夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

人日寄杜二拾遺  高適

2007年01月29日 22時34分26秒 |  漢詩を長崎弁で
人日題詩寄草堂
遙憐故人思故鄉
柳條弄色不忍見
梅花滿枝空斷腸
身在南蕃無所預
心懷百憂復千慮
今年人日空相憶
明年人日知何處
一臥東山三十春
豈知書劍老風塵
龍鐘還忝二千石
愧爾東西南北人

   人日寄杜二拾遺  
   高適

人日詩を題して草堂に寄す
遙かに憐れむ故人の故鄉を思うを
柳條は色を弄して見るに忍びず
梅花は枝に滿ちて空しく斷腸
身は南蕃に在りて預かるところなく
心に懷う百憂復た千慮
今年の人日空なしく相い憶う
明年の人日知んぬ何くの處ぞ
一たび東山に臥して三十春
豈(あに)知らんや書劍の風塵に老うとは
龍鐘還た忝けなく二千石
愧(は)ず爾(なんじ) 東西南北の人



***
今日は人日やけん、この詩を作って、あんたに送るばい
あんたが故郷を思うちょる気持がよう判るけん
柳ん枝は新芽を付け始め、思い出をかき立てよるじゃろうなぁ
梅の花も枝一杯に咲いて、懐かしみに腹もよじれそうたい
わしゃ、田舎にいて世の中のことから外れてしもうた
心ん中は愁しかことばっかいたい
今年の人日はここであんたんことをただ思うちょるけど
来年の人日はどこでなんばしよるやろうかね~
役に就いてから三十年も経ったけど
そんころは大きか夢があったよね
学んだ文武も転勤転勤でなんも使わんうちに年取ってしもうた
そんでも私はまだ役に就いちょるとよ
それば思うと、自由人であっちこっち気ままに暮らしちょるあんたに恥ずかしか


杜二  杜甫(二は次男。この呼び方は家族とか親しい友人だけが使う)
人日  1月7日;元旦から鶏、狗、豚、、、と日にちがあり、それに関する占いをした。7日は人の日)
草堂  杜甫の庵
一臥東山 世にでるまで自由な生活を送るというような意味
龍鐘  年をとること
二千石 地方の長官
東西南北人 自由にあちこち放浪している人

   

韋應物  幽居

2007年01月13日 23時53分56秒 |  漢詩を長崎弁で
貴賤雖異等 
出門皆有営
独無外物牽 
遂此幽居情
微雨夜來過 
不知春草生
青山忽已曙 
鳥雀繞舎鳴
時與道人偶 
或隨樵者行
自当安蹇劣 
誰謂薄世栄

  韋應物 幽居

貴賤は等(階級)を異にすと雖も 
門を出ずれば皆営(いとな)み有り
独り外物(地位や財産)の牽(ひ(牽制))く無くして 
此の幽居の情を遂(と)ぐ
微雨 夜来過ぐ 
知らず 春草の生ずるを
青山 忽ちすでに曙(あ)け 
鳥雀 舎を繞(めぐ)りて鳴く
時には道人(僧)と偶(ぐう)し 
或いは樵者(しょうじゃ)に随って行く
自らまさに蹇劣(けんれつ)に安んずべし 
誰か世栄(せいえい(俗世の栄誉))を薄くすと思はんや


この世には偉か人も、そうじゃなか人もおる
どんげん人も家をでればあくせくして働いちょる
ばってん、うちは地位だの、財産だのって他のものには関係がなか
自分の心に従ごうて、このあばら家の生活を心から楽しんじょる
夕べ、雨が降った
この雨で春の草も芽を吹き出したかなって思ううちに
緑の山はもう明けて
鳥はうちの周りで鳴き交わしよる
ここでは修行者と会って話したり
木こりの後をついて回ったり
世渡りのできん私にはちょうどよか境遇ばい
そりゃ、栄耀栄華なんか何の意味もなかとまでは言わんけど


Sunday Walk 070103  白居易  魏王堤

2007年01月03日 20時54分17秒 |  漢詩を長崎弁で
2時間ほどカメラを持って散歩に出ました。
元旦にアップした初春に梅の蕾の写真春帰へ苔むした古道の写真を添付するためと、河童のトップの写真をとろうと思いましたので。梅は一輪だけですけど白梅の写真が撮れました。

