夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

シンクロニゼーション スイスの作曲家のケース

2006年07月31日 11時44分53秒 | 芸術・文化





]関係がものすごく複雑怪奇です。
頭の体操にどうぞ。

昨日Mixiのほうの知人からメールが来た。
オランダにいるダンサーが帰国して彼女のうちに2,3日泊まるのでパーティをしたいから出てきたらというもの。
彼女のお父さんが寂しがっているので連絡してやって欲しいとも書いてあった。
先日Mixiのほうには岬からの秋の便りとして、栗の実の写真をアップしたのだけど、そのときに一昨年彼が栗を拾いに訪ねてきたことを思い出していたばかり。
今朝彼女に返事をして、ふと見ると別なメールが来ている。

これはオランダのグローニンゲンに住んで活動しているスイス人の作曲家からで(Cという名前にしておきましょう)、アメリカで活動して、結構注目されていた日本人のダンサーとコラボレーションなどをやっていた人。
日本でアーティストインレジデンスの可能性を聞いてきて、一昨年の暮れくらいからメールのやり取りをやっていたのだけど、一度「ユニーク」という言葉を使ったために、Cとのメールが爆発的に増えてしまった。(このことは以前のブログに書いていたので、下にコピーしておきます)
助成金がついたので、今年の11月ころに3週間ほど下調べに来たいからとまるところを紹介して欲しいし、滞在中のヘルプを頼んできた。

最初のメールの彼女は弟の出た音大でフルートを勉強した人で、私の笛の先生の大、大後輩にあたる。
オランダで舞台の演出などをやりたいというので、私の友人(Bにします)でやはりグローニンゲンの劇場を起点にしてヨーロッパのいろんなところでダンスをやっているのに紹介した。このダンサーのBはもともとバレエから、ダンス、そして今はコレオグラフをやっているアーティストで、武満賞の審査員長もやったオランダの音楽家のイメージPRのダンスを振り付け、踊り、それをビデオに作ったり、今年もイギリスの大学で教えたりしていた。

日本の彼女は昨日のメールではオランダ留学は取りやめたみたい。でも音楽家としての素養があって、今は演出、企画などに興味があるのであれば、Cを手伝ってくれればいろいろ勉強になることがあるだろうと、手伝ってくれるって聞いたら、即OKの返事。

おまけにCに紹介しようとしている滞在先も、実は彼女の家。彼女のお父さんに連絡を取ったらこれも即OKで、今すぐにCが知りたいことはメールを受け取る前にすでにOKになってしまったような按配。

ただ、アーティスト・イン・レジデンスの紹介はちょっと困っている。
もともと私は70年のあたまから現代美術の企画をやってきて年間に30-40の企画を実現してきた。そしてそれが80年前後にレジデンス企画へと興味の対象を移し、レジデンスという形そのものをPRしていくことをやってきた。私のやった佐渡でのレジデンスは、その意味では日本で始めてのレジデンスだと自分では自負しているけど、その後も場所を熊本の三角とか、秋田の角館、岩手の山田、愛知の島とさまざまに移し、地元の人にこのような発表形態があり、地元の活性化、現代アートの啓蒙にはこちらのほうがベターだというような活動をしてきたのだけど、昨年日本のレジデンスのキュレーターやキーパーソンたちをオランダのレジデンスに招待して、彼らの考え方、行動に、完全に嫌気がさしてしまい決別の言葉を投げてしまっている。
だからいまさら彼らの助けを借りたくないし。私は後ろに隠れて、Cをプッシュしていくしかないのだろうと思っているけど。

Cはビデオアーティストを連れてきたいといっているけど、このホストファミリーになる人はもともと映画出身の音響技術者で、夫人はお琴の出身で今はギャラリーのオーナー。Cとその友人が滞在するにはベストな環境なんだろうと思う。
またアメリカで活躍していたダンサーという人の情報を得るために問い合わせたダンスの企画をやっている友人は、「あっ、彼女はすごくいいダンサーで、私も何度か企画をしたわ」ってことで、これも赤い糸がつながった。

変な言い方だけど、うまくいく企画、願いというのは最初から、すでにすべてが準備済みみたいな感じがするときがある。
よく例にとるのだけど、あるときに、展覧会をもう一つどうしてもまわしたいということで泣きつかれたことがあった。時期的に切羽詰っていて難しいと思ったけど、たまたま電話をしていたところに、「ところで今泣きつかれている企画があるのだけど」って話したら、相手はちょうどその時期の企画がキャンセルになって、穴埋めを探していたからって、即OKの返事が来た。

Cの企画もなんとなく最初からイケイケになっている。
このような偶然って、本当に面白いと思う。


日本も捨てたものじゃないかも 今井友輝君お帰りなさい

2006年07月31日 08時59分44秒 |  これがまあつひのすみかか我が日本





今日のテレビで今井友輝君が心臓移植手術を終え、日本の自宅に帰ってきたことを伝えていた。
友輝君のことは手術費用をカンパするキャンペーンのときに以前のブログ(5年11月)とそのまえのブログで書かせてもらった。

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千葉から岬町へ行く途中に茂原という町がある。
この町に住む今井友輝君という6歳の少年が心臓に欠陥があり、心臓を移植しなければならないことが判った。
日本では子供に対する臓器移植が認められていないので、アメリカに行って手術を受けるしかないのだけど、8000万円という個人では到底無理な金額が必要になる。
両親がやっとの思いで2000万円を工面したが、6000万円が不足している。
そこで千葉や茂原の人々が立ち上がり、その手術費を集めていた。
このことは久米仙人氏のブログでも紹介されていたけど、支援者によるカンパが8400万も集まり、友輝君は3日にアメリカに旅立った。
友輝君にとっては、これからドナーを見つけ、手術をすることになり、その第一歩を踏み出しただけ。術後のこともあり、まだまだ大変なことを乗り越えていかなければならないのだけど、でもみんなの力でその一歩が踏み出せたという段階。でもよかった。

自分のことだけで精一杯という今の世間の風潮の中で、こんなにも短い時間に彼を救うためにたくさんの人が立ち上がり、援助も当初の目標であった6000万以上が集まるということは、世間もまんざら捨てたもんじゃないと、ちょっと嬉しくなるニュースではあった。
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このすぐ後に、また別な子供が二人ほど外国へ移植手術を受けに旅立ったと記憶している。一人は1億2000万というお金を数ヶ月の間にネットなどのキャンペーンで集めている。(確か残念なことに一人は術後、死亡したと思う)

子供への移植手術が日本では禁止されているということは、それがさまざまな問題を引き起こすことも考えられるためなのだろうが、他に生きる可能性のない子供たち、そしてその親の立場に立ってもっと考えて欲しいと思う。

法的な部門の整備は早急な問題としても、このような事件が起こると、差し伸べられる手が思いもかけず多いことを知ると本当に日本もまだ捨てたものじゃないと嬉しくなる。
一人一人の手助け(私の寄付なんて、恥ずかしい限りだし、ブログでの紹介もどれだけ役に立ったのかはわからないけど)は限られているし、小さなものかもしれないが、逆にだからこそ、それが今のネット社会、メディアの発達が持っている、善意を集約できるという可能性はものすごく大きな力になると思う。

技術的な可能性が広がっていることも必要だけど、たくさんの善意の人々が存在するということは必須な条件。この他人のことなどどうでもいいというような社会にあっても、まだこのように善意にあふれた人々がたくさん存在しているということがこの上のいくつかのケースで証明されているのが嬉しい。