上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

津軽に斎藤真一の足跡を辿る(道中記4三味線会館)⑨

2019-11-13 08:16:27 | 津軽の斎藤真一

       太宰治・斜陽館

  金木駅前に残る、当時物。アンチックなサインポール(くるくる)である。

 赤は動脈 青は静脈 白は包帯 ギリシャ時代は外科医の印であったという。

 次に訪れたのは金木の町である。50年ほど前に訪れているが記憶はほとんどない。あるのは「太宰治記念館・斜陽館」で建物は当時と変わらず建っていた。当時館内では、私と同年代の女性が受付をしていて、話しかけてもはにかんで、会話にならなかったことを覚えている。同行していた青森の友人に尋ねると、津軽弁で話すのが、恥ずかしいのだ、と説明してくれた。

 さて金木にきた目的は、

津軽三味線会館 http://dazai.or.jp/modules/contents/index.php?content_id=12

に立ち寄ることである。三味線会館は斜陽館と隣接しており、共通券を買うと1000円が100円割引なるらしい。今回の目的は三味線会館なので斜陽館はパスである。三味線会館では三味線をこの地にもたらしいたと言われる瞽女から、津軽三味線の始祖と言われる仁太坊(にたぼう)、三味線を広めた、三橋美智也、高橋竹山など、の資料が展示されている。また、知人によれば、高田瞽女の資料、写真の展示もあるという。

 ウイキペディアから

 仁太坊五所川原金木地区に生まれたボサマ「仁太坊」(にたぼう)。それまで地味な門付け芸だった三味線音楽に革新的な奏法を取り入れ、津軽三味線の原型を築いたという。仁太坊と共に、黒川桃太郎梅田豊月らが競い合いつつ、さらに時代がくだり、高橋竹山白川軍八郎木田林松栄らの演奏家が出るに及んで、津軽地方の三味線は他の三味線音楽とは全く異質な音楽として発達を遂げる。三味線も細棹ないし中棹から太棹に変化し、奏法も「叩き」を中心とする打楽器的な奏法が主流を占めた。

 

 演奏は動画、録音は禁止だが、静止画はOKとのことでした。

 

 上記の方がこの日の、演奏者でした

一日、5回、20分の津軽三味線の生演奏が演奏者が日替わりで聴けるのは嬉しい限りである。私も途中からであるが、3曲ほど拝聴させていただいた。最後の演奏は定番の、新、津軽じょんがら節だった。

 高田瞽女の写真はなかったのが残念だが、写真撮影禁止なのでここに載せることはできないが、瞽女人形が数体、瞽女のガラスレリーフ、油絵一点、斎藤の瞽女リトグラフが一点と、津軽じょんがら節の映画ポスターを見ることができた。

 


津軽に斎藤真一の足跡を辿る (道中記3)⑧

2019-11-13 00:15:48 | 津軽の斎藤真一

遮光器土偶で有名な亀ヶ岡遺跡。十三村、車力手前の木造にある。

 

 斎藤は十三村への長いバスの旅すがら、出てくる地名が面白いと書いている。例えば木造、車力などである。津軽鉄道に乗り、終点の津軽中里で降りてからバスで十三村、という経緯もあつた筈だが。そうなれば金木の「太宰治の斜陽館」によっていたかもしれないと、想像するのだが、太宰には興味はなかったのだろうか。

 斎藤真一の津軽旅には関係はないのですが、津軽鉄道沿線の紹介をしておきたいと思います。

津軽半島にある、五所河原〜津軽中里を結ぶ鉄道である。冬になるとダルマストーブが焚かれた列車が走る。

私も50年近く前に2度ほど乗ったが、実に楽しかった。今は4代目のストーブ列車が走り、現行だそうである。

詳しくは津軽鉄道HPをどうぞ。  http://tsutetsu.com/stove.html

私は鉄ちゃん(鉄道フアン)ではないけれど、ローカル線には心が躍るので、終点の津軽中里に足を運んでみました。

 

 

 オレンジ色の凄い奴! 一両編成。ヤレ感がしびれますね。

おお〜手書きの駅名が、これまた痺れます。