天文台から駐車場までの長い階段の途中で、アーサーがクリスを呼び止めた。
『ちょっといいかな……』
『なんだ?』
眉をひそめたクリスの肩を、アーサーがグイッと抱き寄せる。
『いいこと教えてあげる』
『……マリアか』
口調がアーサーと全然違うのですぐに分かった。
『なんだ?』
『香のことなんだけど』
マリアは、こっそりと続ける。
『あんたねえ、香に月の姫のこともう言っちゃダメよ?』
『……どういうことだ?』
『香はね「私が月の姫でなければ、クリスは私のことなんか好きにならなかったはず」って思ってる』
『え………』
『あんたは月の姫を神聖化しすぎてる。十年前云々もNGよ』
『え』
『香にしてみれば、十年前のことなんか知ったこっちゃないのよ。香とあんたは出会ってまだ十日なんだからね』
『………』
『月の姫の香、ではなくて、香自身を見てあげなさいよ。それとも何? 香のことじゃなくて、月の姫のことが好きなの?』
『………それは』
『そこらへん、よく考えることね』
ポンポンとクリスの肩を叩き、マリアは今度はスタンの方へと歩いていった。
『スタン、一緒に旅行に行かない?』
『旅行?』
きょとんとするスタンに、マリアはニコニコと、
『アーサーがね、やっぱり織田の大将の元で働きたいんだって。織田の大将って人は太っ腹よ~。一度裏切ったっていうのに、ぜーんぜん構わないって。それどころか今後は表舞台で働かせたいから親と話をつけてこいって言うの。だから、アーサーの両親に会いにいくついでに、ママのお墓参りにもいこうと思ってて』
『………お墓参り?』
オレ達のママって死んでるの? とスタン。
『そうよね。そういう積もる話もたくさんあるし。ね? 一緒に行きましょうよ?』
にっこりと言うマリア。
スタンは迷って、いつものように、
「ねえ、リンク……」
と、リンクスを呼び止めようとして、はっとその手をひっこめた。
先を歩いていたリンクスが振り返り、ジッとスタンを見つめる。
「オ、オレ、まだ盗聴器のこと怒ってるんだからね!」
ぷうっとふくれた顔をしてみせるスタン。
「だったらオレだって、勝手に出て行ったお前のことを怒っている」
「だってそれはリンクが悪いんでしょ!」
「そう思うならオレに直接言えばいい。勝手に奴らの仲間になったのはどこのどいつだ」
「別に仲間じゃないし」
「仲間だろ。仲良くやってたじゃないか」
「仲良くなんかやってない!」
「やってた」
「やってない!」
「さっきだって、オレが帰ってこいっていったのについてこなかった」
「それはリンクが司の部下やめないっていうからでしょっ」
ムッとした顔でにらみ合う2人。
その間で、マリアがケタケタと笑い出した。
「何を笑っている?」
リンクスが憮然として言うと、
『だってさ、要するにあんた、焼きもちやいてるってことでしょ? か~わい~』
「な………っ」
珍しく赤面するリンクス。
「えっリンク、焼きもちやいてるの?」
「違うっ」
ぷいっと横を向き、一瞬で無表情の仮面をかぶり直すと再びスタンに向き直った。
「……墓参り、行ってくればいいんじゃないか?」
「リンク……」
それはどういう意味……と言いかけたスタンの頭を、リンクスがくしゃりとなでる。
「行って、帰ってこい。オレのところに。何度も言わせるな」
「…………もうっ」
スタンが再びぷうっとふくれる。
「そういわれたら、何も言えなくなる!」
「だったら言わなきゃいいだろ」
リンクスがひらひらと手をふり、先に下りていく。
「もーリンクってば!」
いつものようにスタンがそのあとを追いかけていく。
そんな二人の後ろ姿を見送りながらマリアがうなずいた。
『仲直りできたみたいね。よかった。ねえ、アーサー?』
***
それぞれのその後などを手短に……。
香は帰宅後、本当の父親の話を聞かされた。
ショックはあったものの、実は密かに、両親のどちらにも似ていなく、幼いころ妙な特殊能力を持っていた自分は、両親の実の子ではないのではないか、と気に病んだ時期があっただけに、母とは血が繋がっているということを確信できて、安心した、というところもあった。
血の繋がっていない自分を育ててくれている父には感謝の念しかなく、父も今までと変わらない、と言ってくれ、斉藤家の絆はより深まった感じであった。
香がテーミス王家直系の血を引いているという事実は、一部の人間にのみ伝えられ、公にすることは保留となった。今後、クリスと香が結婚、というようなことがあった場合には発表になるかもしれないが、そうでないならば隠し通したい、というのが双方の考えであった。
ちなみに、香の父が月の姫暗殺未遂を起こしたのは、織田将の臣下に催眠誘導を受けたからであった。
織田将は月の姫の予言に対しては、アーサーに報告だけさせて、予言が終わるまでは関与しない考えであったため、その臣下の単独判断であった。
その臣下はその後、菅原司から厳重注意を受けた。この件もあって、予言に関して織田家では司以外は行動しないことが暗黙の了解となっていた。
マーティン=ホワイトも月の姫の予言自体、夢物語のようなものだと捉えていたため、ジーンに報告を求めてはいたが、積極的に関与することはなかった。
織田将とマーティン=ホワイトは、まだお互いが10代であったときに、織田将が強引にマーティンのところに押しかけたことをきっかけに、内密に連絡を取り合うようになっていた。
今回の月の姫の予言騒動でも密に連絡を取り合っており、天文台へも東京から織田家の自家用ヘリコプターで一緒に来たのだった。
古沢イズミは、高校卒業までは香の家に残ることになった。
元々仲が悪かった両親との間の亀裂が今回の件で決定的なものになってしまった。以前から高校を卒業したら東京に出てこようと思っていたので、それが少し早まったという感じだ。
さっそく水泳部に本格的に入部し、夏休み中も練習に励んでいる。西田英子と松村明美が大喜びしている。
辻白龍は、夏休み明けからは元々通っていた進学校に戻ることにした。
ただし叔母の家には戻らず、風間忍の元に身を寄せることになった。
