【浩介視点】
『お前、先生になれ』
慶がそう言いきってくれたのは、おれの誕生日の翌々日のことだった。
おれの心の深淵から、色々なことを取り除いた純粋な「希望」だけを汲みあげてくれた慶………
その瞳に背中を押されて、おれはその日の夜、父の書斎を訪れた。
「学校の先生に、なりたいです」
勇気を出して言ったのだけれども………
父は読んでいる本から目を離そうともせず、
「勝手にしろ」
そう冷たく言って、部屋から出て行くよう手で追い払う仕草をしただけだった。
(ああ………この人、本当におれに興味ないんだな……)
分かっていたけれど、あらためて気付かさせられる……
やはり、弁護士になって跡継ぎにっていうのは母の希望であって、父にはそんなつもりなかったんだ……
そんな思いが一瞬のうちに頭を駆け巡って、動きが止まってしまったけれど、
(あ、印鑑!)
本来の目的を思い出して思考を切った。
「あのっ、これ、お願いしますっ」
あわてて、進路希望調査書を父に差し出す。第3希望まで書く欄はあったけれど、おれが記入したのは第一希望のみ。
父の母校の、教育学部。
父がふいっと顔をあげ、初めておれのことを見た。
冷たい目が怖い……。でも、頑張ってそらさないでいると、父は引き出しの中から、印鑑を取りだして、ボソッと言った。
「受かるのか?」
「あ……はい。一応、夏期講習の最後の模擬試験の偏差値だと合格圏内でした」
「…………」
模試を受けた時には違う学部を書いていたので、あとから教育学部の偏差値を調べてみたところ、充分合格圏内にいることが分かったのだ。
父は調査書の保護者欄に印鑑を押して渡してくれると、再び、手で追い払う仕草をした。さっさと出て行け、ということだ。おれだって一秒でも早く逃げ出したい。
「ありがとうございました」
頭を下げて書斎を出ると……
(………あああ)
どっと体の力が抜けて、廊下にしゃがみこんでしまった。
(勝手にしろ………か)
アッサリと許されたことに対する安心……と同じくらいに、虚しさ、みたいなものが心を占めている。おれの中にも、父に求められたいって気持ちはあったということだ。
………けれども。
(これでいいんだ)
ぶんぶんと頭を振って、余計な感情を追い払う。これで父の跡は継がないことに許可はおりた。万々歳だ。
(次は、母だ)
おそらく母は、ヒステリックに怒り狂うだろう。でも、母は父には逆らえない。父が印鑑を押したということは、母が何と言おうとこれで決定、と押し通せる。
「………よし」
立ち上がり、あらためて進路希望調査書を見返す。
(第一志望、教育学部)
おれはおれの人生を生きるんだ。
***
9月末、体育祭も無事に終わり、文化祭準備が始まった。でも、おれのクラスは不参加と決まったので(3年生は自由参加なのだ)、何もすることがない。去年あれだけ毎日忙しく楽しく過ごしたことが夢のようだ。
クラスには受験ムードが色濃く漂っていて、少し息苦しい。
おれも受験生らしく、模擬試験を受けはじめたのだけれども………、10月はじめに受けた模試では、体調が悪くなり、途中で帰ることになってしまった。
「体調管理も受験対策の一つだよ?」
試験会場の人にそう言われたけれど……別に初めから体調が悪かったわけではない。簡単に言ったら「緊張のしすぎ」。でも、それも普通の人の緊張とは少し違う気がした。
(慣れない場所と人のせいかな……)
おれは小さい頃、「初めての場所」や「人が大勢集まった空間」が極端に苦手で、幼児教室などに行っても、中に入ることもできず、母にしがみついて決して離れようとしなかった、という話を、母から聞かされたことがある。
三つ子の魂なんとやら、なのか、いまだに、慣れない場所は落ち着かない。
夏休み終わりの模試は、1ヶ月通った予備校の教室で行われたから、A判定を取ることができたけれども、その後受けた他の会場の模試では、ことごとくB判定になってしまった。受験本番ではどうなってしまうのか………
