HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

ロウアーラインの安直さ。

2017-06-21 05:31:31 | Weblog
 ニューヨークでいちばん勉強になったことは何か。それはファッションやアート領域のクリエーションを商品として流通ルートに乗せ、市場を開拓していかにビジネスを拡大するか、である。一方で、NYでは新しい価値観や美意識、それに基づいたライフスタイルから、常に既存の常識を超えた生き方が出現する。そうした革新性をビジネスに取り入れたり、業態開発に生かさないと、ビジネスが成り立たないことも学んだ。

 ところが、インターネット社会の到来すると、洋の東西で多少の差こそあれ、ビジネスは急激な新陳代謝を繰り返していく。何億ドルもの売上げを誇ったブランドやストアですら、翌年には対前年比率で2ケタのダウンなんてこともある。イノベーターと言えど、ニューカマーが登場すると、たちまち古くさくなって相手にされなくなる。

 NY発祥のブランドほど、浮き沈みのレンジが非常に短くなっているし、数年先には世界中に伝播し、同じようになっていく。ブランド消費は景気の影響を受けやすいこともあるが、ITやデジタル機器に支配されるライフスタイルにより、なおさら浸食されているのだ。

 世界的知名度の高級ブランドだろうが、ストリートに出店する無名のショップだろうが、全米規模のチェーン店だろうが、オフプライスストアだろうが、すべてが同じファッションウォーズを展開し、弱者は淘汰されていく。ラルフ・ローレンの凋落ぶりは世界規模での売上げ不振が原因だが、まずNYにおける陳腐化がその最たるものだろう。



 FIT(ニューヨークファッション工科大学)で学び、デザイナーとして百貨店向けのレディスのウエアを売り出した「マイケル・コース」も、売上げ不振で今後2年間に100〜125店舗を閉鎖するという。筆者がNYを訪れ始めた80年代以降、ブルーミングデールズやサックスフィフスアベニューなどでは、インショップが堂々と誕生していた。

 90年代に入ると、マイケル・コースの売上げは1億ドル(100億円)規模に拡大し、その実績はヨーロッパにも伝わり、老舗メゾンがファッションコングロマリットに吸収される中、97年にはセリーヌでは初となるクリエイティブディレクターに就任する。米国人が欧州ラグジュアリーブランドのデザインに携わる傾向は、マークジェイコブスがルイ・ヴィトン、トム・フォードがグッチのディレクターに就くなど、この頃から潮流になっていった。

 同じ頃、ファッション専門学校の担当者から請われて「なぜ、英米系のデザイナーが老舗メゾンのデザイナーに就任するのか」というテーマで講義を行ったことがある。それまでのフランスやイタリアなどのデザイナーにはなかったマーケティングやマーチャンダイジングの知識をもち、クリエイティビティに加えコミュニケーション、ビジネスに長け、トータルでブランド戦略を組立てられる手腕を買われたこと。そして、老舗メゾンと言えどビジネスの軸に据えるのは、世界戦略と資金調達、株式上場、ブランドの被買収と巨大グループ傘下入り、活性化等々により、新しい感性を持ち込むことは避けて通れなくなったのである。


 
 マイケル・コースが特別に成功の道を歩んで来たわけではない。それより先にはカルバン・クラインやアン・クラインもNYでブランドビジネスを成功させている。筆者はそのサクセススタイルには共通したセオリーがあるとみる。フローは以下のようなものだ。

 ①レディスウエアをコレクションで発表し、百貨店の売場を確保する。

 ②ブランドバリュを上げて、メンズ、カジュアル(スポーツやジーンズ)を開発する。

 ③ブランドが浸透すると、セカンドライン、ディフュージョンラインにも進出する。

 ④バッグ、眼鏡、時計、アクセサリー、香水など、カテゴリーで販路を拡大する。

 こうして多くのお客がブランドを知り、自分の収入の範囲内で商品を購入できるようになることで、ブランド企業として収益は格段に増えていく。カルバン・クラインはCKカルバンクラインや雑貨、アンダーウエア、アン・クラインはアンクラインⅡまでを持ち、ブランドの知名度アップと収益拡大を実現させたのがそうだ。

 あのジョルジオ・アルマーニでさえ、1991年にはアルマーニ・ジーンズのディフュージョンライン、アルマーニ・エクスチェンジを「100ドル以下で買えるアルマーニ」をコンセプトにNYデビューさせたくらいだ。貧富の差が激しく、幅広い階層の中にあらゆる人種や民族が混在するNYゆえに求められたブランド戦略とも言えるだろう。

 ところが、カルバン・クラインは2000年代以降はブランドが陳腐化。企業自体が身売りし、デザイナーが交替するもテコ入れできず、昨年8月には今度は逆にベルギー人のラフ・シモンズがクリエイティブ・オフィサーに就任した。アン・クラインはデザイナー本人の死後、ダナ・キャランの運営会社がブランドを引き継いだものの、度重なるデザイナー交替で、ついにコレクションから撤退。今ではセカンドラインのみの販売というNYブランドとしての体を成していない。

 筆者は80年代にNYでカルバン・クラインジーンズやアン・クラインⅡの時計を購入している。当時はカジュアルや雑貨でもデザインや作りは秀逸で、デザイナーの感性やファーストラインの威光がしっかり及んでいた。

 ところが、ビジネスが拡大すればするほど、セカンドラインや雑貨などのロウアーラインでは、デザイナーのマネジメントや監修という体のいい言葉だけが強調され、本人は企画やデザインに携わることなく、黒子のスタッフやOEM業者任せ、商標権販売といった手法に流れていき、安直なもの作りしかしていないように感じられた。もちろん、筆者だけでなく、多くのお客が同じように感じ、ブランド離れを引き起こしたのではないだろうか。