忍の研究の手伝いをすることを引き換えに学費生活費を援助してもらうことになったらしい。
後々はホワイト家に対抗しうる会社の起業を考えている。
桔梗とのほのかな恋もゆっくり進行中のようだ。
アル=イーティルは約束通り地球に残った。
アルのように地球に残ったイーティルも何人かはいるようだった。
あいかわらず、神出鬼没。
織田ミロクは、元の通りの生活。あいかわらず、織田家の跡取りにふさわしい人物となるために、家庭教師をつけられ朝から晩までビッチリ勉強させられている。
アルはミロクのことが気に入ったらしく、ミロクのところによく表れる。
風間忍も、元の通りの生活。
ただし、今まで少々真田に手伝わせながらも、ほぼ一人で進めていたテーミス星とデュール星の研究を白龍と共に行うことになり、実はかなり嬉しいらしい。(それで真田がヤキモキしている)
地球よりも進んだ科学力をもつ二つの星の研究をすすめ、地球にもその技術を持ち込むことを目的としている。
菅原司は、オーラが無くなったことでしばらくは凹んでいたが、本庄妙子に励まされ少しずつ元気になり、今まで通りの生活を取り戻しつつある。
カトリシア=ホワイトは、血筋のことを盾にクリスに迫ろうと思ったのに、香も直系の血筋と知り、ショックで寝込んでしまった。落ち込んでいるカトリシアを慰めているのは、クリスの弟アリストファーらしく、それはそれでお似合いのカップル誕生の予感……。
ジーン=マイルズ=ワルターは、オーラが無くなったことを良いことに、ワルター家の権力を大きくしようと画策中。ホワイト家とワルター家での権力闘争が勃発しそうである。
一般社会における、月の女王が降臨した現象については、山崩れの際に山の上に光る円盤が現れた、という目撃証言が多数でたため、2、3日は怪奇現象だと騒がれたが、そのうち立ち消えた。
テーミス・デュール両王家の正式発表では、「予言が成就し、地球に蔓延っていた異形の物・闇の力が駆逐された。その際にみなのオーラの力が必要となり吸収された」となっている。
この予言は、テーミス・デュール両家の協力により成就されたものである。3000年以上に及んだ両家の確執は今、融解の時を向かえようとしている。
オーラの消滅により、王家の威信は失われると思われたが、長年の体制が崩れることはなく、両王家の体制は引き続いていくこととなりそうである。
***
「で、香ちゃんは、クリスとはどうなってるの?」
「………どうといわれても」
香は肩をすくめ、紅茶に口をつけた。
今日は駅近くのおいしいと評判のケーキ屋に女子三人で食べにきたのだ。
女子三人。香・夕子・妙子、である。
妙子は何事もなかったかのように香と一緒にいる。
天文台からの帰り道、気まずそうな表情をして背を向けた妙子に、
「待って!」
と、思わず叫んだ香。
妙子が、司への想いと、香と友達でいたいという思いの間で揺れていたことは知っていた。
予言が終わった今、もう二人を隔てるものはないはずだ。
びっくりした顔をして振り向いた妙子に、
「これからも友達でいて。妙子さん!」
香が必死な瞳をむけると、
「もちろんよっ」
妙子が駆け寄って香のことを抱きしめた。
それから、もう2週間たつ。
妙子はうまいこと傷心の司の懐に潜り込み、司との仲が一歩も二歩も前進しそうな勢いであることを、香と夕子にのろけまくっていた。
その流れからの「クリスとはどうなってるの?」であったが……
「え? アーサーさん、じゃなくて?」
「夕子ちゃん、情報が古いわよ?」
ちっちっち、と妙子が人差し指を振る。
「アーサーには離れられな~い彼女がいるのよ。ちょうど昨日、彼女の弟と一緒に旅行から帰ってきたわよ」
「アーサーさん、本当に織田家に仕えるの?」
「そうそう。なんか弁護士になる勉強はじめるらしいわよ? 大学にも行かせてもらえるみたい」
「へええええ……」
織田将という人はずいぶんと面倒見のいい人なんだねえ……とつぶやくと、妙子が、そりゃあ司様のお父様だもん、とうふふと笑う。
「スタン君はこれからどうするって?」
「とりあえずリンクスのところに戻ったけど……。リンクスは司様の元から離れられないし、スタンはそれが嫌だし、で、また揉めてたわよ。そのうちまたクリスのところにでも家出してくるんじゃないの?」
再び出たクリスの名前に、香はケーキをフォークでつつきながら、何でもないことのように言葉を継いだ。
「あの人、今、日本にいないよ?」
「え?!いないの?!いつから?!」
「あのあとすぐアメリカ帰ったから……もう二週間?」
香の発言に妙子がはああ?!と呆れたような声をだす。
「何よそれっ。連絡は?!」
「ないよ?」
「えーーーーー」
妙子はぶうぶうと情けない男だねーダメだねーと文句を言いまくっている。
「え?なになに?香ちゃんとクリス君って何かあったの?」
「な、なにもないよ!」
途端にわかりやすく動揺する香。
「………あったんだ」
「あったね、こりゃ」
「だからないって!」
ムキになった香に、妙子はちっちっちっと再び人差し指をゆらした。
「私の目は誤魔化されないわよ~。香ちゃんとクリスのお互いを見る目、あーきーらーかーに変わってたもん! 香ちゃんが目覚めたときの2人の雰囲気なんて、見てるこっちが恥ずかしくなったよ? まあ、クリスが香ちゃんを好きなことは前からバレバレだったけど」
「うんうん。クリス君が香ちゃんのことを好きなのは知ってたけど」
「な………っ」
口をパクパクさせる香。
「いつから……っ」
「けっこう前からだよ? わかりやすいじゃないクリス君って」
「ねえ、もしかして、告白された?」
「えっそうなの?! 香ちゃんなんて答えたの?!」
「あの感じじゃOKしたってことだよね?」
「えええっそうなのそうなの~?!」
「…………」
親友2人からの質問攻めに、香はしばし押し黙り……
「なんか……わからない。好きとかって……」
「わからない?」
香がこっくりうなずくと、妙子がここぞとばかりに講釈をはじめた。
「好きっていうのは、その人とずっと一緒にいたいって思ったり、その人のことを知りたいって思ったり、その人が他の女の子に優しくしてるの見たら悔しーって思ったり……そういうことよ」