(高校受験の時は大丈夫だったのに………)
高校受験では、『憧れの渋谷慶に会う』という大目標があって、ものすごく集中していたし、運良く席が窓際の一番前だったのも幸いしたのかもしれない。
でも模試は、見知らぬ教室で、ピリピリとした見知らぬ同年代の人達に囲まれて………。集中しようと思えば思うほど、周りの細かいこと……机の形、壁の色、黒板の種類、鉛筆の音、空気の匂い……ありとあらゆることが気になって、集中できなくなる。そして………
『受験に失敗したら、どうなってしまうんだろう』
そんなマイナスの考えに囚われてしまう。
おれが『弁護士ではなく学校の先生になりたい』ということを知った母は、案の定、怒りまくった末に、泣き落としにかかってきた。
何日たってもグズグズと言い続ける母に、父の部下の庄司さんが、
『法学部出てなくても弁護士にはなれますから! とりあえず大学は浩介君の希望通りでいいんじゃないですか?』
と、取りなしてくれたお陰で、学部に関する母の攻撃はなくなったけれども……
『とにかくせめて、お父さんと同じ大学に行くのよ? お父さんをガッカリさせないで』
呪文の内容はそう変わった。それで、余計に追い詰められている。
『これ以上、失望させたら………』
数ヵ月前、慶と一緒に昔のアルバムを見ていて気がついたのだ。
おれが生まれたばかりの頃は、母にも、あの父にさえも、笑顔があった。でも、その笑顔が無くなったのは、おそらく、おれの幼稚園受験の失敗のせいで………
『また、受験に失敗したら………』
もう失敗しない。失敗できない。
そう思えば思うほど、動悸が激しくなっていく。
(………慶。助けて)
おれは必死に記憶の中の慶にしがみついて、何度も何度も深呼吸をする。そして、落ち着いたのを見計らって、問題を解く。でも、何かの拍子に、雑念が混じる。慶を思い出す。ひたすらその繰り返し……。こんなことでは良い結果なんか得られるわけがない。
***
時間が惜しくて、自転車通学をやめた。
うちからバス停までの徒歩時間と、バスに乗ってから慶と落ちあうまでの時間で、単語の復習、年号の記憶………と、とにかく必死だった。
でも、そんなおれとは違い、慶はまったく変わらない。いつも、明るくて、爽やかで……。
また模試で失敗した翌日、慶に甘えたくて触れたくて我慢できなくて、適当な理由をつけて、その温かい手をギューギュー握りながら登校していたら………、慶のクラスメートの安倍康彦が慶に声をかけてきた。
「明日の帰りさ、オレ塾ないから、プール行かね?」
「おー、いいな」
………………え。
慶の即答に、がーん……となる。
(明日って、12月22日なのに………付き合って一周年記念日の前日なのに……)
3年生になって、おれとはクラスが離れて、会える時間減ってるのに。安倍とは同じクラスでたくさん一緒にいられるのに。それなのに放課後まで遊ぶんだ………?
「浩介、お前も……」
ついで、みたいな誘い……。黒い感情がますます渦巻いてくる。
安倍は中学時代水泳部だったそうで、競争とかできて面白い、と以前言っていた。
(どうせおれは泳ぐの苦手だし。しかも受験生なんだからそんな時間ないし)
明日も家庭教師がくる。遊びにいってる暇はない。
「おれはいいよ」
繋いでいた手を離すと、繋がっていた心まで離れたような気がした。
「楽しんできて」
「え、あ」
「じゃ」
背を向けて、歩き出す。
「浩介! おれ今日、アルバム委員の集まり……」
「うん。先帰ってるね」
一瞬振り返って、ヒラヒラと手を振る。なんとか笑顔を作ったつもりだけど、上手く誤魔化せただろうか。この醜い独占欲を見られていないだろうか。
------------
お読みくださりありがとうございました!
長くなったので、分けることにしました。本当は年明けの話まで書きたかったけど、それは次回に……。
暗い真面目なお話にお付き合いくださいまして本当にありがとうございました!!
