あのイトキンがついに行き詰まった。1月末で資金ショートにあったようで、投資会社インテグラル社の傘下で経営を再建することになった。
こうしたネタについて、業界人は銀行筋からの情報より、店頭の売れ行きから推し量る傾向が強い。一般紙、業界紙よりはるか前から、実際のファッション現場では、様々な情報が流布されていた。
聞こえてきたのは、「SPAに舵を切ったのが不振の始まりだったのでは」「商品がかつての面影を失ってたからね」「海外事業もあれくらいの売れ行きじゃ、かなり厳しかっただろう」等々と言われていたから、行き詰まりは当たらずとも遠からじと思っていた。
中には「エミリオ・ロバとかが売れていた頃が限界」「通受けのブランドじゃないと、もう飛びつかないよ」「有能な店長が次々に辞めていたし」など、辛辣な意見もあっただけに、今回の経営再建策の行方がどうなるのか、不安にも感じてしまう。
スポンサーのインテグラル社は、(株)ヨウジヤマモトの再建にも当たっている。投資後、同社の経営がすこぶる好転したとの話は聞かない。でも、 ワイズ、Y-3を含めて直営店および百貨店インショップの多くはそのままだし、卸も継続されている。
コレクションもパリを主体に勢力的に行われているから、同社にはこの上ないし、ファンにとっても商品が手に入るのだから、実にありがたいことである。
ヨウジヤマモトくらいの規模なら、店舗数は世界中でも300店に満たない。メーカーとしての商品供給の規模を加えても、クリエイティビティやブランド価値を両天秤にかけると、投資家の判断は「インベスト」なのだろう。
一方、イトキンはどうなのか。報道によれば、イトキンが行う第三者割当増資をインテグラル社が約45億円で引き受け、創業家を中心とする既存株主からの株式譲渡で、イトキン株の98%を保有するという。
これで創業家は経営から完全に退くことになる。イトキンという名前を残す代わりに、辻村一族はすべて手を引くということか。
しかし、店舗数は400店舗を閉店しても、まだ1000店くらい残るという。その分、売上げは減るわけだし、弱った企業体力で再び軌道に乗せるには容易なことではない。
ただ、顧客、卸先、工場にとっては、イトキンはずっとイトキンであってほしい。似たようなデザイン、素材、テイストのブランドは、掃いて捨てるほどある。でも、 イトキンの商品ということだけで、安心感は全然違う。
イトキンだから買う、取引するのであって、社名が変わればどうでも良いとの思いもあるだろう。そんな気持ちに応えて欲しい。
イトキンはワールドと並び、長らく専門店系アパレルの筆頭格として、ファッション業界に君臨した。
筆者が小学生の頃、福岡支店が博多の奈良屋町にあった。よく前を通っていたし、叔父叔母が仕入れに来ていたんで、名前だけは知っていた。
大学生時代、千駄ヶ谷にパッキン詰めのバイトに出かけ、通りすがりに見かける新宮前ビル、東京本社ビルからは、大企業の威光が差している感じがした。
業界に入ってからも、さすがイトキンと言えることは、いろいろと見聞きした。
原宿・明治通り界隈はいろんな業界人が闊歩していた。実際、セントラルアパートから出てくる広告クリエーターどもはダサかったが、パレフランスのロイヤルでお茶する垢抜けた連中は、イトキンの社員との噂で持ち切りだった。
きっと全国から仕入れに来るバイヤーとの下打ち合わせや店頭ニーズの収集も、あったのだろう。
バブル期、表参道のキーウエストクラブで、たまたま同じ席に居合わせた人が、イトキンの社員で名刺をくれた。実に羽振りが良さそうだった。
イトキンが抱えているブランドは、決してメジャーにはなり得なかったが、卸系ブランドは地方専門店の経営を支えていた。それだけファン客がついていたのだ。
筆者のようにマンションアパレルにいたものとしては、「イトキンのような服づくり」は憧れだった。
ベルトやアクセサリーなど小物も秀逸で、うちの会社の取引先では専門のバイヤーがいて、イトキンの展示会には必ず行くと言っていた。
