【慶視点】
2021年8月10日(火)
せっかく浩介も夏休み中で、おれも休務日だというのに、持ち帰った仕事とその他諸々に一日潰されることになってしまった。
「おれも読みたい本あるから気にしないで?」
浩介はいつものようにそんな優しいことを言ってくれる。
「そもそも緊急事態宣言中だし、熱中症警戒アラートも発令されてるから、どこにもいけないしね?」
「…………」
その優しさに甘えてばかりではいけない、と分かってはいるけれど、この異常事態の中では、もう甘えるしかない。
「…………。夕方までには終わらせるから、涼しくなったら散歩行こうな?」
「お散歩!いいね!」
パンッと手を叩いて目をキラキラさせてくれた浩介の期待を裏切るわけにはいかない。
集中するために、パソコンのある部屋とリビングとの仕切りも閉めて、画面に向かった。膨大な資料に目を通し、レポートを書き、オンラインミーティングにも出席し……
あっという間に夕方6時半になった。
全部終わったとはいえないけれど、何とか形にはなった。あとは明日以降に持ち越そう。
(全然音しなかったけれど、浩介、いるんだよな……?)
昼ご飯を一緒に食べたきり、部屋から出ていないので顔もみていない。ちょっと心配になりながら仕切りを開けて、リビングをのぞき……
(…………なんだ)
ホッと息をついた。浩介がリビングのソファーで寝ていたのだ。
肘置きを枕代わりにして、本を持ったまま。長い脚がソファーから飛び出ている。
(…………)
こうして浩介が寝ている姿を見ると、きゅっと胸が熱くなる。無防備で、安心しきった寝顔……
そっと、持っている本を引き抜いて、ローテーブルに置く。と、浩介の手が本を探すように動いた。
「……浩介」
その手を掴みながら、ソファの隙間に座ると、
「…………慶」
ふわりと微笑まれた。伝わってくる愛しい気持ち。
「終わった?」
「んー、まあ、なんとなく」
「なんとなく?」
何それ、と笑いながらキュッと手を握り返された。大きな手。
「お前は? 読み終わったのか?」
「うん。読まなくちゃいけない本は読み終わった。今読んでるのは、生徒から勧められたマンガ」
「マンガ? 珍しいな」
カバーをしてあるので、マンガとは気が付かなかった。浩介は活字中毒と言っていいほど、常に本を読んでいるけれど、マンガを読むことはあまりないのだ。
「面白くなかったのか?」
途中で寝てしまうなんて、つまらないに違いない。
そういうと、浩介は苦笑しながら、首を振った。
「まあまあ面白いんだけど……せっかくだから寝っ転がって読んでたら寝ちゃって」
「なんだそりゃ」
せっかくだから? 意味がわからない。
すると、浩介が小さく笑った。
「寝っ転がって、マンガを読むって、おれにとってはすごい贅沢なことなんだよ」
贅沢?
首を傾げると、浩介が起き上がりながら、何でもないことのように、言った。
「おれ、実家にいた頃はマンガ読ませてもらえなかったし、本はきちんとした姿勢で読むように躾けられてたからさ」
「……………」
浩介の両親は躾に厳しい。その行き過ぎた束縛に浩介はずっと苦しんできた。
今でこそ両親と笑って話せるようになったけれども、その恐怖心を完全に払拭できたのかというと……
なんと言ってよいか迷っているおれに気がついたのか、浩介が明るく言葉を継いだ。
「だからね、高校生の時、慶が部屋で寝っ転がってマンガ読んでるの見て、ものすごい衝撃受けたんだよね」
「衝撃?」
「うん」
クスクス笑う浩介。
「すごい!おれもやりたい!って思った」
「へえ……」
でも、記憶の中の高校生の浩介は、いつでも姿勢良く本を読んでる。今も「寝っ転がって」は滅多にない気がする。ベッドの中で読むときですら、寝そべらず、座っていることが多い気が……
という、おれの疑問を読み取ったように、浩介が続けた。
「でもやっぱりきちんとした姿勢の方が読みやすいんだよねえ。三つ子の魂なんとやら、だね」
「ふーん…………」
「でも、時々、やりたくなる」
ついっと腰に手を回される。
「背徳感っていうのかな?悪いことコッソリしてる感じ?」
「あー…」
「でも、目が悪くなるっていうのはウソだね。慶、目、いいもんね」
「まあな……」
そのせいか、老眼くるの早かったけどな……
自虐的につぶやくと、浩介はアハハと笑ってから、ふと気がついたように言った。
「そういえば、慶って、オンラインの時はメガネかけてるの?」
「いや、資料みながらの時はかけることあるけど、普段はかけない」
「そっか。よかった」
さわさわさわと腰に回された手が動いてくすぐったい。
「よかった?何が?」
「だって、メガネの慶カッコイイから、あんまり人に見られたくないなーと思って」
「なんだそりゃ」
老眼鏡でカッコイイって……ないだろ。
こちらの感想も気にせず、浩介はニコニコと言葉を継いだ。
「慶は声もカッコイイよね。聞き取りやすくて、癒やされる声」
「そんなこと……」
「あるよ」
くしゃくしゃと頭を撫でられる。
「さっきもね、隣の部屋から慶の声が聞こえてきて、あーいいなあ……て思ったんだよねえ」
ふわりと抱きしめられる。
耳元で聞こえる優しい声。
「今日は、寝っ転がってマンガ読んで、隣に慶がいて。ほんと贅沢な休日」
「…………」
愛しさに包まれていく。
「今更だけど、一緒に住んでるっていいね」
「…………そうだな」
一緒に過ごせなくても、隣にいられる。
「夜ご飯、できてるよ。もう食べる?」
「おお」
「食べたらお散歩いこ?」
柔らかい瞳に、胸がいっぱいになる。
ああ、贅沢で幸せな休日だ。
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お読みくださりありがとうございました!
先月の8月10日に書こうと思っていた話でした💦
本日9月10日は浩介君の誕生日です。
47歳おめでとう!
昨年は月見バーガーでお祝いでした。(風のゆくえには〜30年記念誕生日)あれからもう一年もたったのか……月日が経つのが早すぎる。
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