この間「
おいちゃんは」っておいちゃんの撮る変な被写体をご紹介しました。
実は、そのちょっと前にも、「
なんとなく滑稽な」って、変な被写体を紹介しています。
ですから、ここは「変なもの」シリーズの第三弾ですね。
もっとも、時間をもっと長くとれば、あっちにも、こっちにもたくさんその「変なもの」が出てきますけど、あまり意味がないし。
流木や枯れたシダ、、、なんであんなものを面白がって撮るんだろうと思いますが、それにはおいちゃんの悲しい過去があるのです。
仕事場に入ってから、おいちゃんの仕事は、ある国のゲージュツ、ブンカを紹介することでした。
それも、古典は評価が定まっており、紹介すべきものは商業ベースでやれるから、あなたは現代ゲージュツを紹介しなさいってことでしたので、おいちゃんは一生懸命、ゲージュツカと付き合い始めました。
ゲージュツ蚊はブン蚊の仲間。あまりたちのいい手合いではありませんでした。
そんな人の間で、あまりにも熱心に飛び回っておりましたので、おいちゃんの目は飛蚊症になり、目の中に蚊がぶんぶんと飛び回るほどでした。
だから、おいちゃんの頭の中は少し壊れてきたのだと思います。
なにが美しい、何を紹介すべきもの、、、ほんと、ゴミ箱をあさっているようなものでしたからね。
ゴミ箱; 比喩で言っていると思いますか? とんでもない、それがまったくの真実のものもあったんですよ。
どこかのお花の流派のお家元。展覧会をやるからおいでなんて言われて、おいちゃんは、華道なら、きゃわいいこちゃんがいっぱいいるだろうと、、、思ったかどうかは定かではありませんけど、いそいそと出かけましたら、なんとそこは夢の島状態。観客も変に気取った根暗ばっかし。。。おいちゃん、がっかりしてしまいました。
これは別な美術の作家。展覧会やってよってサンプルで送ってきたものは、なんとなく一般受けするような作品。
「まあ、これならどこかに当てはめてもいいか」なんておいちゃんに思わせといて、さて、やろうとして送ってきたのは、ゴミ。
おいちゃん、仰天しましたね。出版されている彼の作品集や、それまであちこちの美術館で見たものとは全く異質なもの。
「このガラクタはなんだ」っておいちゃんの問いには、「作家って日々進歩するものだよ」なんて澄まして答えていましたっけ。
おかげでおいちゃんは顧客の信用を一つなくして泣いておりましたな。
もちろん、おいちゃんも年一くらいは、「顧客サービスです」なんていいながら、好きな古典の展覧会やコンサート、ダンスや舞台のパーフォーマンス、イベントを企画しては、半公認でやっておりました。
成功の拍手は仕事場に、失敗のつけはおいちゃんが負う、そんな馬鹿な状態、、、それでもおいちゃんは古典をやっていたのですね。
それがなければ、おいちゃんの頭はとっくに壊れていたと思いますよ。
でも、ときどき思います。
おいちゃんの仕事の日本のカウンターパート。文化庁では評価の定まらない現代ものにお金と時間をかければ、必ず文句がでてくるからって、現代ものはほとんどやっていない。それを扱えるスタッフさえいない。
おいちゃんみたいな、素人にだって、外務省のスタッフが日本の文化を海外に紹介してみないなんて声をかけてくるくらいだから、人材不足はどうしようもないのでしょうね。
というのか、お役人と話をしてみて人材はいっぱいいるんだと思いますよ。でも政府の枠組みが自由な動きをできなくしている。
まあ、理屈で考えれば日本の役所の動き方のほうが当たり前なんでしょうけど。
最近、漫画だのアニメだのって少しやり始めましたけど、あれだって、世界的に評価を受けたから、それをやっても叱られないって見定めた後ですよね。
評価の定まったものの紹介や、保存なんてのは、それこそ「コマーシャルベースベース」でやれること。
ノンプロフィットの政府としては、まだ評価の定まらない今の文化の紹介、振興をすることが本来の役目だと思うのですけど。
日本では、現代ものっていう言葉さえ理解されていない。
昔、NHKが現代アートの展覧会をやり、それをヨーロッパに回したかったんですね。監修はとても高名な美術史家さん。
相談されて、おいちゃんは鼻先で笑っちゃいましたよ。
そして、担当者とその美術史家さんにいいました。
「これは現代アートではなくって、近代です。だってどの作家ももうとても高く評価されている人だし、その芸術は既存のものになっていますからね。」
それでもどうしてもというので、おいちゃんはヨーロッパに行ったときに知人の美術館の館長や学芸の人にそれを見せましたが、あちらで言われたことはおいちゃんと全く同じ言葉でした。
どこの国でも、名前やその芸術が評価されて、初めて既存のものになる。当たり前のことですけど。
でも、今を紹介しようとした場合に、今、生まれている芸術って、その枠組みから離れているんですよね。それをどう位置付け、評価し、取り上げていくか、それがアートマネージに携わる人にとってとても大切なこと。
なんて、口では簡単に言えますけど、現実はとても不可能に近いこと。
おいちゃんは、このやり方が悪ければ辞めさせてもいいですよ、って開き直っていた部分があるし、人(主催者)にリスクを負わせるのに、自分が認めたものじゃなきゃ紹介できないでしょって、気に入らないものは絶対に手をつけなかった。それがおいちゃんの仲間には評価されたし、向こうの国でも一応の評価を受けて勲章までもらったり。もっとも日本で言えば勲四等くらいだから、大したもんじゃないけど、ブンカ、ゲージュツの分野での叙勲は日本と同じでそんなにないんですよ。
その後、かの国に行ったら、今まで鼻もひっかけなかった、大美術館の館長たちからおめでとうを言われて、「こんなブリキのおもちゃよりは、ボーナスをくれるほうがいい」なんて思っていたおいちゃんも、仕事に役立つならよかったわいって思いなおしたくらいですからね。
でも、おいちゃんのような仕事のやり方ができたのはとてもラッキーだったから可能なこと。
教壇に立って、これから続いていこうとしている学生さんたちにこんな話をして、日本の美術界に巣立って行ったら、みんな挫折するのは目に見えている。。。。言えないよね~
日本の美術館では、高名になった作家の作品しか購入しません。
高い税金を使ってね。
でも、ヨーロッパの美術館では学芸の仕事の一つが、これから出てくるであろう作家を紹介し、場合によってはその作品を購入すること。
プロでも、はずれは多いでしょうけど、それがその館長や学芸員の評価なんですね。
その意味で、日本ってどこまでいっても島国。自分が分からなくっても他人が高く評価するものは、「いいもの」になってしまう。知らないものを自分の目で評価するってことが難しい人が多すぎるんですよ。
なんちゃて、でもチビ太にはおいちゃんの面白いものは、どうも評価できない。せいぜいおしっこをかける対象くらいだな。。。。
でもま~ おいちゃんに残された時間はそんなにないのだから、いまさらおいちゃんの価値基準を矯正いたしましょうなんてことをやっても仕方がない。
おいちゃんにはせいぜい、暖かい日だまりの羊の夢を見てもらいましょう。
だって、おいちゃんは未年だから。