経営の神様と云われたドラッカーは、渋沢栄一を彼の業績に驚愕したと云います。
ドラッカーは、すべての用事をキャンセル、来日して渋沢栄一の研究を行ったそうです。
明治時代にこの渋沢栄一なくして、現在日本はなかったとまで云う識者もおります。
渋沢栄一は「経営の本質は責任である」との理論に基づいた経営に徹底したとのこと。
世界的にも彼より先に「経営とは責任である」と説いた経営者はいないと断じています。
金儲けは一過性であり、本業で利益を上げるには社会的貢献と同時並行だと論じます。
幕末動乱期にシーボルトの長男から語学を学び、英語やフランス語等を話せたそうです。
徳川慶喜の弟(異母)の随行員としてパリ万博を視察して、世界各国の先進的な産業や軍事面の装備等に驚愕して彼の感性を変えたと云います。
フランス滞在中に御勘定格陸軍付調役から外国奉行支配調役、今でいう駐在大使のような役職に就きます。
帰国してからは色々な役職をこなしたと云われます。
彼が実業家になったのは、定年退職してからであり、渋沢家の家業である藍玉(あいだま)栽培を行い、藍に葉を発酵熟成させて染料をつくる仕事に従事したとの事です。
彼の農業の仕方は、常に算盤を弾きながら商売的な要素を存分に生かした農業経営で、それがのちの渋沢経営の根底を創り上げたのだと云うのです。
5歳の時から読書を授けられ四書五経や日本外史を学び、剣術の腕も高かったそうです。
来年令和3年からは、渋沢栄一を主人公にしたNHK大河ドラマ「晴天を衝け」が放送され、更に令和6年から新紙幣の一万円札の肖像画になります。
私達経営者は、この「経営は責任」これを為した人の深い格言だと思われます。
「#ファース加盟工務店」の経営者さんも、この格言を勉強してみましょう。
「#ファース工法」「#空気サラサラ」「#ファースの家」「#福地建装」「#フクチホーム」