「…………」
「何より、その人の声を聞いただけで、顔を見ただけで、キュンってなるから分かるわよ~~」
うふふふふ、と妙子が笑う。
「あーいいなー私も恋したーい!」
夕子が羨ましそうにいう。
「夕子ちゃんの好きなタイプってどんな人なの?」
「えー?私ー?」
女子三人の恋話はまだまだ続くのであった。
夕暮れに空が染まる中、香は帰路へとついた。
もうすぐ自宅マンションにつく、公園の前の並木道……
「斉藤さん。斉藤香さん」
ふいに呼び止められた。ドキリとして振り返る。
「………クリス」
「よ」
軽く手をあげるクリス。二週間ぶりに見る笑顔。
心臓が跳ね上がっているのを誤魔化すために、香はわざとつっけんどんに言う。
「いつ帰ってきたの?」
「今さっき。夏美さんに聞いたら、夕子ちゃんたちと出かけたっていうから、そろそろ帰ってくるかなーと思って待ち伏せしてた」
「なんで?」
「なんでってことはないだろ」
クリスが苦笑して近づいてくる。
「すぐに会いたかったからだよ」
「………」
肩からかけたバックを胸に抱え込み、今にも逃げ出しそうな香。
「……なんでそんなに身構えてるんだ?」
「べ……別に身構えてなんかないけど……」
香は上目遣いでクリスを見上げると、
「なに? 何か用?」
「そう言われると言い出しにくいな……」
クリスは苦笑いを浮かべながらも、すっと香の右手を取る。
「斉藤香さん」
「な………っ」
香が手を引っ込めようとするのを、強く握り離さない。
クリスは正面から香の瞳を覗き込み、真面目な表情で言葉を継いだ。
「あなたのことが好きです」
「………っ」
「オレと付き合ってください」
「………」
香はしばらくの間、クリスの瞳を見上げていたが、
「あの封印をといた海で告白するとか思ってなかった? あそこが夢にも出てきた海だったんでしょ?」
「ああ……」
クリスがバツの悪そうな表情を浮かべる。
「あそこはさ、その……」
「なに?」
「いや、よく考えたら、オレと香の思い出の場所ってここかなって思ったんだよ」
「ここ?」
「オレたち初めて会ったのここだろ?」
「………」
約4週間前の、香の誕生日の翌朝、クリスがこの場所で香に声をかけたのだ。
「斉藤さん。斉藤香さん」
と……。
「オレ、あの時、この子を守りたいって強く思ったんだよ。月の姫とかそういうの取っ払って、香自身を……」
「…………」
香はジッとクリスを見上げると、
「………マリアさんに何かいわれた?」
「え!?」
ぎょっとして、思わずクリスは香から手を離した。
「お前まだ心の声読む能力残ってるのか?!」
「残ってないわよ。残ってたとしたって読まなくても分かるわよ」
「………えー……」
頭を抱え込み、道の端にしゃがみ込むクリス。
「いやだからさーマリアに言われたからとかじゃなくて、本当にお前自身のことが好きなんだってー」
「………」
胸がギュウッとなる。
「……正直、月の姫のことはずっと大切に想ってきたよ。オレが弟のことでものすごい落ち込んだときも、月の姫の存在だけがオレの光だった」
「…………」
「でも実際会ったお前はオレの想像してた月の姫とはちょっと違ってて……」
「違ってた?」
「なんつーか、オレ、月の姫は儚げなお姫様だと思ってたんだよ」
「………」
「でも実際のお前は、気強いし、つんけんしてるし」
「………悪かったわね」
「でも、瞳は寂しそうに揺れてて……。守りたい。一緒にいたいって、一目見て思った」
「…………」
「触りたい。抱きしめたいって……思った」
「…………クリス」
「司のところから飛び降りてきた、あの時の香はまさに月の姫そのものだったけど……。でもオレ、やっぱりいつものお下げの香の方が好きだって思ったよ」
「…………」
「お前と会えなかったこの二週間、そんなことばっかり考えてた」
「………」
自分の膝に顔をうずめたままクリスがポツリという。
香は大きく息をつくと、公園の柵に腰かけた。
「……二週間も音沙汰ないから、もう戻ってこないのかと思った」
「……ごめん。あっちじゃ四六時中周りに人がいて電話もできなくて……。もしかして、心配してくれてた?」
「心配っていうか……色々片づけてくるって言ってたから、どうなってるのかなあって……」
「うん……王位継承権、放棄したかったんだけど、それは無理だった。新世界っていってもこの王政はすんなり変わるものでもないみたいだ」
「………」
「でも日本に住む許可は取り付けられた。まあ、今までだって母親の遺産で生活してたんだから、文句言われる筋合いもないんだけどな。一応、筋は通した」
「…………」
「気がかりは弟のことだったんだけど……あいつもあいつでオレがいない方が都合がいいこともあるらしいから、離れたほうがお互いのためになるかと思って」
「そう……」
公園からヒグラシのなく声が聞こえてくる。
「香」
「………なに?」
クリスが膝を抱えたまま顔を香を見上げる。不安げな色の瞳。
「返事は? 返事を聞かせてくれ」
「…………」
香は困ったように眉を寄せると、
「いきなりそんなこと言われても……」
「いや、いきなりでもないだろ? オレ前から言ってたぞ?」
「だって……」
「オレのこと嫌いか?」
「………ううん」
かぶりをふる香。
「じゃ、好き?」
「……………」
押し黙った香をみて、クリスは内心で、よしっ否定なしっとガッツポーズを作り、立ち上がると、
「とりあえず、付き合ってみるってのどう?」
「…………あんたね」
ふっと香が笑う。
クリスは香の横に腰かけ、真面目な顔に戻り問いかける。
「オレじゃ……ダメか?」
「…………っ」
予言の日の前日の夜と同じようなセリフ。
このあと……キスをした。
香はぽつんとつぶやいた。
「あの時……キスしたいと思った相手はあなただったの」
「え………っ」
途端に顔がにやけるクリス。
「それって………」
「あなたが私のこと好きって知ってたから、だから、あなただったらって思ったの」
「? どういうこと?」
