白雲去来

蜷川正大の日々是口実

アダラカーン。

2023-09-21 13:00:49 | 日記

9月17日(日)晴れ。

午前中に家を出て、家族そろってお墓参り。伊勢原に向かう高速は三連休の真ん中と言うこともあって、海老名のSAまでは随分と混んでいた。海老名を過ぎると、魔法のようにスムースに走ることが出来た。不思議だ。途中のJAで仏花を買ってお寺に。まずご住職に来月の群青忌の際のご挨拶。そして野村先生のお墓に詣でてから、すぐ下にある私の両親のお墓へ。家族四人で来るのは随分と久しぶりの事だ。ご無沙汰を詫びて、お墓を洗い手を合わせた。

帰りに、たまに行く246沿いの「蕎麦屋」へ寄るがあいにく休み。吉永小百合の「追っかけ」のおばさんに挨拶したかったが残念だった。仕方がなく、リンガーハットで昼食。昼食と言えば、伊勢佐木町の関内駅寄りの入り口に、私たち家族の好きなインドカレーの「モハン」というお店があった。ビルの老朽化で移転すると聞いていた。しばらくしてお店のあったビルの前を通ったら、入り口にチェーンが掛かっていて「閉店」の張り紙があった。どこに移ったのか気になっていたが、何度、元のお店の前を通っても移転先を知らせる張り紙がない。廃業してしまったのかと残念に思っていたら、子供がスマホで調べてくれた。何でも「みなとみらい」に移ったとのこと。早速、昨日家族で行った。志村馨君とバッタリ会い一緒にランチ。

「マークイズ」という商業ビルの前のビルの二階にあった。私たちが「月光仮面」の映画に出てくる「どくろ仮面」の手下のインド人、「アダラカーン」とひそかに呼んでいる(スマン)マスターが笑顔で迎えてくれた。スタッフも同じで、相変わらず「キーマカレー」と「ナン」が美味しかった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随時小酌。

2023-09-21 12:31:31 | 日記

9月16日(土)晴れ。

「酒をたしなむには随時小酌にかぎる。私は孤独で呑む酒も好きだが三四人の気のあった男友達と手が盃へひとりでに進んでゆくような愉しい酒も好きだ。女のひととの酒は酒が重苦しくて仕方がない。私はかつて女の酔っぱらいにめぐりあったことはないが、女が酔っぱらうと酒についての修業が(大酒を呑むの意にあらず)ついていないので、二三盃でひざを崩してしまい二合位も呑むと大の字になるのがある。そんなのは真平ごめんだ」。これは先日買った『作家と酒』(平凡社・編集部編)の林芙美子の項に書かれていた文章だ。「酒をたしなむには随時小酌にかぎる」という言葉が心に沁みた。

PCで調べたら、「随時小酌 川流不息」が語源で、「気の向くままに酒を呑む、川の流れのように」。いい言葉じゃないか。最近は歳のせいもあって「大破・轟沈」の日がほとんどない。それでも何カ月に一度くらいは、社友のO氏や平塚のI氏らと飲むときは、つい甘えて大破・轟沈してしまう。浪人生活ゆえ、狭斜の巷へ繰り出す余裕のない日が多い。そんな私を激励しようと、たまに誘ってくれるのが嬉しい。しかしほとんどは酔狂亭で「随時小酌」である。そのうちに字の上手な方に色紙に、その言葉を書いて貰おう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある訃報。

2023-09-19 17:52:24 | 日記

9月15日(金)晴れ後雨。

17日は下の子供の誕生日。東京で友達と一緒に生活している下の子供が久しぶりに我が家へ。夜、横浜駅のセルテというビルの中にある焼肉「叙々苑」にてお祝いの食事。上の子供は、会社から直接お店に来た。家族四人での食事は久しぶりである。さすがは叙々苑。値段なりに美味しかった。支払いは、上の子供がカードで。「いや三人でワリカンにしようよ」と言うと「当然じゃん」。しょんぼりした。

群青忌の案内状を私の分担文400余枚出した。何しろ五年ぶりのことだ。事務所に行くと10通程度「あて所に尋ねあたりません」とハンコを押されて戻って来たのが15枚。仕方がないが、住所録の整理にもなる。