トップの桜の蕾は華やかな色を加えています。
馬酔木はもう小さな蕾が春の息吹を謳歌しています。






冬の花だけでなく、山の自然の中にも、寒さに向かうこの時期、密やかではあっても春の到来を感じさせるものがそこここに見えました。



緑が目にしみる畑



秋の名残


そして春帰でも使いましたが、山茶花の花いかだ


スィートピーの花はちょっと疑問符付きですが、、
でも、菜の花もつい数週間前に咲いていましたし、11月にはムラサキツユクサも咲いていましたよね。






花寒懶發鳥慵啼
信馬行到日西
何處未春先有思
柳條無力魏王堤
      魏王堤
      白居易 

花は寒くして發(ひら)くに懶(ものう)く 鳥は啼くに慵(ものう)し
馬に信(まか)せて行  日 西するに到る
何(いづ)れの處か 未だ春ならずして 先づ思ふことか有る
柳條 力無し 魏王堤

  まぁ~だ寒かって、花は開かんし、鳥も鳴き声も立てん
  馬に任せて日の沈むほうへと行ってみた
  どこもま~だ春は来とらん こんげん待ょっとるとに
  魏王堤の柳の枝もぶら~んとさがっとるばかりたい

でも、これに比べれば岬はもう春ですね
柳の新芽はまだ出てませんが
鳥は梢でなき交わしています

春帰  杜甫

2007年01月03日 19時30分25秒 |  漢詩を長崎弁で
頂いた沈約の初春に長崎弁訳をつけたことを書きましたが、
その方に 杜甫の春帰をお返ししました。
もちろんそれには普通の訳をつけただけで、方言訳はつけておりませんでしたが、やっぱりこれにも追加しよう。しょうがない人ね貴方は!ってお叱りめさるな。お願い。

>>
どうせ春とお酒を詠うのであればこれはいかがでしょうか。
お返しいたします。

春帰  (杜甫)

苔径臨江竹  
茅簷覆地花  
別来頻甲子  
帰到忽春華  
倚杖看孤石   
傾壷就浅沙  
遠鴎浮水静  
軽燕受風斜  
世路雖多梗  
吾生亦有涯  
此身醒復酔  
乗興即為家  



苔径 江に臨む竹
茅簷 地を覆う花
別れし来り頻りに甲子
帰り到れば忽ち春華
杖に倚って孤石を看 
壷を傾けて浅沙に就く
遠鴎 水に浮んで静かに
軽燕 風を受けて斜めなり
世路 梗ぐこと多しと雖も
吾が生 亦た涯り有り
此の身 醒め復た酔う
興に乗じて即ち家と為さん


苔の生えた道の向こうには川と竹が見えている
草の庵の前は花が地面を覆っている
ずいぶんと長い間留守にしていた庵
帰ってみれば、春の花の真っ只中
杖を突いて庭の石を見ながら
川のほとりの砂に腰をおろし酒瓶を傾ける
遠くの鴎は水の上にゆったりと漂い
燕は身軽に風を斜めに切って飛ぶ
この世にはいろいろ問題はあるけど
人の一生だってそんなに長いもんじゃない
酔いから覚めて、また酔う。
気に入ったらそこをねぐらにすればいい。

>>



苔ん生えた道の先に川があって、竹が生えとる
小さか家の前は花が地面を覆い尽くしとる
ほんとに長か間 留守しとったとばいね~
帰ってみたら、春の花が一面に咲いちょるばい
杖を突いて、庭の石ばぼんやりと眺め
川のそばの砂に腰ば下ろして、酒瓶を傾ける
遠くの鴎は水面をゆったりと漂よっちょる
燕は風を斜めに切ってびゅ~~~って飛んでいった
世の中んにはいろんな苦しかことがあるとよ
ばってん、人の人生っちゃ、どうせあっという間に終わるんじゃけん
酔いが醒めれば、また酒ば飲んで酔いつぶれればよか
そして満足したらそこで寝てしまえばよかじゃろが



あ~~ぁ、私の生活そのもの。
どうみても落ちこぼれ確定組み。
負け組みの遠吠えっていわれてもしょうがなかたいね~~

写真を加えましたのでタイムスタンプを1月1日より今日へ変更しました。



初春 沈約

2007年01月03日 17時33分21秒 |  漢詩を長崎弁で
              絶対どこかで梅が咲いているって探し回りました。
              疲れて帰ってきたらなんと隣のうちの庭に一厘咲いていました。