ライセンス展開でも専門店が好みそうなブランドを見つけるのがうまかった。「クレージュ」「クリスチャン・オジャール」「ランチェッティ」…。
お金持ちの中高年女性をメーンターゲットするので、ランチェッティなどコンサバ色が強いブランドが多かった。でも、服づくりのノウハウを生かし、キャリアゾーンでも、ピンポイントで押さえていた。
「ジョルジュ・レッシュ」はその一つで、皇太子妃の雅子さまも独身の頃には御用達だった。
メディアがお妃候補として追っかけ、もっていた袋のロゴから調べて一躍知名度がアップした。
しかし、雅子さまはじめとするキャリアガールには、以前からその良さがちゃんとわかっていた。メディアがファッション音痴に過ぎなかったのである。
「ミッシェルクラン」はファッションビルにハコで展開されていた。その時はよかったが、某社と同じように頭文字を付けてSC展開されると、かつてのようなクールでスパイスの利いたテイストを失っていった。
「エミリオ・ロバ」のプリザーブドフラワーなんかは、クロージングやアクセサリーの枠を超え、ライフスタイル提案の先駆けとなった。
着こなす人により選ばれる服、飾りたい人を惹き付ける装飾品。それらを生み出すのがイトキンのイトキンたる所以だったのである。
ところが、再建の俎上で話題になるのは、「アーベーベー」とか、「エムケーミッシェルクラン」とか、チープなSC系ブランドばかりだ。
ファンドや投資家のおやじたちは、専門店系アパレルの本質はご存じないのだから、ブランド、売れ行きでしか語れないのは理解できる。
ただ、いくら売れ筋と言っても、これだけでは経営再建の屋台骨にはならない。
21程度のブランドは残すようだが、軸になるものを際立たせ、イトキンらしさを出さないと、SPAがしのぎを削る中で、埋没しかねない。
イトキングループの中でも、「ヒロコ・コシノ」はおばちゃんファンが多い。売れているのは、単にブランド名だけとは限らない。
体型を気にする中高年でも、決してダサくみえないシルエットが受けていることもある。
旅行向けの派生ブランド「トランク」は企画が秀逸だ。ライナーの取り外しが利くなどのユーティリティや機能を取り入れ、かつ野暮ったさを感じさせないデザイン始末。この辺にもヒントがあるだろう。
もっとも、数十億円規模のブランドを多数抱えているからこそ、もっとブランドの個性を磨いてもいいのではないか。
そして、国内外のSPAやチープなファッションに飽き足りない層にアプローチしてほしいものである。
創業者は退くが、社名は残す。 福岡でも同じようなことがあった。私的整理ガイドラインのもと、伊勢丹をスポンサーにして再建した岩田屋がそうだ。
ただ、それ以前にCIされたロゴマークは、伊勢丹主導による経営再建が終わると、往年の「角岩」に戻されている。これが何を意味するのか。
「顧客は岩田屋だから、買いたい」。ロゴマークは集客を暗示するのだ。三越伊勢丹グループで有り続けようと、お客の気持ちをそうさせるのは変わらないはずだ。
なおさらイトキンは小売業ではなく、アパレルメーカーである。服づくりのDNAは受け継がれてきているはずだし、これからも受け継いでいかなければならない。
インテグラル社としてもヨウジヤマモトという前例があるわけだし、十分学習していると思う。
往年のファンは高齢化してきているが、雅子さま世代はまだ50代だ。可処分所得はそこそこあるはずなのだが、「今のファッションマーケットには、カネを出してまで買いたくなるような服が無い」と感じている層は少なくない。
「イトキンが“無い服”を作ってくれるなら、ぜひ着てみたい」。ファンの気持ちは同じだろう。
日本市場向けのリブランディングや焼き直しではなく、ブランドライセンサーの方向性やデザイナーの感性をストレートに打ち出してもいいのではないか。でないと、イトキンは変わらないし、面白くない。
再建スキームの字面では表すことができない、専門店系アパレルの気概を復活させて欲しい。すこし郷愁めいたが、全盛期を知るものとして、オマージュと期待を込めて書いてみた。