次回は火曜日に更新の予定です。よろしければどうぞお願いいたします。
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高校生活もあと少し……お見守りいただけますと有り難いです。どうぞよろしくお願いいたします。
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1992年冬
【慶視点】
10月の中頃、浩介が「バス通学にする」と言い出した。登下校の時間にも勉強したいのだそうだ。
浩介の最寄りのバス停→おれの最寄りのバス停→高校前、という路線のバスは30分に1本しかないため、必ず同じバスに乗るんだけど、浩介は時々、勉強に集中しすぎていて、おれが乗ってきたことに気がつかないことがある。
12月に入ってからは、その回数が更に増えたように思う。
「………浩介、着いたぞ?」
「え!? わ、慶っ。いつの間にっ。声かけてよ~~」
「いや……あまりにも集中してたから……」
そんな会話をしながらバスを降りることも、もう何回目になるだろう……
「あーあ。せめてバスの中でだけでもイチャイチャしたかったのに……」
「あほか」
ブツブツ言いながら横を歩く浩介に蹴りをいれてやる。そのついで、みたいにサラリと聞きたいことを聞く。
「昨日の模試、どうだった?」
「それは…………」
浩介は言いかけてから………大きくため息をついた。
「………ごめん。聞かないで」
「……………そうか」
背中をさすってやると、浩介はゴンっと頭をおれの頭にのせてきて、ボソッと言った。
「おれ、模試ってホント苦手」
「………………」
浩介は模試で実力を発揮できないことに悩んでいる。学校の成績は相変わらず良いし、模試の問題も、帰ってきてから見直すと全問正解することができるのに……
「なんか……初めての場所って緊張しちゃうんだよね……」
夏期講習の最後に行われた模試は、1ヶ月通った教室で受けたので、実力がきちんと出せて、あの難関校でA判定を取っている。
でも、その後は、個人申し込みであちらこちらの模試を受けているため、その度に会場が違うのでダメなのだそうだ。おれにしてみれば、教室なんてどこも一緒だと思うんだけど、浩介的には全然違う、らしい。目に見える景色や、空気とか匂いとか、まわりにいる人の雰囲気とか、まるで違うので、心が落ち着かない、と言う。
「まあ……模試はしょせん模試だからな。そういうのに慣れるために受けてると思えばいいんじゃね? 今のうちにいっぱい受けて本番で緊張しないようになれば」
「うん……」
浩介は下を向いたまま歩いていたけれど、校門の近くまできたところで、ふいっと自然な感じにおれの手を取った。
「あーあ。こうやって慶と手繋いでたら絶対大丈夫なのになー」
「あほかっ」
朝っぱらから、学校の前で何してんだっ。
払ったけれど、「えー、いいじゃん」と、今度は両手で掴まれた。
「手繋いで登校しよーよ。公認カップルって感じでよくない?」
「なんだそりゃ」
浩介、受験勉強のし過ぎで、「変」に拍車がかかってる……
「お前、大丈夫か?」
「だから大丈夫じゃないんだって」
「…………だな」
そうとう精神的に来てるな……
「だから……なんだっけ? なんとかパワー? ちょうだい」
「あー……ハンドパワーな?」
「そうそうそれそれ」
「別におれパワーないけどな……」
しょうがないので、右手を掴まれているのを放置して歩いていたら、
「うわ……。何、手繋いで歩いてんだよ?」
横から声をかけられた。同じクラスの安倍康彦。通称ヤスがあきれ顔でこちらをみている。見られても浩介は離す気はないらしく、シレッと「おはよー」とか言っているので、おれも肩をすくめてヤスに言う。
「ハンドパワー、だってさ」
「は?」
そりゃ「は?」だよな……
「まあ、気にするな」
「あ………そう」
ヤスは首をかしげながらも、「あ、そうだ」と手を叩いた。
「明日の帰りさ、オレ塾ないから、プール行かね?」
「おー、いいな」
ヤスとは高1の頃から時々、学校から徒歩15分のところにある区営プールに一緒に泳ぎにいっている。ヤスは中学時代水泳部だったそうで、そこそこ早いので、競争とかできて面白いのだ。
「浩介、お前も……」
「おれはいいよ」
おれが振り仰いだのと同時に、浩介がスッと手を離した。
「楽しんできて」
「え、あ」
「じゃ」
浩介は、ふいっと背を向けて、昇降口に入っていってしまって……
(……?)
クラスが違うため、靴箱の場所も離れているので、ここで別れるのは別に不自然ではないんだけど、なんか………
「浩介! おれ今日、アルバム委員の集まり……」
「うん。先帰ってるね」
一瞬振り返って、ヒラヒラと手を振った浩介は、ニコニコしてるけど目は笑ってなくて……
(浩介……?)
やっぱり、変、だよな……。
今日も明日も一緒に帰れないから拗ねたのかな……
そう思ったけれど、
(まあ……明後日は『付き合って1周年記念日』で一緒に出掛ける約束してるし、そこでフォローすればいいか)
なんて軽く考えていたのが間違えだった。
浩介はこの後、どんどん不安定になっていって、新学期からはスキンシップ率が極端に減り、1月後半からは学校にも来なくなってしまった。
------------
お読みくださりありがとうございました!
次回は病みMAXの浩介視点。金曜日に更新予定です。よろしければどうぞお願いいたします。
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***
帰り道、ほんの少しだけ寄り道するのが日課となっているおれ達。
一昨日の浩介の誕生日には、高校の近くの駄菓子屋に行った。バスケ部の連中が良く使っている駄菓子屋なので、浩介は部活帰りに時々行っていたらしいけど、おれはまだ2回目。おばあちゃんになりかけのおばさんが一人で切り盛りしている小さな店のわりに、品数が多くてバラエティに富んでいるので、いるだけで楽しくなってきた。
「何でも好きな物買ってやる!」
と、言ったら、一回10円のチョコのクジを引いてほしい、と頼まれた。恐ろしくクジ運の悪い浩介は、今まで20回は引いているけれど、末賞の小さなチョコしか当たったことがないそうなのだ(それはそれですごい確率な気がする)。
対して、昔からやたらクジ運の良いおれ。案の定、2回目で3等を当て、5回目で1等を当ててしまい……
「わー!すごいすごいすごーい!ありがとう!」
と、大喜びされたけれど、
(18歳の誕生日プレゼントがたったの50円でいいのか?! もうちょっと金額かけて当てたかったのにっ)
って、悶々としてしまった。クジ運が良すぎるもの考えものだ……
だから昨日、「50円じゃ気が済まないから他に何かないのか?」と、聞いたら、
「じゃあ、膝枕して♥」
と、語尾にハートを付けて頼まれた……。それで、帰りに川べりに寄って、渋々(いや、膝枕が嫌なんじゃなくて、上の道を通り過ぎる人に見られるのが嫌なんだ)5分だけ膝枕をすることになった。
「あ~幸せ♥ あ~幸せ♥」
頭を撫でてやっていたら、浩介はふざけた調子でそんなことを言っていたけれど……
「おれはこうして慶が一緒にいてくれれば、それでいい」
最後にはポツンと寂し気につぶやいた。
(………海でもそう言ってたな)
あの時も、そう、寂しそうにいった。
(お前はそれでいいのか?)
この話、踏み込んでいいのか……迷う。あの時も迷って結局何も言わなかった。こうして昨日も迷っていたけれども……
今日の帰りは、土曜日で午前授業だったから腹も減っているけれど、おれの家の前の公園でバスケットをすることになった。
「ちょっとだけ、バスケの練習付き合ってくれる?」
少し言いにくそうに、浩介が言ってきたのだ。
夏休み前に一日だけコーチをした生徒達のことが気にかかるから、明後日、バスケット教室に顔をだしたいそうだ。
「行ってもいい?」
「……おお」
前回は内緒で行って喧嘩になったので、今回はちゃんと報告してくれたらしい。浩介が初恋の相手の美幸さんに会ってしまうことはものすごく嫌だけど……
「加藤君、みんなとうまくやってると良いんだけど……。松山君も元は良い子だから、彼が率先して加藤君とコミュニケーションとってくれたらって思ってて、それで……」
子供たちのことを熱心に話している浩介の声に、胸が熱くなってくる。
(お前……やっぱり、先生向いてるよ)
おれや山崎のテスト結果が良かったことを我が事のように喜んでいた浩介。
迫田先生に「進路希望調査書が提出されていない」と言われ、作り笑いをしていた浩介。
お前がどうしたいのか。そんなのお前以上におれが分かってる。
(踏み込んで………いいよな?)
余計なお世話かもしれないけれど……それでもおれはお前に笑顔でいてほしい。
**
バスケットゴールが小学生がいて使えなかったのは、おれ的にはラッキーだった。端の方でパス練習をしながら、浩介に問いかける。
「なあ……進路希望調査書、出してないって言ってたよな? なんで?」
「なんでって……あの、わ……」
「忘れるわけないよな? お前が」
「………」
浩介、無言のまま投げ返してきた。パス練習をしている時は、誤魔化されない。パスに気を取られて自分を取り繕えなくなるからだろう。
「お前……本当に弁護士になりたいのか?」
「…………」
「…………」
「…………」
1、2、3とボールを往復させてから、浩介は投げるのをやめて、ボールを持ってこちらにやってきた。そして、軽く首を振ると、
「なりたいなりたくない、じゃなくて、ならないといけないんだよ」
「なんで?」
「なんでって……っ」
「…………」
「…………」
何か言いかけたのにやめてしまった浩介。とんとん、と無言でドリブルをしている。その無表情からは気持ちは読み取れない。でも………、踏み込ませてくれ。
「お前さ」
ボールを奪い、グイッと胸元に押しつけ、キッパリと言いきってやる。
「本当は、学校の先生になりたいって思ってるだろ」
「!」
ハッとした顔をした浩介。
「なんで……」
「なんでもくそもねえよ。見てりゃわかる」
「…………」
じっと正面から見据えてやると、浩介はフッと目線を外して首を振った。
「ホントに……慶には敵わないなあ……」
「…………」
それは……もちろん、肯定、ということだ。
「おれは、向いてると思うぞ? 先生」
「…………ありがと」
浩介はボールを受け取り、ゆっくりとまたその場でドリブルをはじめた。その真剣な横顔に、思い切って問うてみる。
「親に、学校の先生になりたいって、言えないのか?」
「………言えない。けど………」
本当は、言いたい。
って言葉が、その瞳に浮かんでいるのは、おれの勘違いじゃないだろう。
「……前にお前、『おれの人生はおれのものじゃない』って言ってたけど……」
「…………」
「おれは……お前の人生はお前のものだと思う」
「…………」
浩介はしばらくの間、無言でドリブルをしていたけれど………
「…………分かんない」
ボールをつくのをやめて、ボソッと言った。
「分かんない?」
「うん……どうすればいいのか分かんない。今さらなんだけど………」
「今さらってことはないだろ」
「そう………かな」
とんっとボールを渡された。
「だから、決められなくて、進路希望調査書も書けなかったの。本当は法学部って書かないとって思ってるんだけど………でも………」
「………………」
「週明け締め切りって言われたのにね」
「………………」
寂しげに目を伏せた浩介………
本当は法学部? そんなことはない。浩介の心は学校の先生で決まってる。それなのに、親からの圧力で違う道が選択肢に入っているだけだ。でもその圧力をはねのけることが難しくて………
どうすれば、浩介は自分の気持ちに正直になる勇気を持てる?
