ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

旅と音楽~そして、僕の選択

2009-08-29 10:50:16 | Weblog
尾崎豊は10代で3枚のアルバムをヒットチャートに送り込んだあと、ニューヨークへ渡った・・・レコード会社と1年で20曲を作って帰ると約束をして。一年後、彼が作って来たのはたった3曲だったと言う。その中の一曲が、名曲「街路樹」。まぁ、それはいいとして。


オーストラリアの旅で、ガスボンベと共にダットサンに積んであったのが、メルボルンのアクランドストリートの楽器屋で買ったアコースティックギター。メルボルンのシティのデイビッドジョーンズという名の高級デパートの前で「Town The Life ~ 99 generation」やらなんやらを歌って小銭を稼いだのを覚えてる。ほぼ一年間、片時も離れることなく一緒に過ごした。そのギターから生まれた曲が「Believe」や「Tears」や「ララバイ」や「Swagman's Story」や「Bye Bye Buddy」などだ。

ヨーロッパを三ヶ月かけて巡った旅に持って行ったのはマイクロカセットレコーダー。通称「テレコ」。ロンドンでもマドリッドでもリスボンでも、ベルリンでもアムステルダムでも、どこでもかしこでも、思いつくフレーズを鼻歌でテレコに吹き込んだ。90分テープ2本分くらい吹き込んだ。そのテープを聴き返すことは無かったように想えるが、その旅から生まれた曲が「Canary Wharf」「ハレルヤ~I Love You」「ジャンフランソワの恋人」「午前0時にBad Moonで」「太陽の子供たち」などなどだ。

音楽を作ることはミュージシャンとしての誇り。だから、僕は四六時中メロディを浮かべては記そうとしていた。旅という非日常の中から生まれてくるメロディに耳を澄まし、漏らす事無く記録しようとしていた。

少し時間が経って、その後の何度かの短い旅では、楽器を手にすることも、テレコを携帯することもなかった。生の空気を記録することよりも、自分の中に取り込まれた空気感が、後に吐き出されることを待つためだ。だから、旅の間にメロディを口ずさむことは、ほとんど無くなった。それよりも、よりたくさんのものを記憶とフィルムに残すことにした。だから、その後のヨーロッパからも、ギリシャからも、カナダからも、タイからも沖縄からも、直接唄を持ち帰ることはなかったんだな。何十曲か、思いついたメロディはあるけれど、とっても良いメロディだなと想ったりもしたけれど、録音することなく過ぎたメロディはことごとく全部忘れてしまった。でも、そこから生まれたメロディが無数にあることは、その後僕が作った曲の数を見てもらえば分かると想う。ただ旅と曲を繋げる関係に、特筆すべきものがないというだけな訳だ。


昨日、Amazon.co.jpからちっちゃくて可愛いギターが届いた。今回の旅にはギターが必要な気がした。ただなんとなく、ふとそんなことを想ってしまった。「直感は信じなければいけない」~おばあちゃんの遺言だ・・・あっ、やっぱり、おじいちゃんの遺言にしよう・・・。音が出ればそれでいい。そんな気持ちでちっちゃいギターを衝動的に注文した。届いたギターの音は想像以上に悪かった。正直に言うと、ちょっと聴いた事がないくらいに「最悪」だった。実際、そのままゴミ箱に突っ込んで、もうちょっとましな音の出るギターを買おうかと想った。でもね、よくよく考えたらそれでいいのだ。そんなのがいいんだ。だってね、僕が目指すのは、ゴミ箱の中から生まれて拾われるような音楽なのだからさ。この音ダメ子ちゃんと共に旅をしようと想う。片時も離れずに旅をしようと想う。

そう、僕も約束しよう。この旅で20曲を完成させて持ち帰ると。v。。。そして、実際には3曲だけ作って帰ってくるよ、とね。v。v。v。だって、三週間なんて、一年の52分の3だもん。3曲でも多いくらいさ。