こうしたネタについて、業界人は銀行筋からの情報より、店頭の売れ行きから推し量る傾向が強い。一般紙、業界紙よりはるか前から、実際のファッション現場では、様々な情報が流布されていた。
聞こえてきたのは、「SPAに舵を切ったのが不振の始まりだったのでは」「商品がかつての面影を失ってたからね」「海外事業もあれくらいの売れ行きじゃ、かなり厳しかっただろう」等々と言われていたから、行き詰まりは当たらずとも遠からじと思っていた。
中には「エミリオ・ロバとかが売れていた頃が限界」「通受けのブランドじゃないと、もう飛びつかないよ」「有能な店長が次々に辞めていたし」など、辛辣な意見もあっただけに、今回の経営再建策の行方がどうなるのか、不安にも感じてしまう。
スポンサーのインテグラル社は、(株)ヨウジヤマモトの再建にも当たっている。投資後、同社の経営がすこぶる好転したとの話は聞かない。でも、 ワイズ、Y-3を含めて直営店および百貨店インショップの多くはそのままだし、卸も継続されている。
コレクションもパリを主体に勢力的に行われているから、同社にはこの上ないし、ファンにとっても商品が手に入るのだから、実にありがたいことである。
ヨウジヤマモトくらいの規模なら、店舗数は世界中でも300店に満たない。メーカーとしての商品供給の規模を加えても、クリエイティビティやブランド価値を両天秤にかけると、投資家の判断は「インベスト」なのだろう。
一方、イトキンはどうなのか。報道によれば、イトキンが行う第三者割当増資をインテグラル社が約45億円で引き受け、創業家を中心とする既存株主からの株式譲渡で、イトキン株の98%を保有するという。
これで創業家は経営から完全に退くことになる。イトキンという名前を残す代わりに、辻村一族はすべて手を引くということか。
しかし、店舗数は400店舗を閉店しても、まだ1000店くらい残るという。その分、売上げは減るわけだし、弱った企業体力で再び軌道に乗せるには容易なことではない。
ただ、顧客、卸先、工場にとっては、イトキンはずっとイトキンであってほしい。似たようなデザイン、素材、テイストのブランドは、掃いて捨てるほどある。でも、 イトキンの商品ということだけで、安心感は全然違う。
イトキンだから買う、取引するのであって、社名が変わればどうでも良いとの思いもあるだろう。そんな気持ちに応えて欲しい。
イトキンはワールドと並び、長らく専門店系アパレルの筆頭格として、ファッション業界に君臨した。
筆者が小学生の頃、福岡支店が博多の奈良屋町にあった。よく前を通っていたし、叔父叔母が仕入れに来ていたんで、名前だけは知っていた。
大学生時代、千駄ヶ谷にパッキン詰めのバイトに出かけ、通りすがりに見かける新宮前ビル、東京本社ビルからは、大企業の威光が差している感じがした。
業界に入ってからも、さすがイトキンと言えることは、いろいろと見聞きした。
原宿・明治通り界隈はいろんな業界人が闊歩していた。実際、セントラルアパートから出てくる広告クリエーターどもはダサかったが、パレフランスのロイヤルでお茶する垢抜けた連中は、イトキンの社員との噂で持ち切りだった。
きっと全国から仕入れに来るバイヤーとの下打ち合わせや店頭ニーズの収集も、あったのだろう。
バブル期、表参道のキーウエストクラブで、たまたま同じ席に居合わせた人が、イトキンの社員で名刺をくれた。実に羽振りが良さそうだった。
イトキンが抱えているブランドは、決してメジャーにはなり得なかったが、卸系ブランドは地方専門店の経営を支えていた。それだけファン客がついていたのだ。
筆者のようにマンションアパレルにいたものとしては、「イトキンのような服づくり」は憧れだった。
ベルトやアクセサリーなど小物も秀逸で、うちの会社の取引先では専門のバイヤーがいて、イトキンの展示会には必ず行くと言っていた。