どうすれば………
どうすれば………
「あ」
ふいに、ひらめいた。
『わー!すごいすごいすごーい!ありがとう!』
一昨日、駄菓子屋ではしゃいでいた浩介。………運任せのクジ引きなら、強制的にその道を選べる、か? ………よし。
「運だ運」
「え?」
「運任せで決めようぜ」
「は?!」
ビックリ顔の浩介の背中をバシッと叩いてやる。
「決められないんだろ? だったら『天の神様の言う通り』だよ。あ、ちょうど終わったな。行こうぜ?」
コートから出て行く小学生と入れ替わりで、浩介の腕を掴んでコートに入る。
「じゃあ……ここからシュート打て。で、入ったら学校の先生。入らなかったら弁護士ってことで」
「はああ?!」
浩介が大声で叫んだので、小学生が驚いて振り返っている。でも構わず話を続ける。
「この位置だったよな。引退試合でお前が3ポイントシュート決めた場所」
「そう……だけど」
夏休み前の引退試合、浩介はキレイなシュートを決めたのだ。
「じゃ、ここからで」
「えええ?!」
ちょっと待って、ちょっと待って、と浩介はワタワタしている。
「あれは奇跡的に入っただけで、練習の時だってなかなか……」
「入らないことを心配してるってことは、先生になりたいってことだろ」
「え?!」
ビックリしたように叫んだけれど、結局そういうことなのだ。弁護士になるつもりがあるなら、入らなくても構わないんだから。
「違うか?」
「それは……っ」
そんなの無茶苦茶だよ……、と途方に暮れたように言う浩介に無理矢理ボールを渡す。
「まあ、とにかくやってみろ。神様の言う通り、だ」
「…………」
浩介はジッとボールを見つめていたけれど、観念したように、シュートの構えをした。
(大丈夫………大丈夫)
入れ………入れ。
浩介は目をつむり……それから、バチっと目を開けた。
(うわ………)
今までに見たことがないくらいの真剣な瞳の光にドキッとする。
大丈夫………大丈夫。
入る入る入る………
浩介は大きく息を吐き出すと、
「………っ」
音にはならない軽い気合い声ともに、お手本通りのきれいなシュートフォームで、ボールを放った。
入れ………入れっ!
「………………あ」
一瞬の間のあと、ボールは、きれいな弧を描いて……………、あっさりと網の中に吸い込まれていった。
本当に、あっさりと。
入るのが、当然。みたいに。
「入っ……………た」
ポカーン……………とした浩介。
(やった………! やった!)
という、内心のガッツポーズは押し隠して、再びバシッと背中を叩いてやる。
「よし。入ったな。じゃ、先生だ」
「慶………」
浩介は呆然としたまま、こちらを振り返った。
「慶………どうして? 入るって分かってたの………?」
「おお」
本当は内心ドキドキしていたけれど、そんなことは露とも見せず、自信たっぷりにいってやる。
「さっきのパス練習で、お前の腕力が落ちていないことは検証済みだったからな。あとは集中力の問題だったけど……」
「集中力?」
「おお。まあ、気持ちの問題っつーのかな」
ニッと笑ってやる。
「お前の入ってほしいって気持ちが強かったから入ったってことだよ」
「………え」
「お前、入ってほしいって思ってただろ?」
「あ……………」
驚いたように目を見開いた浩介の胸に、とん、と手を押し当てる。
「自分の気持ちに正直に、だよ」
「……………」
「浩介」
まっすぐに、その大好きな瞳を見つめる。
「お前、先生になれ」
自分の気持ちに正直に。
お前の人生はお前のもの。
お前の行きたい道へ進め。
浩介は、しばらくポカンとしていたけれど……
「慶!」
「わわっ」
いきなり抱きついてきた。
「慶……慶」
「……………」
公園だけど、道行く人が見てるけど………でも、いい。今日ばかりは、特別だ。
「慶………ありがとう……」
耳元で聞こえる浩介の声には涙がにじんでいた。
おれ、本当は先生になりたかった。
心が決まった。
親に………話してみる。
涙と共に、覚悟もにじんでいる。
「頑張れ」
「………………うん」
背中に回した手に力をこめると、浩介は小さくうなずいた。
------------
お読みくださりありがとうございました!
