Sofia and Freya @goo

イギリス映画&ドラマ、英語と異文化、昔いたファッション業界のことなど雑多なほぼ日記

友情も愛のひとつ

2012-09-18 12:09:00 | 異文化
感情を抑制するイギリス映画のことを書いていたら、
記憶の奥にしまい込んでいた友達のことを思い出してしまいました。
・・・ハイ、今なら断言できます。私はその人のことが好きでした。

好きだったくせに、今では名前すら思い出せない。Xくんとしておこう。
Xくんとは、誰かの家のパーティーで出会いました。
その頃の私はよくパーティーに出かけていました。未婚・彼氏なしでしたからね!
彼はスイス大使館の職員で、国籍はスイスだったけど、スペイン系の血筋で
フレディー・マーキュリーがヨーロッパ人になったようなお茶目なルックス、
話のきっかけさえも忘れちゃったけど、
音楽好きで、クラブに行くのも好きということだったので、一緒に行こうよ、
と電話番号を交換したのです。


スイス大使館と大使官邸

音楽の話をしたり、のほかに、Xくんと会って変わった私の人生、
それは、スノボーを始めたことでした!
私はそれまで、完璧なインドア人間、スポーツはジムでしかしない人でした。
(Xくんとはジムも偶然同じ所だった!)運動する人種と、音楽ナヨナヨ人種は
接点ないと思っていたのですけど、「雪山で音楽聞くと楽しいんだよ」と、
なんと、彼は私にスノボーを教えてくれると言うではないですか?!
Xくんにお買物にもつき合ってもらい、
ボードとスノウウエアとブーツを買いましたよ!
それまでの行動範囲を軽く飛び越えるパワー、これを愛と呼ばずして何と呼ぼう。


ザウスの在りし日

それから私達の週末ザウス通いが始まったのでした。
はい、かつて世界一のインドア・スキー施設だったらしいです。
しかも、こういう練習場では当時まだスキーがメインで、
スノボーもOKというのは珍しいんだ、とXくんは喜んでいました。
私は恵比寿に、彼は六本木に住んでいたので日比谷線で待ち合わせ、
休みの日の朝、まだ寝起き顔で並んで電車に座る。微笑ましいぞ。
スキーさえやったことのない私にゼロから辛抱強く教えてくれたXくんは、
私が初心者用のふもとで何とかひとりで滑れるようになると、
「ぼくはちょっと上に行って来る」と言ってスロウプの天辺まで登り、
何やらスピードの出る細いボードでシューーーーッと滑走して来るのでした。
一番上の方には上級者しか行きませんから、人影もまばらな白い斜面を
すごいスピードで降りて来る姿を眺めながら「この人に教えてもらってる私は
なんて幸せ者だろう。。。」と誇らしい気持ちになったものです。

ところで、大使館勤めというのは公務員ですが、駐在員と同じで住居は雇い主
=(公務員だから)政府に用意されています。スイスの場合は、記憶が定かでないのですけど、
六本木と麻布の間の6階建てくらいの高層モダン建築が当時の宿舎でした。
そこに、一人暮らしなのに、3ベッドルーム+リビングのある広くて眺めのよい
マンションにXくんは住んでいて、ベッドルームにベッドはあるけど、他の家具がない、
装飾もない部屋にドラムセットと音楽機器だけがあるような暮らしでした。
ターン・テーブルもあってDJごっこをして遊んだり、お腹がすいたら
ご両親がスイスから送ってくれたという、当時の日本ではあまり見ない
2ℓ入りのオリーブオイルの瓶を出して「ヨーロッパではこれで500円くらい
なんだよ~、安いんだよ~」と話しながらお料理してくれました。

スイスはドイツ語とフランス語の国だけど、Xくんの場合ドイツ語と家庭の言語の
スペイン語、それにフランス語も少しわかると言っていた。
「ぼく英語はあんまり得意じゃないんだ」と言いながらも、頑張って英語で
話すXくんは、子供のようにかわいかった。ほら、語彙も少ないし、なかなか
単語が出て来なかったり、海外旅行行くと自分がそうなりますよね?
と言う私の英語だって、Xクンよりはましな程度で、お互いにかわいかったのかも。
しかし互いに第二言語というのは対等でいい。日本に暮らす、フランス人と
中国人のカップルが日本語で話してて大丈夫なのか?と思ったことあるけど
けっこう大丈夫なんですね。

こうして毎週末会って、おうちに遊びに行って、服の話とかもして、
会って一緒にいること自体が楽しくて幸せだけれど、
相手は魅力的な男でもあるんだよなー・・・・でも私の場合、
いったんできた関係というのは形態を変えるのが難しい。
例えばある人と出会った時から英語で話していたとして、その人が
日本語もできてもその人と私の会話はずっと英語で日本語にはならないのに
似ている気がする。

麻布十番の交差点にあるクラブに一緒に行った時のこと、
入ったのが12時すぎてるから当然帰る時間には電車はない。
でも恵比寿は遠くないからタクシーで帰れるんだけれども、
Xくんの「うちに泊まってもいいよ~~」の申し出をありがたく!受け止めました!!

「お泊まりsymbol1お泊まりsymbol1」とウキウキする気持ちを押さえ
平静を装い、いや、平静でも楽しいふたりの会話は、
キングサイズのベッドの上でもいつもどおり、ちょっと枕投げなんかもしちゃったけれど、
おやすみなさ~~い!!」と枕を寄せて眠りについたのでした!

健康な、互いに好意を持っていた(はずの)成人若者ふたりの友情は、
ザウスでは手はつないだかもしれないけど(手袋してたけど)、
キスまでもいかず(ほっぺくらいはしたかな)、
健康的に育まれたのでした!!(本当に健康的だったのか?)

ザウスは調べたら私がロンドンに住んでいる間にクローズして解体されていた。
Xくんとは、別にケンカもなにもしてないんだけど、その後、
私は新しい友達ができてなんとなく会わなくなっていった。
その友達はスェーデン人だったけど、それはザウスの跡地にIKEAができるよりもずっと前の話。