「ノンストップ症候群」という言葉をよく聞きますが、医学用語ではなく、俗語のようです。しかし、
「自分たち世代は多かれ少なかれそんな傾向がある
なぁ」
と妙に納得してきました。
最近、何でも「○○症候群」とか「○○シンドローム」と名付ける傾向があると思います。
広辞苑では、しょうこうぐん〔症候群〕(syndrome) は医学用語で、
○一群の多彩な症候で形成されるまとまった病態。原因および発生機序が同一であれば独立した疾患単位であるが原因が多岐にわたるものもある。
○転じて、病的傾向を意味する接尾語としても用いる。
また、ノンストップ〔non-stop〕については、
○乗り物が目的地までとまらないこと。無停車。無着陸。
と記述しています。
これらから推測するに、「ノンストップ症候群」とは、
何か、特に仕事に類することをし続けていなければ、自分の社会的存在感が薄れるのではないかとの不安や苛立ち、はたまた強迫観念が募り、落ち着きがなくなったり、孤独感に苛まれたり、やる気が低下したりしてくる。これを回避しようとして、何かをやろう、やり続けようとする。そんな精神的傾向を指しているのではないでしょうか。
私たち団塊の世代は、絶対的多数の中で育ちました。向上心に溢れる者も、そうでない者も必然的に競争の世界に放り込まれたと言ってもいいでしょう。少しでも自分の存在をアピールすることが求められ、“目立たない=存在を認識してもらえない”といった強迫観念に近いものを少なからず持って育ったように思います。
したがって、就職してからは“誰よりも早く出社し”、“誰よりも遅く退社する”。残業請求は以ってのほか。といったような生活習慣が身についてしまった人も多々あるように見受けられます。
昭和50年代の高度経済成長期にあって『企業戦士』と持て囃され、一つの仕事を完了しても次の仕事が待っている。ともすれば複数の仕事を同時進行させる超人的なことも平然とこなしてきた。
このため、仕事が無くなると、
「余暇ができた! へ(Д´ )ノ ヽ(´▽`)/ 」
と喜ぶ前に、“やることがなくなった”と不安になってしまうのです。自分自身にある“やるべきこと”に気付かずに。
生活の全てが仕事なのです。
会社の仕事のようなことを何かしていれば安心できるのです。
このような生活習慣が身についてしまった人は、離職後も何かし続けようとします。このこと自体は決して悪くはないのですが、“何かすること”が目的になってしまいがちです。
“すること”を見失ったとき、“ユッタリ”と自分と周りを見つめ直す余裕を持つことができれば問題はありません。
かく言う私も「ノンストップ症候群」かも知れません。