夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

Happiness is,,, by Miyuki Onitake

2013年10月24日 20時21分39秒 | 芸術・文化


怪鳥さんから鬼武みゆきという人のCDを送ってきた。サイン入りだよ。
フライヤーを読んでいて思い出した。横浜ジャズプロのSさんが去年かその前に、凄いピアニストがいるから岬まで連れて行くから、ピアノがあるかって聞かれて、「ないよ」って答えて消えちゃったあの話の人じゃない。
ヨーロッパで流されていたどこかの家電(たぶん)メーカーのCMの音楽を作曲して、弾いていて好評だったんだって、、、

弟からグランドピアノをあげるなんて話は来たこともあるけど、我が家に入れるなら根太を直さねば、、、それに除湿機も常時オンにしておかなければ。狂うなんてもんじゃない、1週間も置いていたら黒いピアノが青くなる、、、カビでね。(楽のお茶碗で一度やったことがあるんですよ。朱色だったのがカビがびっしりで緑色になっちゃった。陶器は使ったら一週間ほどは乾かさないと駄目ね~ でも、ピアノも同じでしょ)
ピアノは欲しいけど、湿気も温度差もあるところだから、しょっちゅう調律も必要になるだろうし、その除湿機も40畳の部屋を常時除湿させていたら、食費も払えなくなって、おいちゃん、餓死するのは必定。
だからピアノは無理。欲しかったけどね~ 
弾けるのかって? とんでもない、私は聴く人。可愛い弾く人を見つける人ねっ。
なんてことは別にして、

この鬼武って言う人の曲、大活躍のプロのことを素人が何を言っても仕方ないけど、綺麗ですね~ 流石ですよ。それにこの笛の音、私好み。

ただただ、ほんとにほんとに私の個人的な好き嫌いから言えば、この人のピアノ。早い曲、ビビッドな曲は素敵だけど、遅い、感情を込めた曲の場合、テンポももう少し微妙に遅いのが私は好き、それにメロディではなく、一つ一つの音をもう少し歌って欲しかったな。もちろん下品になるのは最悪だけど。ほら、バレリーナが手を伸ばす、直線じゃなく、柔らかい円を描きながら、、、伸ばしきる、、普通はそれで終わりだけど、そこでほんのちょいのもうひとつのほら、なんていうか、なんかの調味料とか「ため」が欲しいのよね。それがお客の心にグサッとくる、、、、なんて。素人がこんなことを言っちゃいけません。私が赤が好きだからって人に押し付けることをしちゃいけないんだってば。
それをやるから、「けぶい」って敬遠されちゃうんだ。でもさ~ いつかの発表会の時のショパンのエチュードの1番、あれに比べれば今回のリストのヘンデルのアルミーラによるサラバンドとシャコンヌ。ぜんぜん違うじゃん。まあ、前回は急にあの曲に代えたのだろうし、幕間の演奏って違いはあるけど、なんてことを言うからますます煙たいか。

それにこのCD、その辺のプロだって鼻を高くしている人たちのレベルからすれば、曲も演奏もはるかにいいものですよ。Sさんだって聞くことのプロだもんね。それが凄いって言っているのがよくわかるレベルの話ね。




ハピネスイズ・・・
クリエーター情報なし
Eternal Music

オリジナルを知ることの難しさ、、、、かな

2013年10月23日 10時55分36秒 | 芸術・文化


この前に弟の発表会のことを書いていましたが、発表会とは直接関係が無いのですけど、その中にバロックの演奏があって、それを聞きながら考えてしまいました。
弟のチェンバロにはバーがあり、それをスライドすることでバロックピッチにできるのです。それにオリジナルピッチの弦楽器のカルテット。要するに一言でいえばバロックアンサンブルですね。

私自身、オリジナルを知る、その時の音楽、そしてそれを作った作曲家の思い描いた曲を知ることはとても大切なことなんて平気で言ったりしていますけど、あの演奏を聴きながら、それがどれだけ難しいことなのかって事を考えさせられたのです。