「私もよく分からないのよね……」
足をプラプラさせながら香が言う。
「あなたのことで、なんか色々モヤモヤしたり……」
頭の中に、クリスの婚約者だというカトリシアの映像が浮かび、フルフルと頭を振る。
「この2週間、会えなくて寂しいなって思ったり……」
「……え」
香の思わぬセリフに、クリスの頬が緩む。
「それって……」
「でも、それって、あなたが私のこと好きだからなんじゃないかな、と思って」
「? なんで?」
「今日、妙子さんが言ってたことも当てはまるし、自分でもそうかなって思ってはいたんだけど……」
「???」
「たぶん……私、あなたのことが好き……なんだろうなって……」
「………香」
クリスは目を見開き、香の横顔を見つめる。
「でも」
香のプラプラしていた足がピタリと止まる。
「でもそれって、あなたが私のこと好きだからなんじゃないかって思うの。私のことを守ってくれるあなたのことを好きであって、あなた自身をみていない気がする」
「……………え」
「だから、あなたを好きっていうのも違う気がする」
「……………いやいやいやいや」
ちょっと待て、と慌てるクリス。
「お前、なんか難しく考えすぎてるぞ?」
「そうかな……」
「そうだよっ。だいたいなあ、お前のことを好きじゃないオレなんてオレじゃないし。そんなこと考えるだけ不毛だ不毛」
「…………でも」
「とりあえず!」
クリスは立ち上がり、正面から香の顔を覗き込んだ。
「付き合ってみようぜ。オレたち。それから色々考えればいいんじゃないか?」
「…………」
香はしばらく黙り込んでいたが、ポツリ、とつぶやいた。
「………一つ条件があるんだけど」
「……なに?」
クリスが身構える。
香は言いにくそうに、クリスから視線を外すと、
「………しないでね」
「……え?」
あまりにも小さな声で聞こえず、クリスが聞き返すと、香は顔を赤くしながら、
「他の女の子の髪の毛結ってあげるとかもうしないでねっていったのっ」
「香………」
クリスは一瞬ぽかんとしたあと、
「お前、それ、カトリシアの話? まだ気にして……」
「き、気にしてなんかないもんっ」
「それさ、やっぱり焼きもちだよな……」
「ちーがーうー」
「焼きもちやくってことは、やっぱりお前、オレのこと……いでででででっ」
言葉が途中から悲鳴に変わった。
香がクリスの頬を思いっきりつねりあげたのだ。
「そのニヤニヤした顔、腹立つんですけど!」
「だってニヤニヤもするだろーー。あ、そうそう、カトリシアとの婚約は正式に破談になったから」
「え、そうなの?」
「あ、今、香、嬉しそうな顔した」
「してませんっ」
「したって~。いや~香がそんなにーーーイタイイタイっ本当に痛いって!」
「もー知らないっ」
勢いよく立ち上がる香。そのままマンションに向かおうとして、
「……あ」
ふと、立ち止った。
月だ。消え入りそうなほど細い月。
まだ白い。
青と赤に彩られたた空に描かれる白い月を見上げながら、香がつぶやく。
「月の女王って無事にイーティル星についたのかな……」
「たぶん、そんなに遠くないんだろうけど……」
「うん……テーミス星も実は見えてたりするのかな」
死の星と化したというテーミス星とデュール星。
そこに帰ることは二度とない。
自分たちは地球に生まれ地球に育ってきた。これからもそうだ。
「そういえばさ……ずっと気になってたんだけど……」
「なに?」
香が振り返ると、クリスはポリポリと頬をかきながら、
「お前の中にマリアがいたときに、アーサーと一緒に部屋の外に出ていっただろ?」
「あ……うん」
「………何してたんだ?」
「………何って」
香は首をかしげると、
「目つむってたから分かんない。それにすぐにあの織田の司様に捕まっちゃったし」
「そ、そうか」
司、ナイス!と思わず思ってしまったことは内緒にしておく。
「でも……」
「でも?!」
「抱きしめられた気はする……かな。何となく感触が………」
「なにおお?!」
ムッとするクリス。
「オレも今、抱きしめていい?」
「……ダメ」
「なんで!」
寄ってこようとするクリスを香が両手で押しのける。
「こんな往来で!しかも家の近くで!誰かに見られたらどうすんの!」
「いーだろ別に」
「良くないっここは日本です!そんな習慣はありません!」
「ちぇー」
クリスは口を尖らせたが、はっと気が付いて、
「今の言い方だと、人に見られてなかったらいいってことだよな?」
「え……っ」
首まで赤くなる香。
「そ、それは………っ」
「よしっ。分かったっ。じゃあ、それは今度のお楽しみに取っておいて……」
「お楽しみって……」
クリスは脱力した香の右手をつかむと、すっとひざまずいた。
「さっきの条件の話、必ず守ります」
「…………」
真摯な瞳がまっすぐに香を見つめる。
「だから、斉藤香さん。オレと付き合ってください」
「…………」
香は静かにクリスの青い瞳を見下ろし……こくんと肯いた。
「よしっ」
クリスは全開でガッツポーズを作ると、
「散歩に行かないか?」
「散歩? でももう……」
「あの月が黄色くなるまで。な?」
見上げる月はまだ白い。
「どこに?」
「うーん、川べりとか丘の上の公園とか、どこでもいい」
「どこでもって」
「どこでも」
クリスが愛おしげに香を見つめる。
「お前と一緒ならどこでも。どこへでも」
「…………うん」
小さくうなずく香。繋がれた手にぎゅっと力をこめる。
歩き出した二人の後を月が追いかけてくる。
見守るように、その光で包み込むように。
<完>
-------------------------------------------------------
ついつい……あれも書きたい、これも書きたい、とズルズルと書いてしまった。
長々と失礼いたしました。
終わっちゃった…
こんなに終わりたくない終わりたくないと思いながら書いたのは初めてだ。
まあ、でも、まだ書き写していない短編がたくさんあります。
そうそう。短編の詰め合わせが、ノート7冊あるんですわ。
でも、その前に!
小説ネタ帳のラスト「風のゆくえには」を書きます!
