東頸城の松口から十日町へ抜ける五十子平の地蔵堂で雪に閉ざされた日、40日ばかりおりました。
水上勉著「はなれ瞽女おりん」より
十日町市・五十子平(いなごだいら)諏訪神社 残念ながら原作にある(地蔵堂)はない! 当然かな!
十日町市、東川 権現堂 残念ながら原作にある(阿弥陀堂)はない! 当然かな!
この権現堂右下手にあった瞽女宿「向山』が残念な事に今年壊されてしまった。まだしっかりとした家だったのだが。
東川は、おりんのいう五十子平のから、確かに、南へ一里ばかり、山峡をわけ入った山のつきあたりにあった。わずか43戸の農家が点在した辺境で、この東川の村しもに、杉皮屋根をふいた畳敷きながら四畳半くらいの広さの、やぶれ堂が一つあった〜〜〜〜中略〜〜〜ここに入ったのは、大正7年4月21日の夕刻で、もう暗くなりかけている頃だった。
〜〜〜〜中略〜〜〜
「瞽女さんか」
と男のかすれ声がした。年の頃は27、8だろうか。一時は、身を引いて警戒するけはいであったが、相手が盲女で、しかも瞽女だとわかると安心してか
「お前さんひとりか」
「はい、おら一人でござります」
おりんはそう言ってから
「おまん眼が見えなるですかのう」
ときいた。男はふふふとわらった。
水上勉著「はなれ瞽女おりん」より
これがおりんと岩渕平太郎の最初の出会いであった。