例えば、プリバロックまで遡ると、それをやれる合唱団、アンサンブルはたくさんあります。楽器もそこそこにそろう(っていっても木管のあの何が出てくるのか分からないような楽器の山が全部そろう、そして吹ける人がいるってのはかなりハードなことですけど)としても、 物理的に演奏できるホールがない。あの残響がなければ、すかすかの音楽とも言えない代物しか出てこないんですね。
ちなみに長崎市と絡んでいた数年の間、事あるごとにバロックがやれるホールをって騒いでいたんですけど駄目でしたね。長崎みたいな小さめな中都市でも、市が管理しているホールって幾つかあるんです。特に小ホールを改築するときに、バロック、プリバロックをやれるホールにしたらって、他の都市なら言いませんけど、あのカトリックの伝統のある長崎だったら一つぐらいそんなのあってもいいじゃないって騒いでいたんですけど、届かなかったですね~

バロックになっても同じです。最初にピッチの話をかいていますけど、たしかにそれはどこのバロックアンサンブルでも気にしていること。でも、日曜日の演奏を聴きながらはたと思いました。どこもピッチだけを合わせればそれでよしとしているんじゃないかって。
もしかしてそれ以上に大切なのは、テンポじゃないかな~なんて思っちゃったりして。ピッチを合わせても、テンポが今のテンポじゃしょうがないでしょうなんて思っちゃうのですよ。
それに音量。先日のホールでも、バロックを再現するには大きすぎる。コンチェルト・グロッソならともかく、小さなアンサンブルを再現するなら、あのホールでは響かせない。バロックバイオリンの音が汚いって言うのも、本来あんな音量で弾く楽器としては考えられてなかったからなんですよね。

じゃ、ロマン派ならいいのかってことになっても、そうかな~
前期の音楽って、今考えられている以上にバロック的な音だったんじゃないでしょうかね。楽器だって、今の楽器ではなかったし。チェンバロは音が小さ過ぎる、でも今のピアノはまだ出て来てはいない。ピアノフォルテだって、今のと比べると「小さな音量で素晴らしい音色」ってことですからね。

少し時代がさがっても、ピアノの詩人、ショパン。彼がこだわっていたブレイエルだって、あの当時の楽器の中では彼に一番合った楽器だからということなのだと思います。小さいけど(特に中音域の)綺麗な音。指を離したときの響きも短かったんですよね。
それよりも大きな音が欲しかったリストが使ったピアノだって、今のコンサートピアノに比べれば赤ン坊みたいなもの。
だって、大きなコンサートホールができ始めたのは、それよりだいぶ後の話ですから、彼らにはそんな環境の中の音楽って想像もつかなかったのでしょうね。

楽器も、それが演奏される環境も今とは全く違う。
そしてもっと大きな問題は、、、バッハの楽譜にあるのかも。
四角四面のバッハの音楽。だからバッハを弾くのには皆さん沐浴して、神様に祈って、、、顔をしかめっ面して、、、、バッハはこうあるべきッてのたまいながら恭しく弾くのですよ。。。。
でも、そうだったのかな~って思いがあるのですね。だってあの頃の演奏家は皆即興の大家。楽譜があってもそんなのは「たんなる参考ね」程度なんだったのじゃないかな。
眉をしかめられるかもしれないけど、ジャズの演奏。あれに必要なのはきちんとしたメロディライン。それがあれば皆勝手に弾いて行きますよ。だから、そのメロディは単純、明快なものじゃなきゃいけなかったんですよね。複雑怪奇にしたらそれから即興なんてできないものね。
よく口にしているM.リンデ。彼が興に乗って弾き始めた時のアンサンブルなんて凄過ぎ、楽譜を見ていてもどこを弾いているのか分からないくらい。でも、彼の演奏を聴きながら思うのですよ。バッハの時代の音楽ってこんなもんだったんだろうな~って。
バッハはその環境の中で、それを当たり前として彼の譜面を書いたんだろうなってね。

でも、念願叶って、きちんとオリジナルの音楽が再現できたとして、それがなんだって言う人があっても、私としてはそうだろうなっていうしかない。だって環境が変わり過ぎているんだもん、当時のものが分かっても、当時の作家が考えたものが分かっても、今の価値観からは評価できないかもね。弟の発表会、ピアノを441に合わせたのだそうですけど、子供たちからは低くって気持ち悪いって悪評たらたらだったそうです。いつもは442に合わせてるんだけど、文部省関係の予算なんかがついているとこ、管轄に入っているところは、必ず終わりに440に戻させるのだそうですね。それもまた変だけど。

