白雲去来

蜷川正大の日々是口実

秋思。

2018-09-25 13:38:42 | 日記
九月二十四日(月)晴れ。

お墓参りに行こうかと思ったが、交通情報では、東名はかなり渋滞している様子。家族で話し合って日延べすることにした。自宅の仏壇に手を合わせてから朝食。アコウダイの粕漬、さつま揚げ、豚汁。昼は、サンドイッチ。夜は、町内の仲良しさんたちとの月に一度の懇親会。

歳時記によれば、春はものを憂い、秋はものを考える季節とのこと。いわゆる「愁思」である。秋を感ずる思いなり。秋を感ぜしむる自然物は数多あるべし。秋風の音も秋思を誘い、虫の声、砧(きぬた)声も秋思を誘う。その他には何とはなくて秋を感ぜしめらるる場合あるべし。この情は是れ秋思なり-。とある。

ちなみに「砧」を打つ音は「砧音」と書いて「ちんせい」と読む。砧は木で出来た木槌。それを叩く音を「砧声(ちんせい)」という。洗濯した後の布をたたいてしわを伸ばすのに使ったりした。

李白の「子夜呉歌(しやごか)」と言う詩に、「長安 一片の月 萬戸 衣を擣(うつ)の聲」と言うものがあるが、これが「砧を打つ音」すなわち「砧音」と言われている。砧を打つ音などよりも、洗濯板でごしごし洗うのも見なくなって久しい。

秋か・・・。野村先生の句に、「獄中生活十年目、一句」と題して、石廊を出て鰯雲 「また秋か」。がある。来月は群青忌である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山頭火賞。

2018-09-25 13:01:59 | 日記
九月二十三日(日)晴れ。

老舗の出版社である春陽堂が創設したのが「種田山頭火賞」と言うもの。どういった賞かと言えば、いわゆる「俳人」に対するものではなく、「信念を貫いた活動で、多くの人に感動を与えた文化人や表現者を顕彰する」というもの。その第一回の受賞者に、舞踏家で俳優の麿赤児氏が選ばれたと、新聞で知った。

本当かどうかは知らないが、アメリカ人に一番知られている俳句というのが、芭蕉や一茶の句ではなく、山頭火の「まっすぐな道でさみしい」と言うもので、こう英訳されるそうだ。「Staright road, full of loriness 」。日本とは違い、延々と続くまっすぐな国道が珍しくない、いかにもアメリカ人好みの句かもしれない。いや山頭火のことではない。麿赤児氏のことだ。以前読んだのが『完本 麿赤兒自伝ー憂き世 戯れて候ふ』(中公文庫) というもの。

その本の内容は、破天荒で波乱万丈、生き様は、一昔前の右翼浪人のようなのだ。特に、右翼の大物として知られていた三上卓先生宅を訪問し、あわよくば資金提供を受けようとする「武士は死せず、ただ消え去るのみ・テロリストM氏虚実会見記」は出色である。脚本を書いたり、演技をする、いわゆる「表現者」は、当然ながら文章も上手だ。作家になっていたとしても成功していたのではと思った次第。九百円+税、高いコーヒー一杯より満足感があること間違いない。是非ご一読を。(昨年の十一月三日の私のブログ)。受賞の理由は、「一見無頼、自在な人生を送ってきた方で、山頭火賞の出発にふさわしい」とのことである。

夜は友人らと「日高屋」という何の店だか分からない所で一献。その後、口直しに寿司屋に転戦。普通の店のありがたさをしみじみ知った。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする