白雲去来

蜷川正大の日々是口実

元旦に訃報が・・・。

2025-01-02 15:28:00 | 日記

令和7年1月1日(水)晴れ。

大晦日、久しぶりに揃った家族で食事。マグロ、ブリ、の刺身に酢だこ、アルゼンチンエビ、子供用のハンバーグ。年末の年中行事となった「紅白歌合戦」を見ながら、それでも話が弾む。穏やかで、静かな年末。ふと愚妻が、子供たちに向かって「来年は、五人、六人と家族が増えるといいね」。私が、「五人、六人と増えるよりも、三人になってしまうかもよ」。と言うと愚妻と子供たちが、固まってしまった。昨年は、二度も入院したし、体調もあまり良くない。私には何も言わないが、皆、私のことを心配してくれていると言うことを実感した。年越しそばを食べ、「ゆく年、くる年」で除夜の鐘を聞いてお開きにした。

正月の朝は、八時に起床。顔を洗い、口を漱ぎ、玄関に国旗を掲げ、皇居を遥拝。四か所のカレンダーを新しいものにする。吉屋信子の「手のつかぬ月日ゆたかや初暦」の句が浮かぶ。九時前に、家族全員で自宅を出て、伊勢原の浄発願時に向かう。途中、海老名のSAにて、大熊雄次、松本佳展の両氏と合流。

その時に、大熊氏の携帯に、犬塚博英先輩からラインが入り、岐阜の花房東洋先輩逝去の報。すぐにご子息の仁さん、娘さんの寿美乃さんと連絡を取り、誤報ではないことを知り、愕然とする。元旦に、涙を流す準備も出来ぬままに東洋先輩は逝けり。海老名のSAを出ると、霊峰富士が初春の陽に照らされていて鮮やかだった。

浄発願時に着けば、大悲会の志村会長や小森君らが、すでにお墓の清掃を済ませていた。先生のお墓に、花房東洋先輩の訃報を報告し、今年一年、皇国はもとより、一門の健勝をお願いした。次に「道友・縁者」のお墓に手を合わせ。私の両親のお墓へ。ここも、志村、小森の両君がきれいに清掃を済ませていてくれた。ご住職にご挨拶をして辞す。横浜に戻り、新横浜にある三会寺へ向かい、後輩の板垣哲雄君のお墓を清掃し、花を手向けて手を合わせた。彼が亡くなってからから19年が過ぎた。

終了後は、中華街にて直会。二時間ほどいて解散。録画しておいた「ニューイャー駅伝」を見る。旭化成が最終区で逆転優勝。


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