋にこもりっきりでよくないわよ。それに最近病院にいくのもサボってるそうね。姉さんから連絡あったわよ。あんた姉さんからの電話に全然でてないんだって?」
 やっぱりお説教をしにきたのか。
「姉さんがキツイこといいすぎたから謝りたいっていってたわよ。何いわれたの?」
 色々いわれすぎてどのことを言っているのかわからない。
「とにかく。あんたを預かってる私の身にもなってよね。たまには家に帰りなさいよ。電車ですぐじゃないの」
「……帰りたくない」
「そんなこといわないの。姉さんはあんたがかわいくてしょうがないのよ。何しろあんたは姉さんが不妊治療十年もがんばってようやくできた子供なんだからね」
 とにかく電話に出なさい、と念を押して叔母は帰っていった。
 病院にいって「目標をもって生活しなさい。君なら出来る」とか知ったかぶっていわれるのももううんざりだし、自分の理想を押しつけてくる母の愛情ももうたくさんだ。
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イノセントチャイルド (2/8)

2006年08月23日 23時13分50秒 | イノセントチャイルド(原稿用紙30枚)
 一週間に一度、近くのスーパーで買いだめをすることにしている。普段は余計なものはいっさい買わないのだが、今日はレジ前でみつけたキャラクターもののチョコレートを購入した。
 先日、彼女達がテレビCMをみて食べたい食べたいと騒いでいたからだ。サユリマユリ姉妹の母親は既製のお菓子を毒物だと思いこんでいて、水商売をしているミカの母親はお菓子類を一切買ってくれず、ユウは話せないので要求できないらしい。
 買っていってあげたらみんな喜ぶだろう。誰かのために物を買うというのは嬉しいものだ。
「お……メール!」
 部屋に入った途端、携帯メールが入った。
『も~最悪よ~』
 美由紀からのメールだった。時々くだらないメールをくれる一番親しい友人だ。
『昨日合コンいったら横内に会っちゃったよ! あいかわらずチャラ男だったよ!』
 思わず携帯を落としそうになった。
『あいつしゃあしゃあと「ショウコちゃん元気?」なんて言って、あたしのこと口説いてきたんだよ! 最低! なんか連絡あっても絶対に相手にしちゃダメだからね!』
「……最悪」
 だから大嫌いなんだよ、美由紀って。無神経でお節介でお喋りで本当に癇に障る女。
 連絡なんてくるわけないじゃない。二年前さんざん待ったよ。こっちからもたくさん電話したよ。でも番号変えられてアパートも引越しされて音信不通になったんだよ。なのにくるわけないじゃない。ばっかじゃないの。
 涙が出てきた。もう涸れたと思っていたのに。まだ出るんだ。そろそろサユリ達がくる時間なのにまずいな。気晴らしにお風呂でも洗おう。
 でも。お風呂を洗い終わってトイレ掃除をして台所を磨いても、サユリ達はこなかった。もうすぐ四時になる。来なかったことなどこの三週間で一度もなかったのに。
 変なメールのせいで思い出さないようにしていた二年前の記憶が蘇ってきた。
 リダイアルボタンを押し続けた夜。彼のアパートの前に座り込んだ休日。携帯の電波が圏外にならないように外出もせず部屋にこもり続けた毎日。そして―『処置』が終わったあとに飲んだ紅茶の苦さ。
 期待したって何もないのに。期待したって何もないのに。期待した私が馬鹿だった。期待した私が馬鹿だった。何も期待しちゃいけない。期待なんてしちゃいけない。
「こんなものっ」
 バンッと音をたててサユリ達に買ってきたお菓子の箱が壁にぶつかって落ちた。喜んでもらえると思って買ってきたお菓子。でもそんなこと期待した私が馬鹿だった。あの子達はもうこないのかもしれないのに。期待した私が馬鹿だった。馬鹿だった。
「……う」
 久しぶりに吐き気が込み上げてきた。口の中に嫌な酸っぱさが広がる。胃が背中にくっつきそうだ。部屋の隅に体を押しつけて耳をふさぐ。
 誰か助けて。誰か助けて。誰か助けて!
「あ! テレビでやってたお菓子だ!」
「!」
 急に、部屋の中が明るくなった。
「これ食べていい? ショーコちゃん」
 満面の笑みを浮かべたサユリとマユリ。
「あれ、もうこんな時間なんだ。池田のおじいちゃんのとこに寄ってたらすっかり遅くなっちゃったね」
 勝手にテレビをつけてアニメを見始めるミカ。
 力が抜けた。いつものまったりとした空気が充満しはじめている。ようやく普通に息ができる。
 温かい気配を感じて見上げると、ユウが優しい笑顔でお菓子を差し出してくれていた。その手に触れると柔らかい抱きしめたくなるような気持ちがこみ上げてきた。
「……ありがとう」
 ふと、気がついた。あのとき『処置』された子供が生きていれば、ちょうどユウくらいの歳になっているはずだ。
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イノセントチャイルド (1/8)

2006年08月22日 23時42分36秒 | イノセントチャイルド(原稿用紙30枚)
「ショーコちゃん、携帯なってるよ」
 テレビに夢中になっていたはずのミカがいつのまにか横にいた。栄養失調ではないかと疑ってしまう貧弱な体つきと顔色の悪さとは裏腹に眼光は非常に鋭い。小学校四年生とは思えない大人びた表情をする子だ。
「出ないからいいよ。ほっといて」
 実家からのしつこい電話は無視することにしている。
「ショーコちゃんもママの作ったクッキー食べてー」
 サユリとマユリがテーブルにクッキーを並べている。彼女たちの母親は病的なほど手作りにこだわっていて、姉妹の着ている洋服はすべて母親の手製のものらしい。サユリのオサゲを結っているリボンもマユリのカチューシャも手作りというから驚きだ。ミカと同じ四年生のサユリはお嬢様育ちらしくおっとりとしていて、一年生のマユリはそれに輪をかけてのほほんとしている。
「一番小さいのをちょうだい」
 言うと、ユウが小さなクッキーを持ってきてくれた。二歳くらいのユウは話すことはできないが、こちらの言っていることはほとんど理解できる。特にいつも一緒にいるミカの言うことはよくきく。ミカとユウは私の住んでいるこのアパートの住人らしい。でも姉妹ではないという。
 この四人がどういう関係なのか詳しくは知らないが、彼女達も二十歳を過ぎたいい大人の私が毎日部屋にこもって何をしているのかなど何も聞いてこないので、私も干渉しないことにしている。
 二ヶ月ほど前、人と接したくなくてここで一人暮しを始めたはずなのだが、十二月に入った北風の厳しいある日、アパート前の公園で遊んでいた彼女達があまりにも寒そうだったものだから、つい声をかけて部屋に招き入れてしまったのだ。それ以来、彼女達は毎日学校帰りに私の部屋に入り浸るようになった。もう三週間近くになる。
「ショーコちゃん、ジュースちょうだいね」
「どうぞご勝手にー」
 しかし勝手にワヤワヤ騒ぐだけの彼女達の存在は思いのほか心地よかった。やはり少し人恋しくなっていたのかもしれない。おかげで最近は嘔吐の回数が減ってきた。すごい進歩だ。
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