ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

プロとアマの間にある壁なんぞ、クソなガキにはわかるまい。

2015-05-23 01:38:52 | Weblog
昔、大人なのに、子供じゃないのに「子供バンド」という名のバンドがいた。うじきつよし率いるロックバンドである。少しアンダーグラウンドではあるが、そんなにはアンダーグラウンドではない、たまにテレビに出たりもする、子供バンド解散後のうじきつよしはテレビのMCなんかもする、そんな感じのロックバンドである。

一部の人たちしか盛り上がっていないとはいえ・・・つまり、「鮎川誠?」「誰?」「シナロケ?」「で、なに?」という一般的な世界の中での出来事なのである。そう、盛り上がっていないとはいえ、市民の税金をふんだんに使った小さな町の一大イベントなのである。

まずは実行委員会が結成される。クズバンドマンたちが集合するのである。

シナロケを呼んでおいて、照明や音響を「おれたち、やりますから!まかせてください!」とクズなクソガキバンドマンが言うわけにもいかない。
照明や音響はプロを雇う。実際、経費のほとんどはそこに消える。

シナロケ実行委員会の会合に、大物が現れるという噂があった。どうも「元子供バンド」の人らしい。

実行委員会はなにをするか?何をしたか?というのは、覚えていない。ただなんとなくテキトーにやっていたんだと思う。

では、何のために、実行委員会にクズバンドマンが集まっているのか?
それは・・・シナロケの前座を務めるバンドになりたいから、なのである。

ある日、大物が会合に現れた。こんな片田舎の小さな町の公民館の会議室に。あの大物が。
その人は、元子供バンドのうじきつよし!ではなくて、元子供バンドのうじきつよし!の横でギターを弾いていた谷平さん。通称タニヘーさん。

タニヘーさんの指導の元、オーディション参加希望の各バンドがひと月ほど切磋琢磨し、各界の著名人たちを審査員に呼び、タニヘーさんが審査委員長を務め、合格すれば晴れてシナロケのライブの前座を務めららる。という。

実際、タニヘーなんて、誰も知らない。「噂ではうじきつよしだったなに!」「誰だよ、タニヘーって?」

実際、なぜかタニヘーは偉そうだったのである。生意気な感じ。「偉そうにしちゃってさ」的な。
でも、それはそうである。自分の年齢の半分もいかないクズなクソガキバンドマンを前にして、へーこらもないもんである。

実際、タニヘーが誰だか知らないが、小さな町のクソみたいな人生を送りながら、鬱憤晴らしに爆音を上げるだけの僕たちが、初めて会ったプロのバンドマンである。

なんだか、少年たちは一様に、複雑な心境になるのである。

画して、クソガキバンドマンやガキではないけどクソなバンドマンたちは、シナロケの前座ふた枠を巡って競い合うのである。

ちなみに、審査に参加した各界の著名人の一人は、わが町の市長だったりする。

つづく。