今回も、私が高校生の時(1992年💦)に書いたエピソードそのまま使用でした。
次回は火曜日に更新の予定です。よろしければどうぞお願いいたします。
クリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当にありがとうございます!
こんな真面目なお話なのに、ご理解いただけて本当に本当に嬉しすぎて震えます。
この「旅立ち」ももうすぐ終わり……彼らの高校卒業まで見届けていただけますと幸いです。
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【慶視点】
最近、浩介の様子がおかしい。
受験生なんだから、いつでも明るくいられるわけはないけれど………それを差し引いても、塞ぎこんでいる時間が増えた。そして、無理して笑おうとする回数も増えた。
それから、妙に、人の志望校や希望学部の話題に敏感になっているように思う。
「篠原はね、英文科志望なんだって」
「英文科? あいつ英語好きなんだ?」
「ううん。全然」
浩介が苦笑して言った。
「英文科には自分好みの女の子が多いんだって。去年からあちこちの大学に潜り込んで調査したって言ってた」
「あいつ、本当にブレナイ男だよな……」
女大好き篠原は、いつも女のことしか考えていない。実は良いところのお坊ちゃんで、おじいさんが経営しているいくつかの会社のどこかにコネ入社できるので就職の心配はなく、とりあえず四年生大学を卒業しさえすればいいそうだ。
「みんな色々だよね。溝部みたいに家業を継がないって人もいれば、篠原みたいに、親のコネをバッチリ使おうとしている人もいて……」
浩介はまた暗い瞳になりながら、言葉をついだ。
「慶や山崎みたいに、将来なりたいものが決まってる人もいれば、長谷川委員長みたいに、色々なことに可能性がありすぎて決められない人もいて………」
「委員長? そうなんだ?」
二年生の時のクラス委員長の長谷川は、何でもできる器用貧乏、というイメージがある。
「うん。だからとりあえず、東大目指すんだって。学部はどこでもいいって」
「なんだそりゃ」
思わず吹き出してしまった。頭が良い奴は考えてることが分からんな……。
でも、浩介は寂しげに目を伏せ、
「そういう選択もあるんだなあって、感心しちゃったよ」
「……………」
……………。
(そういうお前は、どうしたいんだ?)
廊下を歩きながら、喉元まで出かかった言葉を、外に出すかどうか迷ってしまう。
先ほど、浩介が担任の迫田先生に呼び止められていたのだ。進路希望調査書が提出されていないという。
「うちのクラスで出してないのお前だけだからな? 週明けには絶対、親にハンコもらってこいよ?」
いかつい顔の迫田に腕を叩かれ、「すみません」と、作り笑いをしていた浩介………
『父親の事務所を継ぐために弁護士にならないといけないから、法学部を受ける予定』
浩介は二年生の頃からそう言っていた。
そう決心しているのなら、なぜまだ調査書を出していないんだ?
お前、本当は………
「そういえば、慶。休み明けテストどうだった? 今日返ってきたでしょ」
「ああ………」
会話を変えたいような明るい言い方に、ますます違和感を覚えながら、コクリとうなずく。
「おかげで英語、過去最高得点だった。サンキューな」
「わ。良かった。嬉しい」
ニコニコと笑った浩介。いつも見せてくれる笑顔………
「………嬉しい?」
「そりゃ嬉しいよ。慶が……」
「あ!桜井!渋谷!」
浩介の言葉に重なるように、靴箱の前にいた山崎が手をふってきた。珍しくはしゃいだような声だ。
「桜井、ありがとう! おかげで今回の古典、すごく良かったよ」
「わ!ホントに!?やったね!」
「おお。すげえな」
国語が苦手な山崎。夏休み前の数日間、浩介が勉強をみてやっていたのだ。
山崎は、恥ずかしそうに頬をかくと、
「あ、でも、現代文が壊滅的だったから、結果はトントンだったんだけどね」
「あはは。じゃ、次は現代文だね」
浩介、やっぱりすごく嬉しそう。山崎もつられたような笑顔で、
「よろしくお願いします! って、あ、渋谷、桜井の貸し出し、引き続きお願いしたいんだけどいい?」
「………………………ほどほどにな」
わざと不機嫌な顔を作って答えると、山崎は「こわいなあ」と苦笑しながら、行ってしまった。
「貸し出しって?」
キョトン、とした浩介の額をぴっと弾いてやる。
「お前はおれ専用だからな。貸し出しになるだろ」
「あ、そっか」
うふふ、と笑った浩介。
でも………
おれは気がついてしまった。
お前はもう、おれ専用じゃなくて、みんなの「先生」になりたいんじゃないか………?