いや、みなさん、ありがとうございました。
思いにふけられるだけでも、毎日日曜日で刺激もなく、何も考えなくなった年寄りにはとても大切な時間でしたよ。





策士 策に溺れる

2012年09月18日 10時48分39秒 | 芸術・文化


昨日のアクセス解析を見ていたら、「あしづかたかし」で来られている方が何人かおられて、その閲覧元を見ていたら、2チャンネルで「島原の乱、芦塚忠右衛門の策と松平信綱」ってのが出てました。

家ではこの忠右衛門が祖先の一人となっているし、もっと面白いのは、鹿児島に、芦塚の名前が残っていて、それは真田の残党だっていうのです。

かごしま検定の参考書にも
> 田原家私有林墓石(鹿児島県南九州市頴娃町牧ノ内の雪丸地区)

真田幸村は、大阪の陣のあと、島津の軍船で鹿児島に逃れ、谷山(今の鹿児島市谷山地区)に上陸した。
鹿児島では、真田幸村は芦塚左衛門と名乗ったが、現地の者は、真田幸村を芦塚大左衛門、その子・真田大助幸昌を芦塚中左衛門、孫を芦塚小左衛門と区別していた。

その後、豊臣秀頼を谷山においたまま、尾根伝いに揖宿郡頴娃村(今の南九州市頴娃町)に潜入し、(牧ノ内)雪丸に居を構え住んだ。
その名残として墓が立てられたが、その墓には何の刻印もない。真田幸村は、頴娃村摺木の百姓娘との間に隠し子をもうけたが、徳川幕府の追及を逃れるため、その娘を(別府)大川の浦人に嫁がせ、生まれた子は瓢左衛門と名づけられた。

その子孫は、幕末になって、名字帯刀を許され、真江田姓を称し、(別府)大川の真江田家・難波家の墓には六文銭が刻まれている。
/>

この一族の一人が天草の乱に加担したって言うのですけど、
その芦塚忠右衛門が、食料不足を敵方に見破られないために、わざと兵糧をのこして引き揚げた。でも、敵方は、「あいつら、あわてふためいて、兵糧すら残して行った」っとしか判断できなかった。

策を立てるにも、相手の力量を知らなければ、策に溺れてしまうってことなんですね。

(ほんと、黙って教壇に立って、そのまま帰って、学生がにっこり笑って、試験で満点取ってくれて、、、、
期待する方が馬鹿だよね。
せいぜい教務課から呼び出されて、「もっとまじめに授業してください、授業料返せって文句が来てます」ってので終わりだもんね~ 
客員なんて日雇いだからして、学生が泣けば、地頭が飛んでくるし。
しくしく)

なんて、こんな話、知人の「天下の謀反人の一族が生きながらえることなんてありえないよ」の一言でけりがつきましたけど。



ずいぶん長いイントロがあって、
昨日の知人のFBを見ていたら、シルクのオーガンジーを栗渋で染めたものの写真が出されていた。(FBの写真へのリンクは始めてですので上手くいくかどうか心配ですけど、たぶん大丈夫みたいですね)

実はこれらの作品はずいぶん前に、写真を頼まれたことがあるのですよ。
一目見て、オーガンジーの自由さに目をひかれ、渋染めの暖かい優しさに魅かれて、思い出したのがボッテチェッリーのプリマベーラの三美神たち。
これが頭から離れなくなっちゃった。

なんとかしてこのイメージを込めたいって思ったのです。オーガンジーを風になびかせたり、、、、いろいろやってみたんですけど、いつも頭が先にある。それが邪魔をするんですね。
おまけに、この知人、写真でも賞を撮ったりする方だし、いつも最良を求める方、、、イメージをお伝えするだけでも変な物じゃいけないんだなんて思っていたら、余計にできなくなっちゃって、、降参、できませんってお返ししちゃったもの。

技や頭は、プロにはなきゃいけないもの。でも、作品にそれがでちゃおしまいだよね。臭くなってしまう。
技や頭は目いっぱい使うけど、作品を作る段では、それは放り出して、自分の感性だけが勝負。

そんな意味では、私なんか最近、理想を行っている。
歳とって、体が動かないから技は効かない。
私だれ? では頭も働かない。

あぁ、それ以前に、私にはもともと技も頭もなかったんだった。
号泣、、、






雑草???

