先ほど漫画家の吉野朔実さんの訃報を知りました。私は作品を読んでないのですが、絵が綺麗だったと覚えていたので代表作のひとつ「少年は荒野をめざす」のあらすじを調べて、久しぶりに自分の少女時代を思い出しました。
主人公は、病弱で亡くなった兄の代わりを務めようとしたために自分が男の子だと思いこんでいた少女が、思春期になっても女性であることに抵抗しー
という青春物語なのですが、この「自分の中の女性を否定」という現象はあの時代特有のものだったのかしら・・・?と考え込んでしまったからです。吉野先生は私よりも少しお姉さんですが同世代。そして人気連載されたということは読者の支持を得たということですよね。
子供の頃は、まあ「女の子だからお行儀良く」と言われても「なんで『女の子』が理由になるのか?」と疑問に思う程度の違和感でした。だって私には白雪姫やシンデレラは単なるお話でしかなかったけれど、「長くつ下のピッピ」の強くてやりたい放題の女の子に憧れた子供でしたから。でもやはり漫画の主人公と同じく思春期になって、自分が女になるのか、と思い知らされるとまったく嬉しくもなんともなかったのを覚えています。
だってその頃まわりにいた大人の女性といえば、お母さんと友達のお母さん、それから親戚のお姉さん達、学校の先生しかいませんでした。
私は地方都市育ちの田舎者だからだと思うんですが、親戚の集まりで親についていくと、男性陣が宴会している時に、女性は台所で働いていて、私はお料理の入った器を運ぶお手伝いとかしてました。別に飲んでおっさん達に混じりたかったわけでもないけど、子供心になんか不公平じゃないか?と思ったものでした。
そして母が親戚の女性と話してるのを何気なく聞いてると、いとこの綺麗なお姉さんのことを「〇〇は化粧が濃いね。ご主人がああいうのが好きなのかね。」なんて話をしてて、「着飾る女性は同性に批難される」ということを子供でも悟ったんです。
台所で男のために働く女にも、綺麗にして嫌われる女にもどっちにもなりたくなかったけど、田舎には他になりたい女性のロールモデルがなかったんですね。
14歳くらいで、マンガとか文学みたいなものとか外国の音楽とかを知って、自分の現実以外の世界を知ってからはドドドーーーーッとそっちの世界に没入して気がついたら今に至るので、そこでは素敵な女性もたくさんいて、いつの間にか「大人の女性になるのが嫌」は忘れたわけです。
自分が大人になるなんて思いつきもしなかった子供時代が終わって、オバサンになるか水商売のオネエさんになるかの究極の選択しか思いつかない狭い世界に生きてた思春期前半の13歳くらいまでは今考えると不憫なくらいです。
だから、ロールモデルが行きわたってなかったあの時代は女になりたくない女の子というのは多くて「少年は荒野をめざす」に共感する子も多かったんじゃないかな・・・
時代は変わって今は女性は綺麗で強くて好きなことして(日本の女性の地位は世界でもダントツ低いらしいですが)、大人の女性になりたくない女の子はいなくなったのでしょうか。
作家と作品のファンの方には、見当違いな文で申し訳ありません。
あの時代の空気を絵からも感じて(オリーブファッションだなあ!とか)、完全に個人的な思いが頭に廻りました。
主人公は、病弱で亡くなった兄の代わりを務めようとしたために自分が男の子だと思いこんでいた少女が、思春期になっても女性であることに抵抗しー
という青春物語なのですが、この「自分の中の女性を否定」という現象はあの時代特有のものだったのかしら・・・?と考え込んでしまったからです。吉野先生は私よりも少しお姉さんですが同世代。そして人気連載されたということは読者の支持を得たということですよね。
子供の頃は、まあ「女の子だからお行儀良く」と言われても「なんで『女の子』が理由になるのか?」と疑問に思う程度の違和感でした。だって私には白雪姫やシンデレラは単なるお話でしかなかったけれど、「長くつ下のピッピ」の強くてやりたい放題の女の子に憧れた子供でしたから。でもやはり漫画の主人公と同じく思春期になって、自分が女になるのか、と思い知らされるとまったく嬉しくもなんともなかったのを覚えています。
だってその頃まわりにいた大人の女性といえば、お母さんと友達のお母さん、それから親戚のお姉さん達、学校の先生しかいませんでした。
私は地方都市育ちの田舎者だからだと思うんですが、親戚の集まりで親についていくと、男性陣が宴会している時に、女性は台所で働いていて、私はお料理の入った器を運ぶお手伝いとかしてました。別に飲んでおっさん達に混じりたかったわけでもないけど、子供心になんか不公平じゃないか?と思ったものでした。
そして母が親戚の女性と話してるのを何気なく聞いてると、いとこの綺麗なお姉さんのことを「〇〇は化粧が濃いね。ご主人がああいうのが好きなのかね。」なんて話をしてて、「着飾る女性は同性に批難される」ということを子供でも悟ったんです。
台所で男のために働く女にも、綺麗にして嫌われる女にもどっちにもなりたくなかったけど、田舎には他になりたい女性のロールモデルがなかったんですね。
14歳くらいで、マンガとか文学みたいなものとか外国の音楽とかを知って、自分の現実以外の世界を知ってからはドドドーーーーッとそっちの世界に没入して気がついたら今に至るので、そこでは素敵な女性もたくさんいて、いつの間にか「大人の女性になるのが嫌」は忘れたわけです。
自分が大人になるなんて思いつきもしなかった子供時代が終わって、オバサンになるか水商売のオネエさんになるかの究極の選択しか思いつかない狭い世界に生きてた思春期前半の13歳くらいまでは今考えると不憫なくらいです。
だから、ロールモデルが行きわたってなかったあの時代は女になりたくない女の子というのは多くて「少年は荒野をめざす」に共感する子も多かったんじゃないかな・・・
時代は変わって今は女性は綺麗で強くて好きなことして(日本の女性の地位は世界でもダントツ低いらしいですが)、大人の女性になりたくない女の子はいなくなったのでしょうか。
作家と作品のファンの方には、見当違いな文で申し訳ありません。
あの時代の空気を絵からも感じて(オリーブファッションだなあ!とか)、完全に個人的な思いが頭に廻りました。