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この前の日記「秋空につぶてのごとき一羽かな」で久女の句を紹介しましたら、コメントを頂きました。その中で真砂女にも言及されておりました。
ふんふん、真砂女は実はいすみ市からそれほど遠くない鴨川で生まれて、育ったのですよね。最初の旦那さんが失踪し、お姉さんが亡くなったので、お姉さんの後をついで、お姉さんの旦那さんと結婚させられ、鴨川の旅館の女将に。でもそれが嫌さに、泊り客の海軍士官さんのところへ逃げていくのですけど、それがまた私の実家の隣町、大村市だったんですよ。仕官さんは戦地へ、で、彼女は元の鴨川に戻って、女将を続けるのですけど、結局、離婚。銀座でバーを開くのです。このバーの名前が「卯波」
この名前の下になったのが、タイトルに挙げた句なんです。
あるときは船より高き卯浪かな
人生の浮き沈みは波よりも高い、、、
でも、波も結構高かったりして。
仕官さんのときも、相手も自分も結婚している身、不倫でした。この銀座時代にも妻のある男性との不倫。そして相手は亡くなります。
かくれ喪にあやめは花を落としけり
「句のある自伝」には「お寺の門の表の暗がりに佇ってひそかに一人で通夜をし、葬儀の焼香は彼の友人が夫人の了解を得てお別れが出来た」とあります。
今生のいまが倖せ衣被
これはなくなる10年以上前の句ですが、多くの悲しみ、苦しみ、波乱万丈の一生を経て、なおかつ晩年をそのような気持ちで送れるというのは、幸福な人だったのでしょうね。
6年前に96歳で亡くなりました。
丹羽文雄の「天衣無縫」や瀬戸内寂聴の「いよよ華やぐ」のモデルになった人でもあります。
衣被・・偶然昨年の冬京都のお寺さんで若いお嬢さんが
其の格好で歩かれていて
後ろから付き人が・・・
びっくりしながら興味深く見ていました。
ちょっとした絵巻でした。
自分に正直って事は・・時には他人おも・・・と
思いながら
女の強さと苦労思います。
サトイモのことじゃありませんよね、、、、、
でも、里芋を剥きながら、スカーフの衣被を思い出されるって、、、、
すごいですよ。
すごい博識。
私なんか今日、栗の渋皮を剥きながら、食べることしか考えていなかったのですよ。
おまけにいつになったら、今生の今が幸せなんてのたまえるのでしょうか、、、、、
ぐすん、ぐすん