------------
お読みくださりありがとうございました!
高校生の悩み………懐かしい。
次回、金曜の予定です。お時間ありましたらどうぞよろしくお願いいたします。
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【浩介視点】
おれは将来、父親の弁護士事務所を継ぐために、弁護士にならなくてはならない。
その話をしていた時に、
「それを蹴ってまでやりたいこと、だよ。ないのか?」
慶に問われて……
一瞬。ほんの一瞬だけ、頭の中に映像が駆け巡った。
『分かった!』
そう言って笑った慶の嬉しそうな顔。
『桜井君って教えるの上手だよね』
高2の時のクラスメート達の声。
『うちの子、桜井コーチのおかげで、みんなの仲間に入れてもらえたって………』
お母さんの隣でニコニコしていた加藤君……
『お前、先生、向いてるよな』
慶………
でも………でも。
母の鋭い声が、父の冷たい目が、それを覆っていく。
おれの将来はおれのものではない。
「そんなこと……」
そんなことを望む権利、おれには認められていないんだ。
***
夏休みは、あまり慶と遊べなかった。
予備校の帰りに慶が会いに来てくれて駅でおしゃべりをした、とか、運動不足解消のためのランニング、ということにして、慶のうちの方に行って、ほんの数分だけ会った、とかはあるけれど、遊べたのは2回だけ。一回は夏祭り。一回は海。
海に行けたのは、溝部が誘ってくれたおかげだった。
そして、庄司さんのおかげでもあった。
溝部が誘いの電話をくれた時、ちょうど庄司さんがうちにご飯を食べにきていて、
「気分転換に行ってくればいいよ。いいですよね? 桜井先生」
と、父に言ってくれたので、無事に行くことができたのだ。
おれより15歳年上の庄司さんは、父の事務所で働きはじめてもう10年近くになる。
学生時代ずっとサッカーをやっていて、今も当時の仲間達と趣味で続けているからか、色黒でがたいが良くて、あまり弁護士らしくない。体育会系ならではの大きな声と、朗らかな人柄で、庄司さんが来ると、うちの雰囲気がすごく明るくなる。
夏休み最終日の今日も、夕飯を一緒に取りながら、最近解決したという案件の話を面白おかしくしてくれて、母からも笑いがこぼれていた。
「桜井先生、本当にかっこよかったんですよ! 奥さんにもみせてあげたかった!」
「まあそうなの?」
「だから庄司、その話はもういいから」
………………。
父のちょっと困ったような嬉しそうな顔。おれの前では絶対にしない顔。
(庄司さんが息子だったら良かったのに……)
おれみたいに暗くて内向的な息子じゃなくて、庄司さんみたいに明るくて社交的な人が息子だったら………って、父も絶対にそう思っている。
庄司さんが来てくれるのは嬉しいけれど、自分と比較して落ち込んでしまう時がある……
でも、そんなことを知られるわけにはいかない。ニコニコと笑顔を作ってやり過ごす。
こうして食事も終わりに近づいた頃、
「浩介君は、やっぱり桜井先生と同じ大学志望?」
「あ……はい」
庄司さんの明るい問いかけにコクリと肯くと、庄司さんは二ッと笑った。
「ってことは、オレの後輩にもなるわけだ。早慶戦、一緒に観に行こうな?」
「………はい」
受かれば……だけど。という言葉は何とか飲みこんだ。そんなこと言おうものならば、母の怒涛の説教をくらうだけだ。受かるのが当たり前。受からないなんてありえない。そのプレッシャーに押しつぶされそうだ……
なるべく目立たないようにお腹を押さえながら、胃が痛いのをやりすごそうとしていたところ、続いた庄司さんのセリフに息が止まった。
「先生も良かったですね。子供と一緒に観に行きたいっておっしゃってましたもんね」
「………?!」
思わず父の方を思いきり振り返ってしまった。
(は?! 一緒に観に行きたい?!)