2012年04月16日 19時31分12秒 | 芸術・文化


ヨーロッパには雑草がないって? 
ふ~ん、なんてちょっと違和感を覚えておりましたけど、でも、あの長い長い砂漠の民どもの戦いを見ていると、ほんとうなんかな~なんて思わないこともない。
一夫多妻を認める制度だって、そんな風土を背景にしたものだしね~


でも、それから言えば、台風はやってきても、日本はまだまだ幸福なんかな~
うん、そうなんでしょうね。



毎年、この時期になるとご紹介している雑草。
いえ「雑草なんて呼ばれる草はない」
イモカタバミでございますよ。

有朋自遠方來 その2

2012年01月16日 10時03分27秒 | 芸術・文化


昨日の日記、「有朋自遠方來不亦樂乎」でこの世捨て人のあばら家にも来客がある、嬉しいなということを書いておりました。
隠遁の私には久しぶりのお客様。
いや、チビ太やノスリさんたちとのお話も大事ですけど、やはり友人との歓談、心躍り、良きものでございますな。

ところで、彼のサプライズ。
お軸を二幅お持ちになりました。

一つは伝曾我蕭白のお軸。「飲中八仙図」というのだそうです。
(ごめん、画科の名前を間違っておりまして、訂正のメールが入りましたので、訂正しておきます。堪忍ね)
私的に言わせると集合人物画でございますけど、いや、実に自由闊達な筆さばき、東洋の文物には全く浅学な私の目から見ても、心の踊るような見事な物でございました。絵の人物(多分詩聖たち)がその時を謳歌し、さんざめいているだけじゃなくって、その雰囲気が見る私にまで伝染してくる力を持ったものでした。
世俗的に言えば、万が一本物であってもなくても、重文の価値のあるようなもの、、、
なんて言うと叱られるかな。
なんせ、この方、自分のコレクションだけで展覧会を開かれるほどのコレクターでござんすからして、極めて本物の可能性の高いもの。でも仮にそうでなくても、本当に質の高いものでありました。

私も、価値の定まらない現代作家の紹介を生業としてきた人間ですので、日本画は分からないとは言いながらも、素晴らしくいいものということは自信をもって言えるような代物でしたよ。


ところで、もう一つのお軸。
最初の蕭白で十分に堪能したと思ったら、またまたの驚き。
書でございました。
いろんなお茶席で、所謂高僧たちのミミズののたくりを拝見し、うんざりしている私でございますが、これは全く異質のものでございました。
よく、古典を読むと、香るような文字というのが出てまいりますが、まさしくそれを目の当たりにした思いで拝見いたしました。
大雅も自由、闊達。ならこれは何にも囚われない自由な筆。そして気持ちの暖かさ、まっすぐさがそのまま伝わってくるような、上品で、のびやかな筆。
画以上に書は分からないと匙を投げていた私の乾いた胸にもするすると春風が忍び込むようなそんな思いに駆られるような一幅でございました。
彼の見立てでは、伏見天皇のお筆だそうです。
後伏見天皇とは良く似た筆だけど、ちょっと違うのだそうです。
私はただただ自分の無知を思い知らされるだけですけど、その無知な、情けなき心にも十分に理解できました。
自分の書いたものさえ判読不能なような悪筆の私にとって、筆が持てなければ恋もできない昔のシステムを哀れんでおりましたが、書かれたもので、字の上手下手だけでなく、書き手の人柄まで伝わってしまうのだなって、、、
昔はそれが分かることが常識的に知られていたんだなって

あぁ、昔に生まれなくってよかった。
なに? 今だってもてなかったくせに?
あんた、喧嘩売ってんの?







日本人の美意識でしょうか?

2012年01月15日 09時40分53秒 | 芸術・文化


お茶の師匠曰く
「庭は枯れ果てた時が一番美しい」
ふんふん、これが日本人の美意識なのでしょうか。

春の若葉のしなやかさ、生まれたての命の持つ美
夏の陽を跳ね返す、したたかさ、剛健な力の美
秋の飾り立てた優雅さ

それぞれに美しいのだけど、日本人ってどこかそれでは満足しないところがあるのでしょうか。
自分の目、心で補い、作り上げる美しさ、そんなものを上と考えるところはないでしょうか。

しばしば書いていますよね。
煌々と光る満月
それよりも、それに雲がかかる、あるいは霞で朧ににじむ月。
そんなのがベターと考えることはありませんか、、、
ただの真ん丸よりも、ちょっと欠けているのを愛でる。

完璧主義者の日本人がなぜって思いますけど、
もしかしたら、不完全主義者のほうがより真実に近い?

