昨日の日本経済新聞の片隅にあるパン(ベーカリー)メーカー経営者の小さな死亡記事が掲載されていました。85歳と言う事です。昭和40年代の頃ですが、私が東京で仕事をしていた時に請け負った鉄骨組み立て現場の隣の小さな事務所で彼は何やら忙しそうに仕事をしていました。
鉄骨の組建ては物凄い騒音を伴うため、隣の住人に気遣いしながらの仕事でしたが彼は、時々事務所の窓から顔を出し、ご苦労さん、気を付けてなどと声を掛けてくれる人でした。或る日、デッキプレートと言う鉄板の床板を敷き込む仕事があり、特別大きな音を出すため、その隣の事務所にその旨を知らせに伺いました。
彼から戴いた名刺の特徴ある名前は、新聞の記事と同じ人物である事をしっかりと記憶しております。私が23歳でしたから彼は44歳と言う事でしょうか。
働き盛りで精悍な顔つき、身体つきでした。しかし、目と顔が穏やかで、あまり上等とは言えないビニールソファーに座るように進められ、熱いコーヒーを戴きながら、仕事の経緯や私の個人的な事を色々と聞かれた事を覚えています。
数日後、その工事現場で納材業者が階段から足を踏み外して転倒し、左肩に大きな切り傷を負いました。たまたま隣のその方が状態を見つけて包帯で応急処置をしながら、自分の掛かり付けの医者に自分の車で連れて行ってくれました。私は単に孫請け業者であり現場監督は別にいるため、人ごとのようにその経緯を見ていました。
その後、顔見知りになったその事務所の社員さんを自分の車で東京駅まで送る機会がありました。彼の役職が何であったかの記憶はありませんが社員さんが言うには、とにかくスタッフを大切にし、自分の事など後回しでとても人の面倒見の良い方だったと言います。その後、彼と会う機会は一度もありませんでしたが昨日の日経新聞の記事に…
あの小さな事務所で仕事をしていた彼が、日本を代表するようなパンメーカーの経営者になったのか、その経緯は知る由もありません。しかし、社員だけでなく隣の工事現場で仕事する他人までもを家族のように思える彼の人柄が為しえた事なのでしょう。
ヒビの入ったソファーと粗末で小さな事務所でしたが、あのコーヒーの味と彼の穏やかな目が焼きついています。人生って色々ですが奇遇なものでもあります。
写真は本社の隣に建築されいるJA北斗の支店社屋ですが、鉄骨作業が懐かしく、そして日経新聞での死亡記事が…彼の冥福を祈りつつ今日のコラムに…
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鉄骨の組建ては物凄い騒音を伴うため、隣の住人に気遣いしながらの仕事でしたが彼は、時々事務所の窓から顔を出し、ご苦労さん、気を付けてなどと声を掛けてくれる人でした。或る日、デッキプレートと言う鉄板の床板を敷き込む仕事があり、特別大きな音を出すため、その隣の事務所にその旨を知らせに伺いました。
彼から戴いた名刺の特徴ある名前は、新聞の記事と同じ人物である事をしっかりと記憶しております。私が23歳でしたから彼は44歳と言う事でしょうか。
働き盛りで精悍な顔つき、身体つきでした。しかし、目と顔が穏やかで、あまり上等とは言えないビニールソファーに座るように進められ、熱いコーヒーを戴きながら、仕事の経緯や私の個人的な事を色々と聞かれた事を覚えています。
数日後、その工事現場で納材業者が階段から足を踏み外して転倒し、左肩に大きな切り傷を負いました。たまたま隣のその方が状態を見つけて包帯で応急処置をしながら、自分の掛かり付けの医者に自分の車で連れて行ってくれました。私は単に孫請け業者であり現場監督は別にいるため、人ごとのようにその経緯を見ていました。
その後、顔見知りになったその事務所の社員さんを自分の車で東京駅まで送る機会がありました。彼の役職が何であったかの記憶はありませんが社員さんが言うには、とにかくスタッフを大切にし、自分の事など後回しでとても人の面倒見の良い方だったと言います。その後、彼と会う機会は一度もありませんでしたが昨日の日経新聞の記事に…
あの小さな事務所で仕事をしていた彼が、日本を代表するようなパンメーカーの経営者になったのか、その経緯は知る由もありません。しかし、社員だけでなく隣の工事現場で仕事する他人までもを家族のように思える彼の人柄が為しえた事なのでしょう。
ヒビの入ったソファーと粗末で小さな事務所でしたが、あのコーヒーの味と彼の穏やかな目が焼きついています。人生って色々ですが奇遇なものでもあります。
写真は本社の隣に建築されいるJA北斗の支店社屋ですが、鉄骨作業が懐かしく、そして日経新聞での死亡記事が…彼の冥福を祈りつつ今日のコラムに…
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