年末のご挨拶を書いていたら知人から沈約(しんやく)の初春を贈られた。

扶道覓陽春 道に扶(たす)けられて陽春を覓め
佳人共攜手 佳人共に手を携う
草色猶自非 草色 猶自ら非(や)む
林中都未有 林中にも都(すべ)て未だ有らず
無事逐梅花 梅花を逐うを事とすることなく
空信楊柳 空しく柳楊に信(まか)せしむ
且復歸去來 且つ復た 帰り去らむ
含情寄桮酒 情を含みて桮酒に寄せむ



ご返事には
私なりの訳をつけたけど、どうもこれじゃものたりない。
いつもの伝で、方言の訳をつけなきゃ。

まずは最初の訳;

若くて綺麗なお嬢さんたちが手に手を取って
春を探しに出かけました

でも、野原には春はまだ来ていない。
林の中にもまだ見えない。
梅もまだつぼみは固い。
柳は枝を風に揺らしているだけ。
もう、帰ろう。春はまだ来ていない。
家に帰って酒瓶の中に春を見つけよう。


今年はお酒を少しだけ控えましょうよ。
春が意外なところに潜んでいるのが見つかるかもしれませんよ。



そして、ブーイングのもとになる方言訳;

可愛か姉ちゃんたちと春を探しに行ったとよ。
ばってん、野原にはまだ春は来とらっせんと~
林の中にも見つからんかった。
梅の蕾もまだ固かったとよ。
柳も枝を風に揺らしとるだけ。
つまらんたい、春は来とらん。
はよ、家に帰って、徳利の中を探してみよ。

元旦からこれじゃ、私の今年もたいしたことない?

そしてこれに対しては私は杜甫の春帰をお返ししたのだけど。それにもまたまた長崎弁訳をつけました。








写真を添付しましたので、1月1日からタイムスタンプを変更しました。

西宮秋怨 王昌齢

2006年11月24日 13時48分31秒 |  漢詩を長崎弁で
秋扇の涙の数だけ
  月の影
    風車




芙蓉不及美人粧 
水殿風来珠翠香
却恨含情掩秋扇 
空懸明月待君主
  王昌齢 
  西宮秋怨

漢の成帝の寵妃であった班婕が寵を失い長信宮に移ってからのやるせない思いを王昌齢が詩にしたもの(「西宮春怨」という春の歌や長信秋詞というものもある)また唐詩選には彼女のことを歌った詩に、王維の「班婕」や崔国輔の「長信草」なども収められている。秋扇を掩いとは班婕自身がわが身を嘆いた詩(怨歌行)に秋になって不要になった扇を自らが隠すという風に使っている。ここでの芙蓉は蓮の花のことだそうです。

芙蓉も及ばず 美人の粧い
水殿 風来って 珠翠香ばし
却って怨む 情を含んで秋扇を掩い
空しく明月を懸けて 君王の待ちしを


蓮の花だって着飾った彼女の美しさには適わない
水上のこの宮に風が入ってきて、簪に花の香りを載せる
胸の想いを押し沈めながら、秋の扇を隠し
名月に徒に君の御幸を待つ我が身を照らす
              (風車)


実はこの歌にはすでに春の宮というお琴の曲がある。
その五と六歌

池の芙蓉も及びなき 人の袂に吹き渡る
風の薫りはなかなかに 花よりもなほ香ばしき

君が情を忘られぬ 捨てぬ扇の秋も更け
傾く月の夜もすがら 行幸(みゆき)を待つぞはかなき



今回僕ちゃん、ずいぶんと親切ね。なんせ天才だ~~~って騒いでも誰も何も言ってくれないんだもん。
もう止めようかとも思うんだけど、お風呂に唐詩選を持って入っていると、次から次へとでてきちゃうんだよね。

天才だ~~ 
もう自分で誉めるしかないもんね。


蓮の花だって負けて逃げてしまうような美人さん
風が吹いて花の香りを髪飾りに載せる
侘しさを抑えて、秋の扇を隠す
名月が虚しゅうその身を照らしちょるよ

照鏡見白髪  張九齡

2006年11月22日 23時13分30秒 |  漢詩を長崎弁で
宿昔青雲志
蹉[X]白髮年
誰知明鏡裏
形影自相憐
 x=た 蛇の偏が足
   照鏡見白髪  
張九齡 

       
宿昔 青雲の志
蹉たり 白髮の年
誰か知らん 明鏡の裏
形影 自ら相ひ憐まんとは
     「鏡に照らして白髪を見る」 

青雲の志に満ち溢れていた時は過ぎてしまって
今では白髪の歳になってしまった
自分と鏡に映った影が互いに哀れむようになってしまうなんて
誰が予想しただろう


風車訳

これがあの花の末路か
枯れ尾花

      天才~~!!!
      大統領~!!!
       