もちろん雲のかかる前の月は、完璧以上に完全じゃなきゃ日本人は満足しないのかもしれませんけど、、

以前にも書いたことがありますね。
確か東京のお茶室の庭の話でしたっけ、
綺麗に掃除して、そこへ数枚の枯葉をちりばめる。
もっといえば、侘び寂のお茶だって、このライン上のことなのですよね。
意図してちょっとだけ足りないものを残す。ほんらいは完璧、満点なのにわざと汚点を残す。
そこから、自分の心で完全な物をイメージするのが好きな人種、文化。
なんとなく、日本人ってそんな部分も持っているのじゃないかなって、、、

庭は枯れ果てた時、その庭が若葉、あるいは紅葉で飾られた時をイメージして楽しむ。完全な物を見せられるよりも、そのほうがより楽しい。
師匠の言葉はそんな意味なんですね。

恋をしてしまいました。   物が物でなくなる時

2012年01月04日 05時23分35秒 | 芸術・文化


以前にもご紹介しましたが、上総一宮にことろという小道具屋さんがあります。
おいてある古布がとても素晴らしい。
そこに上っ張りが置いてあります。
夏に使うものは一つ求めました。
あまり着ないのですけど、何となく満足しちゃっています。
ただ、以前にも書きましたけど、これで大きなポケットが二つ付いているとメグ・ライアンがなんかの映画で着ていたのに良く似ているな~なんて、まあ、私にもそんな一面があるんですよね。



寒くなりました、袷になった、あるいは厚手の上っ張りが欲しいと思っていました。


素晴らしく丁寧な作りの刺子の上っ張りがいくつか置いてあって、私の物欲を強烈に刺激します。
色も形も、私好み。防寒にもそこそこ間に合うでしょう。
何度も何度もそれを見るために通いました。
でも、その通いの密かな目的はもう一つ別な上っ張りを見たいからでした。

それは、非常に素朴な浜着。
道具として見た場合には、刺子の上っ張りの方が綺麗だし、洗練されている、それに私の目的にもあっているかもしれない。
この浜着は少し厚すぎてゴワゴワしすぎるかもしれません。
それに冬の防寒着としては、前がきちんと閉まるような、ヤッケみたいなものの方がもっと適切なんでしょう。

でも、刺子も、そしてこの浜着も、どうしても忘れきれない。
刺子にはそれなりの値段がついています。
でも、この浜着、さすがにこのお店のオーナーは布の専門家。刺子の二倍近い値段を付けています。
見るところが違うんでしょうね。
刺子だって、貧乏な年金生活の私には途方もないお金。
ましてこの浜着の値段は、清水から何度も落ちる覚悟がなきゃ手も届かない。
でも、欲しいのです。
店があいたら、買いに行こうと密かに決めています。



この浜着からはたんに道具としての意味以上に、私を刺激するものがある。これに染みついた時間の重みなのでしょうか。

例えば名物とされるようなお茶碗。欠けても金や銀で補修されて、却ってその価値を誇っている。そんなエリートのたどる道ではなく、この浜着には、何十年も使い古され、破れや綻びも、一針一針、母ちゃんや、それを着ていた漁師さんの手で補修されながら使われてきた重さがあります。
その時間の重みが妙に私のスポットにはまり込みました。



どんなに優れたもの、道具であっても、どんなに綺麗であっても、作られたときはその物の持つ価値だけしかないんですね。
でも、それが使われ、人と交わって来るうちに息吹いてくる、その物の時間が生まれてくるんでしょうね、、、




なんて、今年初めての妄想でした。



ハイビスカスは一日花?