何言ってるんだ?! 家庭をまったく顧みないこの父がそんなこと言うわけないじゃないかっ。
「そ………」
「この出来損ないがうちの大学に受かるかどうかわからんがな」
「………………」
吐き捨てるように言って、すっと立ち上がり、リビングの方へいってしまった父……
「そちらでお飲みになりますか? 先日いただいたお酒が……」
母がイソイソと父の後をついていき……おれと庄司さんだけダイニングに取り残された。
(出来損ない……)
出来損ない……中学の時にも言われた。学校にちゃんと行けるようになった今でも、やっぱり父の中のおれは、ただの出来損ないなんだ………
(出来損ない……)
父の言葉が頭の中をぐるぐる回っている中、
「桜井先生って照れ屋で可愛いよな」
「…………っ」
庄司さんの呑気な言葉に、飲んでいたお茶を吹き出しそうになってしまった。可愛いって、どこをどうとったらそんな言葉が出てくるんだっ。
「弁護士の顔してるときの桜井先生は本当にクールでかっこいいんだけど」
「……………」
それは……知らないけど……
「オレもあんな弁護人になりたいけど………道は遠いなあ」
「え………」
庄司さん、ふっと遠い目になった。
「オレさあ……弁護士になりたくて、すげえ勉強して………」
「……………」
「でも、なれたらなれたで、自分の実力不足がもどかしかったりして……」
「…………」
意外だ。いつも明るい庄司さんがそんなこと思ってたなんて……
「30過ぎたオッサンが何言ってんだって思われるかもしれないけど……オレも早く、桜井先生みたいに依頼人の期待にこたえられる弁護士になりたいんだよなあ」
「…………」
庄司さんは、「なんてなっ」と、照れたような笑みを浮かべると、
「浩介君も受験頑張れよ~待ってるからな~」
ポンポンとおれの肩を叩いて、リビングに行ってしまった。
……………。
『弁護士になりたくて、すげえ勉強して………』
庄司さんは弁護士になるべくしてなった人だ。それに比べておれは………おれは。
(おれは、弁護士になりたいと思ったことは一度もない……)
そんなおれが弁護士を目指すなんて、本当になりたくてなっている人に対して失礼だ。
(それに、それに……おれは……おれは……っ)
叫び声が喉元まで出かかったけれど……
リビングから聞こえてきた両親と庄司さんの声に我に返って、ゴクン、と飲み込んだ。
***
翌日。9月1日2学期の始まり。
「教育相談を受けるので、今日、お弁当お願いします」
そんな嘘を母は疑いもせず信じて、いつもながらの栄養バランスの考えられた完璧なお弁当を作ってくれた。学校で教育相談があるのは嘘ではない。ただし、希望制だ。おれは別に相談したいこともないので希望は出さなかった。母は学校の予定表を読みこんでいて、その日が何時間授業で何時に帰って来るか、ということを熟知しているけれど、おれが教育相談の希望を出したかどうかまでは分からなかったようだ。
「慶のうち、遊びに行ってもいい?」
教育相談を受けない生徒は午前授業なので、慶に聞いてみると、
「もちろん! あ、英語で分からないところがあるから教えてくれー」
「うん」
明日は休み明けテストもある。予備校で受けた模試の結果は、まあまあだった。でも母は満足していない。この休み明けテストの結果についてもうるさく言ってくるだろう。胃が痛い。吐き気がする。家にいると頭痛もひどくて勉強どころではなくなる。
(それに比べて……)
慶の家はなんて居心地がいいんだろう。漂っている空気が清涼だ。癒される。
「お前、昼飯は?」
「あ……お弁当、持ってきた」
「そっかそっか。おれ、焼きそば作るけど、食う?」
「わ! 食べる食べる!」
慶は時々、自分でご飯を作る。すごいな、と思う。慶は何でもできる。それに比べておれは……
(って、人と比べてばかりだな……)
自分にないものを羨んで、下を向いて……。おれはそればかりだ。
(やめよう)
ぶるぶると首を振って、マイナス思考を振り落とす。せっかく慶と一緒にいるのに、そんな気持ちでいたくない。
台所に立った慶に問いかける。
「何か手伝えること、ある?」
「んー……、じゃ、玉ねぎの皮、剥いてくれ」
「うん」
人参を切っている慶の横で、玉ねぎの茶色い皮をむく。とん、とん、とん、とまな板に包丁が当たる音だけが響いてくる。
(大人になって一緒に住めるようになったら……)
こんな風に過ごせるかな……。そうしたらどんなに幸せだろう……
おれの将来はおれのものではないけれど……慶と一緒に過ごす未来だけは守りたい。
(それだけでいい)
それだけで、いい。それ以上は何も望まない。望まない。望まない。
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お読みくださりありがとうございました!
今日から仕事初め!なので、このブログも通常通り?!の安定の暗さの浩介視点でした。
次回は慶くん視点。このウジウジ君の悩みをズバッと解決してもらう予定です。
火曜日に更新の予定です。お時間ありましたらよろしくお願いいたします。
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