いよいよこのブログも1500回記念にリーチです。
2007年の11月からスタートして、早10年を過ぎました。
上の子は4才、下の子はまだ2才でした。
今では二人とも中学生。
時の経つのは早いものです。
「おかあしゃーん」と言っていた可愛いらしい時代(←ぴってしてね)
今では、「うるさい」「あっちいけ」と暴言のオンパレードですが、
まあ、反抗期ですからね
子育ては試行錯誤の連続ですが、高校を卒業して進学すれば親元を離れていくことでしょう。
下の子は中1だから、あと、、、6年ない
短いですね。
子育てを満喫したいと思います。
そして子どもと言えば・・・
杉田水脈議員の発言を思い出します。
「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。
彼ら彼女らは子どもを作らない、つまり『生産性』がないのです」
と言った発言に世界中から批判の声が上がっています。
この発言について私、
『生産性』とはなんだろうか・・・
と考えました。
まずはグーグル先生に教えてもらおう。
生産性(せいさんせい、Productivity)とは、経済学で生産活動に対する生産要素(労働・資本など)の寄与度、あるいは、資源から付加価値を産み出す際の効率の程度のことを指す。
一定の資源からどれだけ多くの付加価値を産み出せるかという測定法と、一定の付加価値をどれだけ少ない資源で産み出せるかという測定法が在る。
(wikipediaより)
だそうです。。。。
難しいですね
杉田議員の思うところの生産性でなぞらえると、
資源(ここでは人間)から付加価値(ここでは子ども)を産み出す際の程度のことを指す。
一定の資源(人間)からどれだけ多くの付加価値(こども)を産みだせるかという測定法と、
一定の付加価値(こども)をどれだけ少ない資源(人間)で産みだせるかという測定法が在る。
人間が機械のように見えてきてしまいます。
子どもは付加価値であり、生産するものなのかな。
更に、
『人』に対して、『税金を使う価値』を、天秤にかけて、
価値があるかないかという判断も気になりました。
この二つについて私はこう思います。
「人の価値って何だろう?」
「そして、価値がないと税金を使ってもらえないものなの?」
人の価値は、、、
私の考える「人の価値」があるかどうかは、
その人自身が決めるもの、
そして
その周りにいる人が、それぞれに感じるものではないか。
たとえば、、、
「私自身」については、仕事でお客様に喜んでいただくことで、
私にはお客様に喜んでもらえたという価値があった。
「学生さん自身」については、部活を一生懸命頑張って、
最後の大会で悔いのない結果を残すことができた。
自分は、悔いのない部活生活を送れたという価値があった。
「スポーツ選手」については、大会で勝つ、または、負けることで、
たくさんの応援していた人たちの心を動かした。
感動の涙を与えたことの価値があった。
「赤ちゃん」については、その笑顔に癒される人たちがいて、
その人たちに安らぎを与えたことの価値があった。
みんなに価値があります。
価値のない人なんていないのです。
森田かずよさんの生産性に対する言葉に(←ぴってしてね)
全くその通りと思いました。
私たち国民から預かった大切な税金。
森田さんのように心が豊かな方に託したいな。
そう思いました。
2007年の11月からスタートして、早10年を過ぎました。
上の子は4才、下の子はまだ2才でした。
今では二人とも中学生。
時の経つのは早いものです。
「おかあしゃーん」と言っていた可愛いらしい時代(←ぴってしてね)
今では、「うるさい」「あっちいけ」と暴言のオンパレードですが、
まあ、反抗期ですからね
子育ては試行錯誤の連続ですが、高校を卒業して進学すれば親元を離れていくことでしょう。
下の子は中1だから、あと、、、6年ない
短いですね。
子育てを満喫したいと思います。
そして子どもと言えば・・・
杉田水脈議員の発言を思い出します。
「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。
彼ら彼女らは子どもを作らない、つまり『生産性』がないのです」
と言った発言に世界中から批判の声が上がっています。
この発言について私、
『生産性』とはなんだろうか・・・
と考えました。
まずはグーグル先生に教えてもらおう。
生産性(せいさんせい、Productivity)とは、経済学で生産活動に対する生産要素(労働・資本など)の寄与度、あるいは、資源から付加価値を産み出す際の効率の程度のことを指す。
一定の資源からどれだけ多くの付加価値を産み出せるかという測定法と、一定の付加価値をどれだけ少ない資源で産み出せるかという測定法が在る。
(wikipediaより)
だそうです。。。。
難しいですね
杉田議員の思うところの生産性でなぞらえると、
資源(ここでは人間)から付加価値(ここでは子ども)を産み出す際の程度のことを指す。
一定の資源(人間)からどれだけ多くの付加価値(こども)を産みだせるかという測定法と、
一定の付加価値(こども)をどれだけ少ない資源(人間)で産みだせるかという測定法が在る。
人間が機械のように見えてきてしまいます。
子どもは付加価値であり、生産するものなのかな。
更に、
『人』に対して、『税金を使う価値』を、天秤にかけて、
価値があるかないかという判断も気になりました。
この二つについて私はこう思います。
「人の価値って何だろう?」
「そして、価値がないと税金を使ってもらえないものなの?」
人の価値は、、、
私の考える「人の価値」があるかどうかは、
その人自身が決めるもの、
そして
その周りにいる人が、それぞれに感じるものではないか。
たとえば、、、
「私自身」については、仕事でお客様に喜んでいただくことで、
私にはお客様に喜んでもらえたという価値があった。
「学生さん自身」については、部活を一生懸命頑張って、
最後の大会で悔いのない結果を残すことができた。
自分は、悔いのない部活生活を送れたという価値があった。
「スポーツ選手」については、大会で勝つ、または、負けることで、
たくさんの応援していた人たちの心を動かした。
感動の涙を与えたことの価値があった。
「赤ちゃん」については、その笑顔に癒される人たちがいて、
その人たちに安らぎを与えたことの価値があった。
みんなに価値があります。
価値のない人なんていないのです。
森田かずよさんの生産性に対する言葉に(←ぴってしてね)
全くその通りと思いました。
私たち国民から預かった大切な税金。
森田さんのように心が豊かな方に託したいな。
そう思いました。
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