2月3日は節分。そして私の何度目かの誕生日。そして・そして!生田裔神八社の縁日。
そんな日、生田裔神八社の一つで、地名にもなっている二宮神社と生田神社に詣でました。
朝9:30頃に家を出て地下鉄に乗り、10:30頃に二宮神社に着きました。
お正月には三宮の生田神社とか垂水の海神社とかに初詣し、節分には二宮神社にお詣りしたいと思っています。
≪御祭神と由来≫
御祭神は正勝吾勝勝速日 天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやび あめのおしほみみのみこと)
摂政元年(西暦201年)、神功皇后が三韓長征の帰国の途上、神託に基づいて生田神社を建立。その際に、天皇家にゆかりの神々を祀る八社を巡拝されたことに遡ります。神功皇后の参拝順に一宮から八宮までの呼称が生まれたと伝えられており、二宮神社を始めとして生田裔神八社の歴史は1800年以上に及ぶと考えられます。
また、貞観年間(859~877年)に、当時生田神社があった砂山(いさごやま=新神戸駅の裏山、布引山)が大水害に見舞われ、・・・・・ 貞観10年(868年)7月8日、播磨国で地震(播磨国地震)および翌年の貞観津波による被害か?・・・・・現在の地に御社を築くまで、二宮神社で生田神社の神様をお祀りしたと伝えられています。現在も二宮神社の拝殿近くに生田神社の御神体を奉安したとされる「御幸石」があります。
この日、二宮神社では節分祭が執り行われており、お詣りした人に善哉とお神酒の振る舞いがありました。拝殿の広間に設けられた長机についていただきました。
二宮神社にお詣りした後、生田神社にお詣りしました。
生田神社では、午前中は餅つき踊り、福餅の振る舞い、地域の幼稚園児たちの豆撒きなどがあり、午後は12:00頃から6組(神戸清盛隊、にこいち、越野翔子、KOBerrieS、SHINGO★西成、風さやか)のライブ、その後13:45頃から本殿で神事としての節分祭、14:00頃から豆撒き神事=特設櫓からの豆まきが行われました。
豆の撒き手として、月亭八方さん、桂きん枝さん、長谷川穂積さん、ナジャ・グランディーバさんなどの有名人が参加していました。
宝塚歌劇団出身の風さやかさんのライブ・ステージ以降豆撒きまで、くまもんや球団などのマスコット・ゆるキャラも参加し、とても賑やかで楽しいステージになりました。
写真を撮りながら、17袋の福豆などを受け取りました。
女房は、福豆の他、竹輪をゆるキャラから受け取ったとのことでした。
≪節分とは≫
節分とは、本来、立春・立夏・立秋・立冬(各季節)の始まりの日の前日のことです。
江戸時代以降では特に立春の前日を指すようになりました。(主に2月3日。年により、2月2日であったり、2月4日であったりします。)
一般的には「福は内、鬼は外」と唱えながら福豆を撒き、数え年の数だけ豆を食べて厄除けを行います。
季節の変わり目には邪気が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊祓いです。これは、平安時代頃から行われている「追儺」(大晦日」に行われた)から生まれました。「鬼やらい」とも言われています。古くには立春を新年とする風習があり、その前日は大晦日となることから、立春前日の節分に“追儺式”が行われる場合が多くなっています。京都の石清水八幡宮では、節分直前または当日の日曜日に「鬼やらい」を斎行しています。
「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じることから、鬼に豆をぶつけることにより邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあるようです。
【関係サイト】
○ 二宮神社
○ 神戸市中央区 葺合・地名ものがたり
○ 神戸市中央区 かたりべ「第5話 松がきらいな生田の神さま」
○ 神戸市交通局 市バスに乗って八社巡りに出かけよう!
○ 生田神社
○ 海神社
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