これを書かないことには、ノートの処分が終わらない。
風のゆくえには、も、ノート5冊とかあるんじゃなかったかなー。
ああ、でも、今は脳内が月の女王一色になってしまっているので
頭クリアにしてからじゃないとですね。
クリスと香がイチャイチャする話だったら、私、今後もいくらでも書ける気がする。
若かりし頃書いた短編もそんな話ばっかりです。
でも、若い頃は、漠然とこのあとクリスと香は結婚して……って思ってたんだけど、、、
人生経験ってやっぱり必要なんだな、と思うのは、
後々、就職してから書いた短編にはそれだけじゃダメだって話もあったりして……
いや、何事も経験ですね。
こっぴどい失恋も、結婚も出産も、ママ友いじめも、浮気された経験も、ぜーんぶ小説の糧になる。
正直ね、失恋にせよ、浮気にせよ、される前には、私はもっと冷静でいられるって思ってたんだよね。
でも、実際されたら、正気失ったよ。
自分でも思うんだけど……
中学高校時代に書いた話より、大人になってから書いた話のほうが感情に現実味がある。
でも、中学高校のときに考えた話のほうが自由で、想像の翼が大きい気がする。
この「月の女王」という話も、今では思いつくことはできないと思う。
40歳になる前に、書き終わることができて良かった。
でも、これでクリスと香に会えなくなるのは寂しいので…
「風のゆくえには」の小説ネタ帳を書いたら、短編の写しに入ろうと思いまーす。
そしたらクリスと香にまた会える~~。
長々とお付き合いありがとうございました。
『ちょっといいかな……』
『なんだ?』
眉をひそめたクリスの肩を、アーサーがグイッと抱き寄せる。
『いいこと教えてあげる』
『……マリアか』
口調がアーサーと全然違うのですぐに分かった。
『なんだ?』
『香のことなんだけど』
マリアは、こっそりと続ける。
『あんたねえ、香に月の姫のこともう言っちゃダメよ?』
『……どういうことだ?』
『香はね「私が月の姫でなければ、クリスは私のことなんか好きにならなかったはず」って思ってる』
『え………』
『あんたは月の姫を神聖化しすぎてる。十年前云々もNGよ』
『え』
『香にしてみれば、十年前のことなんか知ったこっちゃないのよ。香とあんたは出会ってまだ十日なんだからね』
『………』
『月の姫の香、ではなくて、香自身を見てあげなさいよ。それとも何? 香のことじゃなくて、月の姫のことが好きなの?』
『………それは』
『そこらへん、よく考えることね』
ポンポンとクリスの肩を叩き、マリアは今度はスタンの方へと歩いていった。
『スタン、一緒に旅行に行かない?』
『旅行?』
きょとんとするスタンに、マリアはニコニコと、
『アーサーがね、やっぱり織田の大将の元で働きたいんだって。織田の大将って人は太っ腹よ~。一度裏切ったっていうのに、ぜーんぜん構わないって。それどころか今後は表舞台で働かせたいから親と話をつけてこいって言うの。だから、アーサーの両親に会いにいくついでに、ママのお墓参りにもいこうと思ってて』
『………お墓参り?』
オレ達のママって死んでるの? とスタン。
『そうよね。そういう積もる話もたくさんあるし。ね? 一緒に行きましょうよ?』
にっこりと言うマリア。
スタンは迷って、いつものように、
「ねえ、リンク……」
と、リンクスを呼び止めようとして、はっとその手をひっこめた。
先を歩いていたリンクスが振り返り、ジッとスタンを見つめる。
「オ、オレ、まだ盗聴器のこと怒ってるんだからね!」
ぷうっとふくれた顔をしてみせるスタン。
「だったらオレだって、勝手に出て行ったお前のことを怒っている」
「だってそれはリンクが悪いんでしょ!」
「そう思うならオレに直接言えばいい。勝手に奴らの仲間になったのはどこのどいつだ」
「別に仲間じゃないし」
「仲間だろ。仲良くやってたじゃないか」
「仲良くなんかやってない!」
「やってた」
「やってない!」
「さっきだって、オレが帰ってこいっていったのについてこなかった」
「それはリンクが司の部下やめないっていうからでしょっ」
ムッとした顔でにらみ合う2人。
その間で、マリアがケタケタと笑い出した。
「何を笑っている?」
リンクスが憮然として言うと、
『だってさ、要するにあんた、焼きもちやいてるってことでしょ? か~わい~』
「な………っ」
珍しく赤面するリンクス。
「えっリンク、焼きもちやいてるの?」
「違うっ」
ぷいっと横を向き、一瞬で無表情の仮面をかぶり直すと再びスタンに向き直った。
「……墓参り、行ってくればいいんじゃないか?」
「リンク……」
それはどういう意味……と言いかけたスタンの頭を、リンクスがくしゃりとなでる。
「行って、帰ってこい。オレのところに。何度も言わせるな」
「…………もうっ」
スタンが再びぷうっとふくれる。
「そういわれたら、何も言えなくなる!」
「だったら言わなきゃいいだろ」
リンクスがひらひらと手をふり、先に下りていく。
「もーリンクってば!」
いつものようにスタンがそのあとを追いかけていく。
そんな二人の後ろ姿を見送りながらマリアがうなずいた。
『仲直りできたみたいね。よかった。ねえ、アーサー?』
***
それぞれのその後などを手短に……。
香は帰宅後、本当の父親の話を聞かされた。
ショックはあったものの、実は密かに、両親のどちらにも似ていなく、幼いころ妙な特殊能力を持っていた自分は、両親の実の子ではないのではないか、と気に病んだ時期があっただけに、母とは血が繋がっているということを確信できて、安心した、というところもあった。
血の繋がっていない自分を育ててくれている父には感謝の念しかなく、父も今までと変わらない、と言ってくれ、斉藤家の絆はより深まった感じであった。
香がテーミス王家直系の血を引いているという事実は、一部の人間にのみ伝えられ、公にすることは保留となった。今後、クリスと香が結婚、というようなことがあった場合には発表になるかもしれないが、そうでないならば隠し通したい、というのが双方の考えであった。
ちなみに、香の父が月の姫暗殺未遂を起こしたのは、織田将の臣下に催眠誘導を受けたからであった。
織田将は月の姫の予言に対しては、アーサーに報告だけさせて、予言が終わるまでは関与しない考えであったため、その臣下の単独判断であった。
その臣下はその後、菅原司から厳重注意を受けた。この件もあって、予言に関して織田家では司以外は行動しないことが暗黙の了解となっていた。
マーティン=ホワイトも月の姫の予言自体、夢物語のようなものだと捉えていたため、ジーンに報告を求めてはいたが、積極的に関与することはなかった。
織田将とマーティン=ホワイトは、まだお互いが10代であったときに、織田将が強引にマーティンのところに押しかけたことをきっかけに、内密に連絡を取り合うようになっていた。
