僕は、フェイスブックなんぞやっていない。フェイスブックなんぞをやると、なんだか色々な事柄を頼りに、20年も会っていない同級生とかから「久しぶり!今何してんの?」とか?そういう類の連絡が来て、怪しげな壺とか羽毛布団とかを買わされそうな気がするのでやらないのである。
だって、怖いじゃんね?
LINEはやってるよ。あれ、やってるって言うの?LINEやってる?ってどういう意味なんだろうか?LINE使ってる?と意味は違うのだろうか?
LINEはメールの代用のように思っている僕の見解は間違っているのだろうか?
「LINEやってる?」ってどういう意味?というのが、ここ3年ほどの、僕が抱える大いなる懸案事項だったりする。
LINEてさ、携帯電話の電話帳を勝手にLINEのサーバーにアップされちゃったりしているわけでね。それはそれで大層恐ろしいことなんだけど。そんでもって、そのアップされた電話帳を基にして、「これはあなたのお友達ですか?」とか、LINEカンパニーのシステムが勝手に推測してくるわけだ。
僕は電話帳に入れたデータを消すなんてことはしない主義でね。だって面倒だから。だから夥しい数のデータが登録されているわけ。そのうち半数以上が、いまや誰だか思い出せず、半数以上が、もうすでにこの番号は使っていません。という人たちなわけ。半数以上と半数以上を合わせると全部を超えるよ?とか、そういう細かいことはいいんだよ。イメージだよ、イメージ。
だから、LINEの「お友達」のところに、見たこともない人や、知らない国人や、物凄い美人の写真とかが出てきて、たまに驚いたりしているわけ。
で、携帯の電話番号をずっと変えていない人もいるわけで。たまに懐かしい人の名前や写真を見つけると「元気かなぁ?」とか、「懐かしいなぁ」とか思ったりしているわけ。
話は変わって。
世界を敵に回す恋をした時のお相手のオシノミちゃんとは、ずいぶんと長いこと付き合った気がする。若かりし頃の恋だけに、想い出はたくさんある。
ヨーロッパを一人で放浪した時、90日間、毎日、彼女宛てに絵葉書を送った。ヨーロッパの様々な国のそこかしこで、毎日素敵な絵葉書を買って、切手を貼って、ポストに投函した。
90日間の間、彼女から二度、手紙を受け取った。
リスボンの中央郵便局で彼女からの手紙を受け取った。
リスボンの郵便局で受け取った手紙を、開封せずにバスに乗り込み、ユーラシア大陸の最西端、ロカ岬まで行って、感慨深く読んだりした。
なんて書いてあったかは忘れたが、ロカ岬に吹いていた風は忘れない。そして、ロカ岬で手紙を読んでいる自分の姿は、今でも脳裏に焼きついている。
バルセロナの中央郵便局では、郵便局のおじさんとケンカになった。
届いているはずの彼女からの手紙が、「ない」と言うのだ。「そんなはずなはい!もう一回探しやがれ!プリーズ!」と、そんなやりとりを三日ほど繰り返した。
結局、手紙は受け取れず、あきらめ、泣く泣くバレンシア行きのバスに乗った。
なぜ、手紙を受け取れなったか?それは、彼女がバルセロナ宛には出していなかったから。という話は帰国してから聞いた。郵便局のおじさんに謝りに行きたい気分だった。
僕が彼女に出した90枚の絵葉書を、部屋に並べてみたら壮観だろうなぁ・・・などと考えていた。でも、僕がその一枚の絵画の様な風景をみることはなかった。
恋が終わって、何年かが過ぎて、彼女から連絡が来た。
「嵐の曲を書いてみない?」
彼女はレコード会社に勤めていた。嵐ってのは、アラシである。デビューして間もない頃の嵐である。
そこで、僕は4曲ほどの曲を作って彼女に送った。
彼女からの返信は・・・
「やっぱり・・・いい曲作るね」だった。
嵐の曲のコンペなんぞは、数百人のプロが参加するような熾烈なコンペなので、残念ながら僕の曲は採用されなかった。
「でも、いい曲作るね」で、僕の成果報酬は支払われたような気分になった。
その時に作った曲は、ご存知「SWEET AGE」である。
ちゃんと、櫻井翔くんが歌うラップみたいなところもある。CDを借りて研究しながら作った。
その後の、彼女の消息は知らない。に等しい。
で、話は元に戻る。
LINEの話である。
ある日、彼女の名前らしきものが、僕のLINEのお友達のリストに加わった。
それだけでは、他人なのか本人なのかが分からない。
プロフィールの写真を見てみる。
小さな男の子が公園を走る写真だった。
彼女によく似た、可愛い男の子だった。
心がピョコンと跳ねた気分になった。
時々、本気で思うことがある。
僕が知る全ての人が、幸せでありますように・・・。
だって、怖いじゃんね?
LINEはやってるよ。あれ、やってるって言うの?LINEやってる?ってどういう意味なんだろうか?LINE使ってる?と意味は違うのだろうか?
LINEはメールの代用のように思っている僕の見解は間違っているのだろうか?
「LINEやってる?」ってどういう意味?というのが、ここ3年ほどの、僕が抱える大いなる懸案事項だったりする。
LINEてさ、携帯電話の電話帳を勝手にLINEのサーバーにアップされちゃったりしているわけでね。それはそれで大層恐ろしいことなんだけど。そんでもって、そのアップされた電話帳を基にして、「これはあなたのお友達ですか?」とか、LINEカンパニーのシステムが勝手に推測してくるわけだ。
僕は電話帳に入れたデータを消すなんてことはしない主義でね。だって面倒だから。だから夥しい数のデータが登録されているわけ。そのうち半数以上が、いまや誰だか思い出せず、半数以上が、もうすでにこの番号は使っていません。という人たちなわけ。半数以上と半数以上を合わせると全部を超えるよ?とか、そういう細かいことはいいんだよ。イメージだよ、イメージ。
だから、LINEの「お友達」のところに、見たこともない人や、知らない国人や、物凄い美人の写真とかが出てきて、たまに驚いたりしているわけ。
で、携帯の電話番号をずっと変えていない人もいるわけで。たまに懐かしい人の名前や写真を見つけると「元気かなぁ?」とか、「懐かしいなぁ」とか思ったりしているわけ。
話は変わって。
世界を敵に回す恋をした時のお相手のオシノミちゃんとは、ずいぶんと長いこと付き合った気がする。若かりし頃の恋だけに、想い出はたくさんある。
ヨーロッパを一人で放浪した時、90日間、毎日、彼女宛てに絵葉書を送った。ヨーロッパの様々な国のそこかしこで、毎日素敵な絵葉書を買って、切手を貼って、ポストに投函した。
90日間の間、彼女から二度、手紙を受け取った。
リスボンの中央郵便局で彼女からの手紙を受け取った。
リスボンの郵便局で受け取った手紙を、開封せずにバスに乗り込み、ユーラシア大陸の最西端、ロカ岬まで行って、感慨深く読んだりした。
なんて書いてあったかは忘れたが、ロカ岬に吹いていた風は忘れない。そして、ロカ岬で手紙を読んでいる自分の姿は、今でも脳裏に焼きついている。
バルセロナの中央郵便局では、郵便局のおじさんとケンカになった。
届いているはずの彼女からの手紙が、「ない」と言うのだ。「そんなはずなはい!もう一回探しやがれ!プリーズ!」と、そんなやりとりを三日ほど繰り返した。
結局、手紙は受け取れず、あきらめ、泣く泣くバレンシア行きのバスに乗った。
なぜ、手紙を受け取れなったか?それは、彼女がバルセロナ宛には出していなかったから。という話は帰国してから聞いた。郵便局のおじさんに謝りに行きたい気分だった。
僕が彼女に出した90枚の絵葉書を、部屋に並べてみたら壮観だろうなぁ・・・などと考えていた。でも、僕がその一枚の絵画の様な風景をみることはなかった。
恋が終わって、何年かが過ぎて、彼女から連絡が来た。
「嵐の曲を書いてみない?」
彼女はレコード会社に勤めていた。嵐ってのは、アラシである。デビューして間もない頃の嵐である。
そこで、僕は4曲ほどの曲を作って彼女に送った。
彼女からの返信は・・・
「やっぱり・・・いい曲作るね」だった。
嵐の曲のコンペなんぞは、数百人のプロが参加するような熾烈なコンペなので、残念ながら僕の曲は採用されなかった。
「でも、いい曲作るね」で、僕の成果報酬は支払われたような気分になった。
その時に作った曲は、ご存知「SWEET AGE」である。
ちゃんと、櫻井翔くんが歌うラップみたいなところもある。CDを借りて研究しながら作った。
その後の、彼女の消息は知らない。に等しい。
で、話は元に戻る。
LINEの話である。
ある日、彼女の名前らしきものが、僕のLINEのお友達のリストに加わった。
それだけでは、他人なのか本人なのかが分からない。
プロフィールの写真を見てみる。
小さな男の子が公園を走る写真だった。
彼女によく似た、可愛い男の子だった。
心がピョコンと跳ねた気分になった。
時々、本気で思うことがある。
僕が知る全ての人が、幸せでありますように・・・。