 繊研新聞の報道によると、マイケル・コース社の年商は12年13億ドル、13年21億8200万ドル、14年33億1100万ドル、15年43億7100万ドル、16年は47億1200万ドルと順調に伸びたが、17年は44億9400万ドルと2億ドル以上減少する見通しで、18年度はさらに42億5000万ドルまで下降するとのことだ。

 不振の主な要因は以下になる。

 ①オンラインリセール(中古品販売)ビジネスの影響

 ②スマートウォッチの影響による時計の売り上げの減少

 ③ハンドバッグ市場が世界的に成熟し、成長が鈍化

 ④ラグジュアリーハンドバッグの競争の激化

 ⑤値下げが多い環境

 ⑥ドル高の影響


 ①はブランド品だから大枚をはたいて買ったけど、飽きが来ればネットオークションやユーズドサイトで売り捌くのが世界の潮流になった。当然、セコハンが売れると、プロパー市場が奪われていく。②時計はコンサバでエレガンスなデザイン。それがシンプル&機能性のスマートウォッチに食われるとは意外だが、スマホさえ持てば腕時計が要らないという時世をよく現している。

 ③④は確かにNYのブランドなら、影響は避けられないと思う。マイケル・コースにはルイ・ヴィトンやエルメスのような絶対的な意匠性はなく、売れる要素はシンプルでお洒落で買いやすい価格帯くらいだ。しかし、そこには競合ブランドがあまたあるし、ファストファッションの隆盛はバッグの世界でも凄まじい。ルイ・ヴィトンとてSupremeとコラボするくらいだから、トップブランドを脅かす前に自分が下級ブランドに攻められているということである。

 そして⑤は米国ブランドの特徴として大量生産、大量販売がある。売れなければセール、アウトレット、オフプライスストアとバーチカルな消化ルートで現金化する。売上げが伸びているときは良いが、安売りに頼る収益確保はブランドバリュを下げ、企業体力を消耗させる。⑥はドル高では海外製品の方が安く買えるので米国製品は競争力が落ち、海外生産をすればなおさら米国内の製造業者が疲弊する。




 個人的には、マイケル・コースのクリエイティビティは、セリーヌのディレクターの時がピークだったのではないかと思う。バッグや時計、眼鏡などブランドのカテゴリーを増やした時点でビジネスが重視され、クリエイティビティがおざなりにされたようにも感じる。商品のテイストはコンサバエレガンスで、価格も300ドル以下と手頃だ。バッグや財布ではそれほど余分な装飾が施されてない。時計はローズゴールドやピンクを基調に貴石をあしらったもので、こちらもエレガンステイストだ。しかし、アイテムは総じてデザイン的な特徴がそれほどない。

 ラグジュアリーブランドのシャネルやクリスチャン・ディオールをややモダンにした感覚だが、女性が好きなエレガンステイストは共通する。日本でもそれらが好きだけど手が出ない客層は、コーチやマイケルコースで妥協しているのではないか。というか、バックやウォレットのデザインについては、グッチの時代からの系譜とも言える。どちらが真似したかどうかはわからないが、時計ではセイコーも若い女性向けに似たデザインを売り出しているから、世界的なトレンドに乗った売れ線のデザインであるのは確かと思う。

 ただ、この客層は移ろいやすい。トレンドが変われば、ブランド離れも顕著だ。売上げ不振はそうした傾向も影響していると思うが、どこかで見たようなデザイン、テイスト、カラーに、自社のロゴマークを付けただけではやはり限界がある。時計の文字盤に大胆なMKのロゴをあしらったり、そのアイコンをチャームにしてバッグにつり下げる手法が本当にブランドデザインなのかは甚だ疑問である。MK自体はカルバン・クライン、アン・クラインがCKやAKでとった記号化と同じで、すっかり陳腐化した手法だからだ。

 結局、安直なもの作りをお客が見透かすようになり、他と同じようにブランド離れを引き起こしているのだ。NYブランドの凋落ぶりを見ると、ウエアのコレクションで知名度を上げ、カジュアル、バッグ、時計などに進出する戦略に対し、再考すべきことは間違いないと思う。カテゴリーを広げることは間違っていないが、ブランドの裾野を広げるためにロウアーラインを強化することは、もはや成功の方程式ではなくなっているのではないか。

 これはアルマーニエクスチェンジにも通じる。デビュー当初、SOHOの旗艦店でジャケットを100ドル程度で購入したが、色はサンドベージュ、ショルダーラインがナチュラルで、ジョルジオ・アルマーニの感性を見事に再現していた。一方で、胸ポケットをカットするなど低価格を実現するためのダウンスペック、ローコスト企画にも目を見張った。ところが、今はこちらもAXのロゴマークを強調するだけのヤンキー、いかもといクラブ系テイストに成り下がってしまっている。

 一方、グッチやコムデギャルソンは、拡大カテゴリーでもファーストラインのクオリティ、価格帯を堅持している。だから、ブランドバリュは落ちないし、一定の客層をしっかりつかんで放さない。NY、いや米国のファッション、ブランドにはそうした遺伝子はないようだ。トランプ大統領の発言なんかを見ても、ファッションビジネスに対するクリエイティビティの限界が垣間見える。まあ、そうした反省から新たなチャンスをつかむのが米国の良さでもあり、NYのスピリットでもあるのだが。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 誰かが作ると思ってた。 | トップ | 赤帽網の先にあるのは? »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事