ライセンス展開でも専門店が好みそうなブランドを見つけるのがうまかった。「クレージュ」「クリスチャン・オジャール」「ランチェッティ」…。
お金持ちの中高年女性をメーンターゲットするので、ランチェッティなどコンサバ色が強いブランドが多かった。でも、服づくりのノウハウを生かし、キャリアゾーンでも、ピンポイントで押さえていた。
「ジョルジュ・レッシュ」はその一つで、皇太子妃の雅子さまも独身の頃には御用達だった。
メディアがお妃候補として追っかけ、もっていた袋のロゴから調べて一躍知名度がアップした。
しかし、雅子さまはじめとするキャリアガールには、以前からその良さがちゃんとわかっていた。メディアがファッション音痴に過ぎなかったのである。
「ミッシェルクラン」はファッションビルにハコで展開されていた。その時はよかったが、某社と同じように頭文字を付けてSC展開されると、かつてのようなクールでスパイスの利いたテイストを失っていった。
「エミリオ・ロバ」のプリザーブドフラワーなんかは、クロージングやアクセサリーの枠を超え、ライフスタイル提案の先駆けとなった。
着こなす人により選ばれる服、飾りたい人を惹き付ける装飾品。それらを生み出すのがイトキンのイトキンたる所以だったのである。
ところが、再建の俎上で話題になるのは、「アーベーベー」とか、「エムケーミッシェルクラン」とか、チープなSC系ブランドばかりだ。
ファンドや投資家のおやじたちは、専門店系アパレルの本質はご存じないのだから、ブランド、売れ行きでしか語れないのは理解できる。
ただ、いくら売れ筋と言っても、これだけでは経営再建の屋台骨にはならない。
21程度のブランドは残すようだが、軸になるものを際立たせ、イトキンらしさを出さないと、SPAがしのぎを削る中で、埋没しかねない。
イトキングループの中でも、「ヒロコ・コシノ」はおばちゃんファンが多い。売れているのは、単にブランド名だけとは限らない。
体型を気にする中高年でも、決してダサくみえないシルエットが受けていることもある。
旅行向けの派生ブランド「トランク」は企画が秀逸だ。ライナーの取り外しが利くなどのユーティリティや機能を取り入れ、かつ野暮ったさを感じさせないデザイン始末。この辺にもヒントがあるだろう。
もっとも、数十億円規模のブランドを多数抱えているからこそ、もっとブランドの個性を磨いてもいいのではないか。
そして、国内外のSPAやチープなファッションに飽き足りない層にアプローチしてほしいものである。
創業者は退くが、社名は残す。 福岡でも同じようなことがあった。私的整理ガイドラインのもと、伊勢丹をスポンサーにして再建した岩田屋がそうだ。
ただ、それ以前にCIされたロゴマークは、伊勢丹主導による経営再建が終わると、往年の「角岩」に戻されている。これが何を意味するのか。
「顧客は岩田屋だから、買いたい」。ロゴマークは集客を暗示するのだ。三越伊勢丹グループで有り続けようと、お客の気持ちをそうさせるのは変わらないはずだ。
なおさらイトキンは小売業ではなく、アパレルメーカーである。服づくりのDNAは受け継がれてきているはずだし、これからも受け継いでいかなければならない。
インテグラル社としてもヨウジヤマモトという前例があるわけだし、十分学習していると思う。
往年のファンは高齢化してきているが、雅子さま世代はまだ50代だ。可処分所得はそこそこあるはずなのだが、「今のファッションマーケットには、カネを出してまで買いたくなるような服が無い」と感じている層は少なくない。
「イトキンが“無い服”を作ってくれるなら、ぜひ着てみたい」。ファンの気持ちは同じだろう。
日本市場向けのリブランディングや焼き直しではなく、ブランドライセンサーの方向性やデザイナーの感性をストレートに打ち出してもいいのではないか。でないと、イトキンは変わらないし、面白くない。
再建スキームの字面では表すことができない、専門店系アパレルの気概を復活させて欲しい。すこし郷愁めいたが、全盛期を知るものとして、オマージュと期待を込めて書いてみた。