いっぱい夢を持ってた若いときはもう過ぎてしもうた
今では白髪いっぱい
鏡を見ながら自分と鏡に映った自分を互いに哀れんだ目で見交わすようになってしまうなんて
昔は思いもせんかったとに

僕ちゃん本物の天才だぁ!  見渭水思秦川  岑參

2006年11月21日 22時04分57秒 |  漢詩を長崎弁で
秋思で「僕ちゃん天才だった?」って疑問符付きで天才の片鱗をお見せして
汾上驚秋で「天才? 天災? ただの馬鹿?」なんておちゃらけを書いていたけど、
その後は絵葉書写真とか、西洋風水炊きとか、糠漬けとか、ばかばかしいもので爪を隠していた。
でもお風呂に入っていて、ふと確信がもてた。僕ちゃんは疑問符なしの天才だと。

渭水東流去
何時到雍州
憑添兩行涙
寄向故園流
  
  (西過渭州)見渭水思秦川
   岑參
    
渭水東流し去る
何れの時か雍州に至らん
憑(たの)むらくは兩行の涙を添え
寄せて故園に向かって流さんことを

以下風車

渭水は東へ向かって流れている
この水はいつかは長安へと着くだろう
どうか、私の流れる二筋の涙を
長安の家族に届けて欲しい

さてこれからが天才の照明じゃなかった、証明

都へ流れる墨田の水に
紅葉落として返を待つ
   (ちょいなちょいな~)


こん川は田舎まで続いとる
水はいつかわ故郷につくじゃろうね
ここで流した涙も水に乗って
家族の下に届くやろうか

天才? 天災? ただの馬鹿?    汾上驚秋 蘇頲

2006年11月09日 14時38分18秒 |  漢詩を長崎弁で



またやっちゃった。
Mixiのフォトアルバムの説明を加えていて、またやっちゃった。
どうしよう、止まんなくなっちゃったよ。
天才なの? 天災なの? ただの馬鹿なの?




北風吹白雲
万里渡河汾
心緒逢揺落
秋聲不可聞
  汾上驚秋 蘇頲

北風 白雲を吹き
万里 河汾を渡る
心緒 揺落に逢い
秋声 聞く可からず




北風が白い雲を飛ばしているなか
遠くを目指す旅人は、河を渡る
物みな枯れ果てるこの季節
秋の音は聞くに忍びない
      (訳 風車)


行方定めぬ旅人の
心凍らす枯野かな
    風車




北風びゅうびゅうふいとる
旅人は川を渡って旅を続けらす
一面の枯れ野のなかば
秋の声は物悲しすぎるちゃ

秋思 張籍  僕ちゃん天才だった?

2006年11月09日 12時39分08秒 |  漢詩を長崎弁で






Mixiのフォトアルバムのタイトルに西行の詩を一つずつ付けていっていたけど、漢詩も欲しいかなってこの詩を引っ張ってきた。

洛陽城裏見秋風
欲作家書意萬重
復恐怱々説不盡
行人臨発又開封
   秋思 張籍

洛陽城裏秋風を見る
家書を作らんと欲し、心萬重
復た恐る怱々として説いて尽くさざることを
行人発するに臨み又封を開く

以下はいつもの如く風車の訳ね。

都にも秋風が吹くようになって
家に手紙を書こうと思った
書きつくせないことを恐れて
託した旅人の出発前にまた開封して読む

そして;

秋風に心せかれて書く文に
 つくせどつきぬ我が心かな
         

もしかして、僕ちゃん天才だった?
(危うく天災って変換するところだった!)
叙情的過ぎる? いいんです、写真が絵葉書写真だから。
長崎弁のよりもいくらかいいでしょう???
(良いって言ってよね!)


っていいながら長崎弁

町にも秋の風が吹いてきた
田舎に手紙を出そうと思ったとよ
書いても書いても、思いが尽きん
手紙を持って行ってくれる人の出発間際にもう一度開けて読み直したとよ