今回の月の姫の予言騒動でも密に連絡を取り合っており、天文台へも東京から織田家の自家用ヘリコプターで一緒に来たのだった。
古沢イズミは、高校卒業までは香の家に残ることになった。
元々仲が悪かった両親との間の亀裂が今回の件で決定的なものになってしまった。以前から高校を卒業したら東京に出てこようと思っていたので、それが少し早まったという感じだ。
さっそく水泳部に本格的に入部し、夏休み中も練習に励んでいる。西田英子と松村明美が大喜びしている。
辻白龍は、夏休み明けからは元々通っていた進学校に戻ることにした。
ただし叔母の家には戻らず、風間忍の元に身を寄せることになった。
忍の研究の手伝いをすることを引き換えに学費生活費を援助してもらうことになったらしい。
後々はホワイト家に対抗しうる会社の起業を考えている。
桔梗とのほのかな恋もゆっくり進行中のようだ。
アル=イーティルは約束通り地球に残った。
アルのように地球に残ったイーティルも何人かはいるようだった。
あいかわらず、神出鬼没。
織田ミロクは、元の通りの生活。あいかわらず、織田家の跡取りにふさわしい人物となるために、家庭教師をつけられ朝から晩までビッチリ勉強させられている。
アルはミロクのことが気に入ったらしく、ミロクのところによく表れる。
風間忍も、元の通りの生活。
ただし、今まで少々真田に手伝わせながらも、ほぼ一人で進めていたテーミス星とデュール星の研究を白龍と共に行うことになり、実はかなり嬉しいらしい。(それで真田がヤキモキしている)
地球よりも進んだ科学力をもつ二つの星の研究をすすめ、地球にもその技術を持ち込むことを目的としている。
菅原司は、オーラが無くなったことでしばらくは凹んでいたが、本庄妙子に励まされ少しずつ元気になり、今まで通りの生活を取り戻しつつある。
カトリシア=ホワイトは、血筋のことを盾にクリスに迫ろうと思ったのに、香も直系の血筋と知り、ショックで寝込んでしまった。落ち込んでいるカトリシアを慰めているのは、クリスの弟アリストファーらしく、それはそれでお似合いのカップル誕生の予感……。
ジーン=マイルズ=ワルターは、オーラが無くなったことを良いことに、ワルター家の権力を大きくしようと画策中。ホワイト家とワルター家での権力闘争が勃発しそうである。
一般社会における、月の女王が降臨した現象については、山崩れの際に山の上に光る円盤が現れた、という目撃証言が多数でたため、2、3日は怪奇現象だと騒がれたが、そのうち立ち消えた。
テーミス・デュール両王家の正式発表では、「予言が成就し、地球に蔓延っていた異形の物・闇の力が駆逐された。その際にみなのオーラの力が必要となり吸収された」となっている。
この予言は、テーミス・デュール両家の協力により成就されたものである。3000年以上に及んだ両家の確執は今、融解の時を向かえようとしている。
オーラの消滅により、王家の威信は失われると思われたが、長年の体制が崩れることはなく、両王家の体制は引き続いていくこととなりそうである。
***
「で、香ちゃんは、クリスとはどうなってるの?」
「………どうといわれても」
香は肩をすくめ、紅茶に口をつけた。
今日は駅近くのおいしいと評判のケーキ屋に女子三人で食べにきたのだ。
女子三人。香・夕子・妙子、である。
妙子は何事もなかったかのように香と一緒にいる。
天文台からの帰り道、気まずそうな表情をして背を向けた妙子に、
「待って!」
と、思わず叫んだ香。
妙子が、司への想いと、香と友達でいたいという思いの間で揺れていたことは知っていた。
予言が終わった今、もう二人を隔てるものはないはずだ。
びっくりした顔をして振り向いた妙子に、
「これからも友達でいて。妙子さん!」
香が必死な瞳をむけると、
「もちろんよっ」
妙子が駆け寄って香のことを抱きしめた。
それから、もう2週間たつ。
妙子はうまいこと傷心の司の懐に潜り込み、司との仲が一歩も二歩も前進しそうな勢いであることを、香と夕子にのろけまくっていた。
その流れからの「クリスとはどうなってるの?」であったが……
「え? アーサーさん、じゃなくて?」
「夕子ちゃん、情報が古いわよ?」
ちっちっち、と妙子が人差し指を振る。
「アーサーには離れられな~い彼女がいるのよ。ちょうど昨日、彼女の弟と一緒に旅行から帰ってきたわよ」
「アーサーさん、本当に織田家に仕えるの?」
「そうそう。なんか弁護士になる勉強はじめるらしいわよ? 大学にも行かせてもらえるみたい」
「へええええ……」
織田将という人はずいぶんと面倒見のいい人なんだねえ……とつぶやくと、妙子が、そりゃあ司様のお父様だもん、とうふふと笑う。
「スタン君はこれからどうするって?」
「とりあえずリンクスのところに戻ったけど……。リンクスは司様の元から離れられないし、スタンはそれが嫌だし、で、また揉めてたわよ。そのうちまたクリスのところにでも家出してくるんじゃないの?」
再び出たクリスの名前に、香はケーキをフォークでつつきながら、何でもないことのように言葉を継いだ。
「あの人、今、日本にいないよ?」
「え?!いないの?!いつから?!」
「あのあとすぐアメリカ帰ったから……もう二週間?」
香の発言に妙子がはああ?!と呆れたような声をだす。
「何よそれっ。連絡は?!」
「ないよ?」
「えーーーーー」
妙子はぶうぶうと情けない男だねーダメだねーと文句を言いまくっている。
「え?なになに?香ちゃんとクリス君って何かあったの?」
「な、なにもないよ!」
途端にわかりやすく動揺する香。
「………あったんだ」
「あったね、こりゃ」
「だからないって!」
ムキになった香に、妙子はちっちっちっと再び人差し指をゆらした。
「私の目は誤魔化されないわよ~。香ちゃんとクリスのお互いを見る目、あーきーらーかーに変わってたもん! 香ちゃんが目覚めたときの2人の雰囲気なんて、見てるこっちが恥ずかしくなったよ? まあ、クリスが香ちゃんを好きなことは前からバレバレだったけど」
「うんうん。クリス君が香ちゃんのことを好きなのは知ってたけど」
「な………っ」
口をパクパクさせる香。
「いつから……っ」
「けっこう前からだよ? わかりやすいじゃないクリス君って」
「ねえ、もしかして、告白された?」
「えっそうなの?! 香ちゃんなんて答えたの?!」
「あの感じじゃOKしたってことだよね?」
「えええっそうなのそうなの~?!」
「…………」
親友2人からの質問攻めに、香はしばし押し黙り……
「なんか……わからない。好きとかって……」
「わからない?」
香がこっくりうなずくと、妙子がここぞとばかりに講釈をはじめた。
「好きっていうのは、その人とずっと一緒にいたいって思ったり、その人のことを知りたいって思ったり、その人が他の女の子に優しくしてるの見たら悔しーって思ったり……そういうことよ」
