小竹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども
我は妹思ふ別れ来ぬれば
万葉集2-133
柿本人麻呂
この詩は新古今集にも少しばかり手直しして載せられています。
ささの葉はみ山もそよに乱るなり
われは妹思ふ別れ来ぬれば
笹の葉が山全体を乱すようにざわついている
私は妻のことを思っている 別れてきたのだから
万葉集の方は、人麻呂が石見の国から妻と別れて上京する際に詠んだという長い長歌があって、その反歌として載せられています。
長歌(二首)、反歌(それぞれ二首づつが載っています)ともにとてもよく知られていて、またこれらの詩を元とする詩もたくさん作られています。
こちらではその一つだけをご紹介しておきましょう。
君こずはひとりやねなん笹の葉の
み山もそよにさやぐ霜夜を
藤原清輔
新古今集
以前にも書いたと思いますけど、たとえばオカメザサは小さな竹なのに、メダケは大きな笹なのですね。笹とか、竹とかっていうのは難しいです。
ここで特に、小竹と断っているのは、今で言う笹のことなのでしょうか。
その笹も、笹であるのか、クマザサと呼ばれているものなのか。
おまけに今、普通にクマザサと呼ばれているものはスズタケやミヤコザサだったりして、植物学的にクマザサと呼ばれているものとはちょっと違うような気がするのですよね。
ところでIMEで変換させると、クマザサ⇒熊笹って変換しますけど、正式には隈笹が正しいのだそうです。
そして、おまけにもう一つ。
ささの葉に はだれ降りおほひ消なばかも 忘れむといへば 益して思ほゆ
万葉集 10-2337
笹の葉に積もった雪が消えてしまうように (私のことなんか)すぐに忘れてしまうのでしょうね、、、なんていわれると余計に愛しくなる
けっ、勝手にしてくれ、この色男って感じでございますよ。
まあ、可愛い女の子にちょっと拗ねられたりすると、男って、、、、なのだそうです。
君子危ふきに近寄らず。
なんせ、こちとらは生まれてこの方 ずっと仙人修行中の身でございますからして、、、免疫もないし、、、、しくしく
このような甘い経験なぞ、あるはずもないのでございますよ。
ねぇ、行ってはいけませんって場所には行って見たいじゃありませんか。
(以前に書いてませんでしたっけ、ホテルのコンセルジュが、「お客様、このような場所は大変危のうございますので、行かれないほうが」ってそっと手渡される地図なぞが貴重であるぞよって)
私、私はそんな経験は、、、、、、少なくとも、、、公式的には、、、ないことになっております。はい。
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