ちょっと買い物で外に出た時に携帯を忘れた。そんな時に電話がかかってきて、帰宅していた下の子供が出た。電話の主は、元野村先生の担当公安だった警視庁の「S信」さんの奥さんだった。野村先生が亡くなられてからしばらくして定年退職したことは知っていた。群青忌のたびに案内状を出しており、記憶が正しければ、最後にお会いしたのが10年前の20年祭だった。今回も案内状をお出しした。「S信」さんの奥さんの話では、「二年前に亡くなられた」とのこと。どのような状態で亡くなられたのか、私が電話に出たわけではなかったので聞きそびれた。

奥さんの話では、「野村先生のDVDを棺に入れようと思って探したが、どうしても見つからなかった。先日、何気なしに再生デッキのスイッチを入れたら、そこに入っていました」。子供からその話を聞いたとき、思わず落涙しそうになった。野村先生が亡くなられてから30年が過ぎ、親しかった人たちの多くが鬼籍に入られた。時が過ぎるのではなく、人が去って行く・・・。その思いを強くした。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民族革新会議の50年。

2023-09-19 14:00:45 | 日記

9月10日(日)晴れ。

富岡八幡宮にて行われた民族革新会議(民革)の50周年記念大会に出席。志村馨君と午前中に保土谷駅で待ち合わせて東京行き。富岡八幡宮は初めてである。民族派のくせにと怒られそうだが、神社仏閣にはうとい。有名な所では、昨年、出雲大社に友人のお世話で初めて詣でさせて頂いた。

初秋といっても残暑が厳しく、富岡八幡宮の境内では骨董市が行われていたが、暑くてひやかす気にもなれなかった。会場で山口申先生や諸先輩にご挨拶。民革の結成は昭和47年。私が三島事件に触発されて民族派運動に参加したのも昭和47年だった。従って民革の50年は、私の50年でもある。初期の民革のメンバーの先輩たちの殆どが鬼籍に入られ、お元気で活躍していてるのは山口申先生只一人である。終了後に民革の事務所に寄り、同人らと歓談後に横浜に戻る。

ヨコハマに着いてから自宅近くの「浜一寿司」に寄り、志村君と安着祝い。※山口先生を囲んで。左は犬塚博英先輩。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菊の節句か・・・。

2023-09-15 14:47:51 | 日記

9月9日(土)曇り。菊の節句。

朝食は、ももずくのお粥、キュウリともずくの酢の物。昼は、カレーパン一個。夜は、梅やの「チキンカツ」、上の子供の「ふるさと納税」の返礼品、千葉の「アフロキャベツ餃子」、もずくの天ぷら、じゃがいもの細切り炒め。お供は、「黒霧島」。

今日は、菊の節句「重陽」。古来中国では、奇数は良いことを表す数。偶数は悪いことを表す陰数と考え、その奇数が重なる日をお祝いしたのが五節句。(1月7日、七草、3月3日、桃の節句、5月5日、端午の節句、9月9日、菊の節句)その中でも一番大きな陽数の9が重なる9月9日を「陽」が重なるから「重陽」。不老長寿や繁栄を願ってお祝いをした。中国には、菊を詠んだ有名な漢詩が沢山ある。代表的なのは、王維の「九月九日山東の兄弟を憶(おも)う」だろうか。

独り異郷に在りて異客となる 佳節に逢う毎に倍(ますます)親(しん)を思う 遥かに知る兄弟(けいてい)高きに登る処(ところ) 遍(あまね)く茱萸(しゅゆ)を挿して一人(いちにん)を少(か)くを。

古代中国では、この日に「登行」と言って山に登り、菊の花のお酒を飲んだり、菊の花の上の露を布に沁み込ませてそれで体をぬぐって健康を祈るなどの習慣があった。漢詩には、「重陽」や「登行」を詠んだ詩が多くある。

群青忌がカウントダウンとなって来た。案内状を出したり、当日上映する映像の編集や当日、配布する単行本の校正、DVDの制作など、かなり忙しい。5年ぶりで人が集まるだろうか・・・。大熊氏がストレスで帯状疱疹になるのが良く分かる。実行委員の一人一人が真剣なのだ。始まってしまえば2時間弱の群青忌だが、その段取りが大変である。皆様のご来場をお待ちしております。※写真は、10年前の20年祭のもの。野村先生の菩提寺である伊勢原は浄発願寺のご住職、塚越慈徳和尚による読経。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする