ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

ゴマシオセンセイと不確かな世界。

2015-08-22 01:11:34 | Weblog


センセイは今頃どうしているだろうか?と、時々想う。
センセイがまだ生きていたとして、何かの虫の知らせみたいなものを感じたとして、センセイをライブに誘ったとして、センセイが来てくれたかというと・・・多分来なかっただろうなぁ・・・とか、想う。

センセイが死んじゃったから想うのだろうけど、やっぱり、センセイがまだ生きていたとして、ライブを観に来てくれたとして、ステージの上からセンセイを呼んだりして、一曲だけでもいいから、逆に、一曲だけがいいから、僕の横でマラカスを振ってくれたりしたら、すげぇ楽しかっただろうなぁ・・・とか、想う。


無記名で書き込みがあったのだけれど、こんな風に。

「昭和くんの情報もっとください」

誰が書いたのか、なんとなく察しはつくのだけれど、誰が書いたのかは不確かなのである。

昭和くんの情報とは、どういう意味なのだろうか。僕とセンセイの想い出をもっと書いてくれという意味なのだろうか。横浜徒歩紀行の想い出話をもっとくれ!ということなのだろうか。きっと違うのだろうね。書き込みの主が誰なのかという、僕の察しが当たっているならば。でも、それもまた不確かなのである。

では、一体何を知りたいのだろう。と、思いを巡らせてみる。彼女は、どんな情報が欲しいのだろう。
センセイが自殺をした日付のことなのだろうか?その方法なのだろうか?その理由なのだろうか?

残念ながら、僕は、何も知らない。僕が知っていることは、全部書いた。
僕が知っていることは、センセイが五月に自ら命を絶った、サヨナラも言わずに。ということだけ。
それは確かなことなのか?と聞かれても、僕には答えられない。

先月、センセイが通っていた教会で、センセイのお別れ会が執り行われたそうだ。その時の写真が送られてきたので、それを一枚。


そういえば、北海道に北根室ランチウェイというのがあるそうだ。
総距離70キロを超える、歩くためだけに作られた一本道があるそうだ。
次に北海道へ旅をする時は、その道を歩いてみようと想う。
センセイと一緒に歩いた距離よりも、だいぶ長い距離である。
一人ぼっちで脚が痛くなっても、肩を貸して支えてくれるセンセイはいないのである。

僕はこれからも、そんな風に、センセイと共に、生きていくのである。
みんなにも、そんな風に、センセイと共に、生きていって欲しいのである。