2011年10月20日 07時41分13秒 | 芸術・文化


トップの写真は昨日ご紹介したベランダのハイビスカス、同じ花です。
今朝の6時ころに撮影しました。

以前、槿は一日花じゃないって、やはりベランダに咲いている槿の花をご紹介したことがありますが、槿の仲間のハイビスカス。これもまた、一日花ではなかったですね。

「ハイビスカス 一日花」で検索をかけるとたくさんのページがヒットします。ハイビスカスは一日花って通念が広まっているんですね。
確かに、一日でしぼむものも少なくないけど、翌日も咲き続けている花もあるんです。

こんなことを書くと、図鑑にはそんなことは書いていないから間違いだって言われそうですね。
自分の目で間違いの証拠を見ても、自分の目を信じない。まして他人が何を言おうと、権威ある人の言っていることが正しいのだっていうのが、日本では普通ですから。
一分近くも潜っているカルガモを見ても、あるいはその映像を見せられても、カルガモは潜水鴨ではないって言い張る人が多いのです。
そんなの周りに一杯ありますね。自分の目すら信じられないのかな~
そのうち、土砂降りにあっても、気象庁の予報は今日は快晴だから、自分が濡れているのは間違いだ、自分の勘違いだって思うのかしらね?



昔々、コンサートや展覧会に行って、あるいはそんなのを企画して密かに思っていました。ちっとも上手じゃない、楽しくないものを、素晴らしいって言っている人のなんと多いことか。
なに、友達の、名前のある批評家に頼んで、いいって書いてもらうのですよ。
そうすると、あの人が素晴らしいと言っているから、分からないのは自分が至らないせいだ、ほんとうは素晴らしいのだって、、、、、
自分の目、感性を信じられないのですかね?
つまらないですね、、、、




この花が証拠です。
お年寄りが認知症がはいって、しぼむのを忘れて、気がついたら気息奄々で咲いていた、なんて咲き方じゃない。
今咲き始めたみたいにぴちぴちしています。
図鑑がどう言おうとね。

ボディペイント

2011年10月01日 10時39分58秒 | 芸術・文化


オランダ人のボディペイントのアーティストを知っていました。
ペイントするだけでなく、ペイントされた人が踊ったりするのです。
日本でのプロモーションを頼まれましたが、どうしても食指が動きませんでした。
ペイントが下手ということではありません。
日本の法律の問題もありましたけど、私には素のままの体の方が綺麗に思えましたのでね。

でも、これは素のままの体ですよね、、、、



札幌交響楽団 悲愴

2011年08月28日 09時13分47秒 | 芸術・文化


NHKで札幌交響楽団の悲愴をやっておりました。尾高忠明の指揮で6月4日に収録されたものだそうです。

これを聞きながら、ふと自分の評価って言うのが、自分のもっているデフォルト・スタンダードに如実に影響されるんだ、それとの対比で評価するんだって、当たり前のことを痛感していました。

「悲愴」 もう50年近く前に、私が前髪紅顔の美少年だったころ(????)大好きな曲でした。指揮者として、その頃の私の神様は、トスカニーニとフルトベングラー。この全く異なる性格の二大指揮者にまいっておりましたんですよ。

だから、悲愴を聞くときは、トスカニーニのあの早い、リズミカルな、ダイナミックな演奏と、フルトベングラーの重厚な演奏がともにデフォルトにあるという分裂症ぎみの立場に置かれるんです。

スコアーを手元に一生懸命、ここは第一主題の再現だからとか、ああだとか、こうだとかって自分なりの評価基準を見つけようとはしておりましたが、いかんせんまだ子供ですからね~ 自分にあの二大巨匠に文句を付け、あちら、こちらに軍牌を上げるほどの実力のなさに打ちのめされておりました。
懐かしいですね~

ところで尾高さんの指揮。
大人しいし、柔らかいですね。全体にもっとダイナミックに、6連譜のマーチのところでももっと歯切れがあってもいいんじゃないかって思うくらい。全体として、追憶の悲愴って感じがしてならなかった。
でも、とてもしっくりした、綺麗な演奏でしたよ。

そして札幌交響楽団、弦と木管がとても綺麗ですね。
ここまで素晴らしい交響楽団だとは、、ごめんなさい、、知らなかった。
ここまで来るのに、郡山のお菓子屋さんの息子さんの力も大きかったんでしょうね。
震災後、石巻からの帰り、郡山を通りながら、彼は今何をしているんでしょう、少し前までは東南アジアにいたみたいだけど、なんて思っておりました。