「…………」
「何より、その人の声を聞いただけで、顔を見ただけで、キュンってなるから分かるわよ~~」
うふふふふ、と妙子が笑う。
「あーいいなー私も恋したーい!」
夕子が羨ましそうにいう。
「夕子ちゃんの好きなタイプってどんな人なの?」
「えー?私ー?」
女子三人の恋話はまだまだ続くのであった。
夕暮れに空が染まる中、香は帰路へとついた。
もうすぐ自宅マンションにつく、公園の前の並木道……
「斉藤さん。斉藤香さん」
ふいに呼び止められた。ドキリとして振り返る。
「………クリス」
「よ」
軽く手をあげるクリス。二週間ぶりに見る笑顔。
心臓が跳ね上がっているのを誤魔化すために、香はわざとつっけんどんに言う。
「いつ帰ってきたの?」
「今さっき。夏美さんに聞いたら、夕子ちゃんたちと出かけたっていうから、そろそろ帰ってくるかなーと思って待ち伏せしてた」
「なんで?」
「なんでってことはないだろ」
クリスが苦笑して近づいてくる。
「すぐに会いたかったからだよ」
「………」
肩からかけたバックを胸に抱え込み、今にも逃げ出しそうな香。
「……なんでそんなに身構えてるんだ?」
「べ……別に身構えてなんかないけど……」
香は上目遣いでクリスを見上げると、
「なに? 何か用?」
「そう言われると言い出しにくいな……」
クリスは苦笑いを浮かべながらも、すっと香の右手を取る。
「斉藤香さん」
「な………っ」
香が手を引っ込めようとするのを、強く握り離さない。
クリスは正面から香の瞳を覗き込み、真面目な表情で言葉を継いだ。
「あなたのことが好きです」
「………っ」
「オレと付き合ってください」
「………」
香はしばらくの間、クリスの瞳を見上げていたが、
「あの封印をといた海で告白するとか思ってなかった? あそこが夢にも出てきた海だったんでしょ?」
「ああ……」
クリスがバツの悪そうな表情を浮かべる。
「あそこはさ、その……」
「なに?」
「いや、よく考えたら、オレと香の思い出の場所ってここかなって思ったんだよ」
「ここ?」
「オレたち初めて会ったのここだろ?」
「………」
約4週間前の、香の誕生日の翌朝、クリスがこの場所で香に声をかけたのだ。
「斉藤さん。斉藤香さん」
と……。
「オレ、あの時、この子を守りたいって強く思ったんだよ。月の姫とかそういうの取っ払って、香自身を……」
「…………」
香はジッとクリスを見上げると、
「………マリアさんに何かいわれた?」
「え!?」
ぎょっとして、思わずクリスは香から手を離した。
「お前まだ心の声読む能力残ってるのか?!」
「残ってないわよ。残ってたとしたって読まなくても分かるわよ」
「………えー……」
頭を抱え込み、道の端にしゃがみ込むクリス。
「いやだからさーマリアに言われたからとかじゃなくて、本当にお前自身のことが好きなんだってー」
「………」
胸がギュウッとなる。
「……正直、月の姫のことはずっと大切に想ってきたよ。オレが弟のことでものすごい落ち込んだときも、月の姫の存在だけがオレの光だった」
「…………」
「でも実際会ったお前はオレの想像してた月の姫とはちょっと違ってて……」
「違ってた?」
「なんつーか、オレ、月の姫は儚げなお姫様だと思ってたんだよ」
「………」
「でも実際のお前は、気強いし、つんけんしてるし」
「………悪かったわね」
「でも、瞳は寂しそうに揺れてて……。守りたい。一緒にいたいって、一目見て思った」
「…………」
「触りたい。抱きしめたいって……思った」
「…………クリス」
「司のところから飛び降りてきた、あの時の香はまさに月の姫そのものだったけど……。でもオレ、やっぱりいつものお下げの香の方が好きだって思ったよ」
「…………」
「お前と会えなかったこの二週間、そんなことばっかり考えてた」
「………」
自分の膝に顔をうずめたままクリスがポツリという。
香は大きく息をつくと、公園の柵に腰かけた。
「……二週間も音沙汰ないから、もう戻ってこないのかと思った」
「……ごめん。あっちじゃ四六時中周りに人がいて電話もできなくて……。もしかして、心配してくれてた?」
「心配っていうか……色々片づけてくるって言ってたから、どうなってるのかなあって……」
「うん……王位継承権、放棄したかったんだけど、それは無理だった。新世界っていってもこの王政はすんなり変わるものでもないみたいだ」
「………」
「でも日本に住む許可は取り付けられた。まあ、今までだって母親の遺産で生活してたんだから、文句言われる筋合いもないんだけどな。一応、筋は通した」
「…………」
「気がかりは弟のことだったんだけど……あいつもあいつでオレがいない方が都合がいいこともあるらしいから、離れたほうがお互いのためになるかと思って」
「そう……」
公園からヒグラシのなく声が聞こえてくる。
「香」
「………なに?」
クリスが膝を抱えたまま顔を香を見上げる。不安げな色の瞳。
「返事は? 返事を聞かせてくれ」
「…………」
香は困ったように眉を寄せると、
「いきなりそんなこと言われても……」
「いや、いきなりでもないだろ? オレ前から言ってたぞ?」
「だって……」
「オレのこと嫌いか?」
「………ううん」
かぶりをふる香。
「じゃ、好き?」
「……………」
押し黙った香をみて、クリスは内心で、よしっ否定なしっとガッツポーズを作り、立ち上がると、
「とりあえず、付き合ってみるってのどう?」
「…………あんたね」
ふっと香が笑う。
クリスは香の横に腰かけ、真面目な顔に戻り問いかける。
「オレじゃ……ダメか?」
「…………っ」
予言の日の前日の夜と同じようなセリフ。
このあと……キスをした。
香はぽつんとつぶやいた。
「あの時……キスしたいと思った相手はあなただったの」
「え………っ」
途端に顔がにやけるクリス。
「それって………」
「あなたが私のこと好きって知ってたから、だから、あなただったらって思ったの」
「? どういうこと?」
「私もよく分からないのよね……」
足をプラプラさせながら香が言う。
「あなたのことで、なんか色々モヤモヤしたり……」
頭の中に、クリスの婚約者だというカトリシアの映像が浮かび、フルフルと頭を振る。
「この2週間、会えなくて寂しいなって思ったり……」
「……え」
香の思わぬセリフに、クリスの頬が緩む。
「それって……」
「でも、それって、あなたが私のこと好きだからなんじゃないかな、と思って」
「? なんで?」
「今日、妙子さんが言ってたことも当てはまるし、自分でもそうかなって思ってはいたんだけど……」
「???」
「たぶん……私、あなたのことが好き……なんだろうなって……」
「………香」
クリスは目を見開き、香の横顔を見つめる。
「でも」
香のプラプラしていた足がピタリと止まる。
