青森から蟹田への鉄路
蟹田駅
蟹田から陸奥湾越しに、下北半島方面を臨む
1961年(昭和36年)の夏、斎藤真一は青森県を訪れ、初めて瞽女の存在を知ることになった。そのきっかけとなったのが、東北、青森への一人旅であった。
この東北への旅の前に斎藤は、ヨーロッパに外遊しており、パリ在住の藤田嗣治にあった際、東北の魅力について、話を聞かされていた。そのことが日本に帰った斎藤の未消化な心を揺り動かし、東北への一人旅になったのであろう。
青森での瞽女を知るきっかけを、斎藤は著書「瞽女=盲目の旅芸人」で経緯を書いている。
私が初めて津軽の蟹田の町を訪れたのには、さしたる理由があったわけではないのである。ただ、津軽の蟹田というこの町が、遠い昔の私が忘れていた日本に思えた、とある。
津軽のありふれたこの町が、斎藤は魂の中に潜んでいた、故郷の風景を見せつけてくれたのだと言わんばかりなのであり、この日、弘前にとった宿で、斎藤のライフワークともいうべきモチーフの、瞽女にたどりつく経緯は下記のようである。
「青森に戻り、奥羽線に乗り換え、弘前に宿をとった。弘前はちょうど夏でねぶた祭り、華やかな街に、色とりどりの着飾った若い男女の群、そしてけたたましい三味線の音に、戸惑っていた斎藤も、いつしか同化していったのだという。とりわけ三味線の音に強く惹かれ、70代の宿の主人との三味線についての談話の中で、瞽女の存在を初めて認識したのだ」と書いている。