夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

シンクロニゼーション 再び 引越ししますか?

2005年11月28日 23時11分36秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
11/28/2005 10:09:54


この写真だけでは何の変哲もない普通のシクラメンだけど、これは久米仙人のブログで8月まで咲き続けているシクラメンをどうしたらいいのか、花芽を取って休ませてやったほうがいいのだろうかって騒いでいたシクラメン。
そのままにしておいたら、しばらく休養の後に、またたくさんつぼみをつけてき、花を咲かせ出した。



岬は満足のいく終の棲家なのだけど、仕事で東京に行き来するにはちょっと遠い。特に早かったり、遅い時間まで会議の時には困るので東京の近くに部屋を借りた。

その折に見た家のひとつが庭付きの一戸建てで、もし母親が上京するのなら喜ぶだろうと思い、予算よりちょっと高いその家のことが忘れられなかった。

田舎には年老いた母親が一人で住んでいるので、一緒にすまないかといつも話すのだけど、「この歳で知らない町で住みたくない」との一点張りで、このときは私一人が緊急用にもぐりこめる程度の部屋にして、引越しもやっと終わった。

ところが10日ほど前に弟から、ここ数ヶ月、体の不調などで心細くなったのだろうか、長崎で死んだり、何かあったりするとあなたたちが困るからということで、東京に来たいというような気持ちになってきているようだと話が持ち込まれた。
弟は8月に大きな手術をしたりして、母が上京しても十分なことはできないという。

ところがそのときに、前に見た庭付きの家の大家さんから、もしよければぜひ入って欲しいという連絡が来ていた。もし値段が問題なら家賃を下げるとまで言われている。
間に立った友人の話では、このうちは大家さんの実家みたいなところで、皆が子供時代を過ごした思い出の場所、家は相応に古びているけど、庭はとても素晴らしい。植木のことをあれこれ話す私を見て、この人に庭をちゃんと管理して欲しいという気持ちになったらしいとの話。

せっかく引っ越したばかりだし、こちらは東京と岬の間で、地の利もいい。その他いくつか好ましい点もあり、とにかく安い。母親がぜひというのなら、何とかしなければならないけどと思いながら、母親の本音を聞きに田舎へ帰った。

親が子供のために、子供に負担をかけないために、自分を犠牲にするのは美しいし、自分も親なので理解できる気持ち。でも子供にだって親のためにたとえ自分を犠牲にしてもできることをしたいと思う気持ちもあるのだから、本音を聞いて、その上で何ができるかを考えようとしたのだけど。
(久米仙人のブログは恋人同士の間での自己犠牲についてよく書いているけど、これは親子でも同じね。)

本当は私に田舎に帰って欲しいと思っているのだろうけど、これはちょっと難しいことを知っていて、私に遠慮しているのだろうと思うし、母に東京に来てもらうことは次善の策なのだけど、今私ができることはそこまで。
母もそれを口にしながらも、本心は別なところにあるので、なんとなくぐずぐずしている。

上京しますって、はっきりと決断されれば、何が何でもそのために努力しなければと思う。でも上京しようかどうか迷われては、自分の生活の枠を超えた手配したりするのは億劫というのがこちらの本音。


7,8月に咲いていたシクラメンを見ていたときも、家探しをしていた。
11月に咲き始めた同じシクラメンの株、また家探し、引越しで揺れている。
花や木が好きな母親の気持ちがこちらに来ているのではというような、そんな気持ちにさせられている。