この時期一番目立つ花。
庭には紫陽花と畔には露草。
でも、この両者、一つの共通点がありますね。
それは移ろう心。
紫陽花は花色を変えて行きますね。だから移ろう心、浮気な心。
露草はもともとは着草(つきくさ)で着物を染めるために使われた草だからそう呼ばれたのだそうです。露草の染料は色が失せやすいのでそれを心が移ろうとしたのですね。
この露草、今は外来種のトキワツユクサに押されっぱなしで随分と領地を侵食されてしまっています。がんばんなきゃ。ですね。
鴨頭草(つきくさ)に衣色どり摺らめども
移ろう色といふが苦しき
万葉集 7-1339
露草で衣を染めようと思うけど、変わりやすい色というのが苦しい。
つまり、「あの人を受け入れようと思うけど、浮気な人っていうのが心配」ってことですね。
こちらはもっと苦しい。
鴨頭草に衣は摺らむ朝露に
ぬれての後には移ろひぬとも
万葉集 7-1351
露草で衣を染めましょう。朝露で濡れたら後は色が変わってしまっても。
「あの人を受け入れよう。たとえ浮気して棄てられようとも」ってことですね
この詩は、古今集の
月草に衣はすらむあさ露に
ぬれてののちはうつろひぬとも
古今集 4-247
の元になった詩です。
ちなみに日本の古来の色の名前のハナダ色というのは露草で染めた色のことを言うのだそうです。(上のリンクは色が出ていますけど、こちらの方が説明としては分かりやすいかな)
子供のころはこの露草があちこち一杯で、気にも留めていませんでしたが、常盤露草が蔓延りだしたら、だんだん侵食されているようで気になってきました。いずれは露草も、うつろってしまうのでしょうか。
露草が移ろいやすいという意味があるというのを知っていれば、上に挙げた二つの詩はすぐにわかるのですけど、以前、加賀の千代女の「とんぼ釣り」の詩をご紹介して、あれは表面だけ見れば、のどかな母親らしい詩に見えるけど、実は、亡くした子供のことを思って書かれたものだと知っているととても悲しい詩なのだって書いていましたが、それへ頂いたコメントとして、どこまで内情を知っていなければならないのだろうというものがありました。
これは私のような仕事をしてきた人間にはとても大変なことなのですね。
カテゴリーの文化芸術をクリックして、その方面の日記をご覧になると何度かこのことを書いておりましたが、例えばある作家の展覧会を企画するとしたら、その作家のことを勉強しなければなりません。現存している作家なら会って、何度も話し合いその人の人生とか人となりとか芸術観をある程度理解してなければ企画を上げられない。
でも、そうすることによって、自分の判断の目が普通の人の判断の目とは違うものになってしまう。
このバランスを取ること、あるいは知っていても、白紙の目でそれを見るということ、かなり大変なことなのです。
本来私の撮る花は野草ってことになっているのですけど、最近は外に出るのが億劫なので、園芸種の花が多くなってきています。
でも、ベランダにも先日のゴーヤみたいに観賞用でない植物の花が咲いていますし、なかなか捨てがたいですね。
なんだか優しいし、ほっとする。
あの青い色にはいつも惹かれますね
昼にはしぼんでしまっていますので。
起こしてくださいませ
4時に起きて、、、眠いでございます
それではお休みなさい。