「でもそれって、あなたが私のこと好きだからなんじゃないかって思うの。私のことを守ってくれるあなたのことを好きであって、あなた自身をみていない気がする」
「……………え」
「だから、あなたを好きっていうのも違う気がする」
「……………いやいやいやいや」
ちょっと待て、と慌てるクリス。
「お前、なんか難しく考えすぎてるぞ?」
「そうかな……」
「そうだよっ。だいたいなあ、お前のことを好きじゃないオレなんてオレじゃないし。そんなこと考えるだけ不毛だ不毛」
「…………でも」
「とりあえず!」
クリスは立ち上がり、正面から香の顔を覗き込んだ。
「付き合ってみようぜ。オレたち。それから色々考えればいいんじゃないか?」
「…………」
香はしばらく黙り込んでいたが、ポツリ、とつぶやいた。
「………一つ条件があるんだけど」
「……なに?」
クリスが身構える。
香は言いにくそうに、クリスから視線を外すと、
「………しないでね」
「……え?」
あまりにも小さな声で聞こえず、クリスが聞き返すと、香は顔を赤くしながら、
「他の女の子の髪の毛結ってあげるとかもうしないでねっていったのっ」
「香………」
クリスは一瞬ぽかんとしたあと、
「お前、それ、カトリシアの話? まだ気にして……」
「き、気にしてなんかないもんっ」
「それさ、やっぱり焼きもちだよな……」
「ちーがーうー」
「焼きもちやくってことは、やっぱりお前、オレのこと……いでででででっ」
言葉が途中から悲鳴に変わった。
香がクリスの頬を思いっきりつねりあげたのだ。
「そのニヤニヤした顔、腹立つんですけど!」
「だってニヤニヤもするだろーー。あ、そうそう、カトリシアとの婚約は正式に破談になったから」
「え、そうなの?」
「あ、今、香、嬉しそうな顔した」
「してませんっ」
「したって~。いや~香がそんなにーーーイタイイタイっ本当に痛いって!」
「もー知らないっ」
勢いよく立ち上がる香。そのままマンションに向かおうとして、
「……あ」
ふと、立ち止った。
月だ。消え入りそうなほど細い月。
まだ白い。
青と赤に彩られたた空に描かれる白い月を見上げながら、香がつぶやく。
「月の女王って無事にイーティル星についたのかな……」
「たぶん、そんなに遠くないんだろうけど……」
「うん……テーミス星も実は見えてたりするのかな」
死の星と化したというテーミス星とデュール星。
そこに帰ることは二度とない。
自分たちは地球に生まれ地球に育ってきた。これからもそうだ。
「そういえばさ……ずっと気になってたんだけど……」
「なに?」
香が振り返ると、クリスはポリポリと頬をかきながら、
「お前の中にマリアがいたときに、アーサーと一緒に部屋の外に出ていっただろ?」
「あ……うん」
「………何してたんだ?」
「………何って」
香は首をかしげると、
「目つむってたから分かんない。それにすぐにあの織田の司様に捕まっちゃったし」
「そ、そうか」
司、ナイス!と思わず思ってしまったことは内緒にしておく。
「でも……」
「でも?!」
「抱きしめられた気はする……かな。何となく感触が………」
「なにおお?!」
ムッとするクリス。
「オレも今、抱きしめていい?」
「……ダメ」
「なんで!」
寄ってこようとするクリスを香が両手で押しのける。
「こんな往来で!しかも家の近くで!誰かに見られたらどうすんの!」
「いーだろ別に」
「良くないっここは日本です!そんな習慣はありません!」
「ちぇー」
クリスは口を尖らせたが、はっと気が付いて、
「今の言い方だと、人に見られてなかったらいいってことだよな?」
「え……っ」
首まで赤くなる香。
「そ、それは………っ」
「よしっ。分かったっ。じゃあ、それは今度のお楽しみに取っておいて……」
「お楽しみって……」
クリスは脱力した香の右手をつかむと、すっとひざまずいた。
「さっきの条件の話、必ず守ります」
「…………」
真摯な瞳がまっすぐに香を見つめる。
「だから、斉藤香さん。オレと付き合ってください」
「…………」
香は静かにクリスの青い瞳を見下ろし……こくんと肯いた。
「よしっ」
クリスは全開でガッツポーズを作ると、
「散歩に行かないか?」
「散歩? でももう……」
「あの月が黄色くなるまで。な?」
見上げる月はまだ白い。
「どこに?」
「うーん、川べりとか丘の上の公園とか、どこでもいい」
「どこでもって」
「どこでも」
クリスが愛おしげに香を見つめる。
「お前と一緒ならどこでも。どこへでも」
「…………うん」
小さくうなずく香。繋がれた手にぎゅっと力をこめる。
歩き出した二人の後を月が追いかけてくる。
見守るように、その光で包み込むように。
<完>
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ついつい……あれも書きたい、これも書きたい、とズルズルと書いてしまった。
長々と失礼いたしました。
終わっちゃった…
こんなに終わりたくない終わりたくないと思いながら書いたのは初めてだ。
まあ、でも、まだ書き写していない短編がたくさんあります。
そうそう。短編の詰め合わせが、ノート7冊あるんですわ。
でも、その前に!
小説ネタ帳のラスト「風のゆくえには」を書きます!
これを書かないことには、ノートの処分が終わらない。
風のゆくえには、も、ノート5冊とかあるんじゃなかったかなー。
ああ、でも、今は脳内が月の女王一色になってしまっているので
頭クリアにしてからじゃないとですね。
クリスと香がイチャイチャする話だったら、私、今後もいくらでも書ける気がする。
若かりし頃書いた短編もそんな話ばっかりです。
でも、若い頃は、漠然とこのあとクリスと香は結婚して……って思ってたんだけど、、、
人生経験ってやっぱり必要なんだな、と思うのは、
後々、就職してから書いた短編にはそれだけじゃダメだって話もあったりして……
いや、何事も経験ですね。
こっぴどい失恋も、結婚も出産も、ママ友いじめも、浮気された経験も、ぜーんぶ小説の糧になる。
正直ね、失恋にせよ、浮気にせよ、される前には、私はもっと冷静でいられるって思ってたんだよね。
でも、実際されたら、正気失ったよ。
自分でも思うんだけど……
中学高校時代に書いた話より、大人になってから書いた話のほうが感情に現実味がある。
でも、中学高校のときに考えた話のほうが自由で、想像の翼が大きい気がする。
この「月の女王」という話も、今では思いつくことはできないと思う。
40歳になる前に、書き終わることができて良かった。
でも、これでクリスと香に会えなくなるのは寂しいので…
「風のゆくえには」の小説ネタ帳を書いたら、短編の写しに入ろうと思いまーす。
そしたらクリスと香にまた会える~~。
長々とお付き合いありがとうございました。