◆約束
強打を誇るボクサーのことをハードパンチャーと呼ぶ。
ハードパンチはボクサーの誇りであり、これをファンは色んな表現で例える。
戦前の有名なボクサー「ピストン堀口」はピストンのように休まず繰り出すパンチで知られたが、ピストンには強打のイメージはない。
強打のイメージはダイナマイト・パンチ、必殺パンチ等いろいろあるが、戦後のボクシング界に登場したハードパンチャーには固有の強打のニックネームがついた。
青木勝利の「メガトンパンチ」、海老原博幸の「カミソリ・パンチ」、藤猛の「ハンマー・パンチ」等いずれも強打の「必殺パンチ」を誇っていた。
普通ボクサーが誇るハードパンチにつけられた「必殺パンチ」、や「殺人パンチ」の呼称はあくまでも例えでありボクサー本人にとっては栄誉でこそあれ忌み嫌うべきものではない。
人間がもつ最も原始的な闘争本能を、拳というシンプルな手段で、本気でぶっつけ合うところに観客は感動を覚える。
大衆はそのシンプルな本能のぶつかり合い故にボクシングを支持するのだ。
だが、リング上で繰り出した「必殺パンチ」が文字通り相手を死に至らしめる場合がある。
「殺人パンチ」でトラウマに悩み、一時はボクシングの断念も考えたハードパンチャーがいた。
その男のパンチをその男のトレーナーは強さゆえ固いパンチ、「岩盤パンチ」と呼んだ。
*
8月9日の午後1時過ぎ、鳥取市の第二いなば墓苑で、元日本スーパーフライ級王者・田中聖二さんが眠る墓に黙祷する数人の男がいた。
その男は墓前に花束と線香を供え、そしてその日の墓参の主目的であったWBC世界スーパーフライ級のチャンピオンベルトを墓前に供えた。
数分間じっと手を合わせたその男は「世界戦で力を全部出した。その結果、きれいなチャンピオンベルトを墓前に飾ることができてよかった」と墓前に報告、「常にベストを尽くす」と誓った。
この男の名は名城信男、現役のボクシングWBCスーパーフライ級世界王者である。
名城は4ヶ月前の4月15日、田中聖二さんの一周忌にもこの墓をお参りしていた。
「初防衛戦も必死にやって、またベルトを持って来たい」。
名城は最後にもう一度墓前に誓った。
*
http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20060810-73357.html。
ローカルニュース 8月10日の紙面から
田中聖ニさんの墓前にベルト 名城選手、勝利報告
対戦後に亡くなった田中聖二さんの墓にチャンピオンベルトを持参し、勝利報告をするWBAスーパーフライ級王者の名城信男選手=9日午後、鳥取市
「きれいなベルトを持ってこれてよかった」-。世界ボクシング協会(WBA)スーパーフライ級王者の名城信男さん(24)=奈良市出身=が九日、鳥取市八坂の霊園を訪れ、自分と対戦後に亡くなった故・田中聖二さん=当時(28)=の墓前に光輝くチャンピオンベルトを供えて王座獲得の報告をした。名城さんは墓参を一つの区切りに、「強くなれるところまで強くなりたい」と、ボクシング人生の新たな一歩を踏み出す。
名城さんは昨年四月、鳥取市出身で日本チャンピオンだった田中さんと対戦。田中さんを破り、新王者に就いた。しかし、田中さんは試合後に帰らぬ人に。ショックでボクシングから遠ざかった時期もあったが、復帰後の今年七月、無敗で世界王者まで登り詰めた。
名城さんはこの日、ジムの会長らと来鳥。田中さんの墓前に花や線香をたむけた後、ベルトを静かに置いて無言で手を合わせて黙とう。「いろいろなことが頭に浮かんだ」という。
墓参は、世界戦を前に一周忌で来たのに続き四度目。「勝負は勝つか負けるか分からない。でも次もベストを尽くした試合をしてここに来たい」-。防衛戦でも全力で戦うことを誓った。
◆時間を1年四ヶ月前の2005年4月3日に巻き戻そう。
場所は大阪市IMPホールで、ボクシング日本スーパーフライ級タイトルマッチが行われていた。
タイトル保持者は中聖二選手(28)=金沢ジム=で、鳥取市出身ボクサータイプ。
昨年11月に日本同級王座を獲得し、今回が初防衛戦で戦績は26戦16勝(4KO)7敗3分け。
王者田中のボクシングスタイルは、相手の踏み込みにあわせてジャブ、右アッパー、左クロスといった多彩なパンチを叩き込む技巧派サウスポー。
相手のパンチを空回りさせるディフェンステクニックが持ち味でその技術で元世界王者ジェリー・ペニャロサも苦しめた。
'97年7月プロデビュー。'02年8月元世界王者ジェリー・ペニャロサと対戦8R出血TKOで敗れるも善戦。
'04年5月現役世界ランカーホバン・ホルダ(フィリピン)に判定勝ちし世界ランク入りしている。
'04年11月27日WBCスーパーフライ級13位の田中は日本同級王者有永政幸(大橋)に挑んだ。
川嶋vs徳山の代理戦争とも言われたこの試合は田中が右ジャブとディフェンス技術でペースを掌握して、有永の強打を最後まで空転させ3-0の判定で勝利した。
そして日本王座を獲得した。
一方挑戦者の名城信男は、「一撃必殺」の堅い左右パンチを思い切りよく振って、対戦相手を追い込む右ファイター。
強打を振ると体が流れてしまうなど決してバランスはよくないが、その流れた体勢から再びパンチを放つことができる天性の下半身のバネを持つ。
すべてのパンチを強振するため、カウンターを食う危険性も高いが、その潔いファイトはファンの共感を得ていた。
キャリアで勝る田中のディフェンステクニックとプロ6戦目ながら「必殺パンチ」が魅力の名城の攻撃力が見所だった。
試合は前半から名城が攻めた。
序盤は王者のディフェンステクニックに攻めあぐんだ名城だが、持ち前の強打で徐々に田中を追い込み上下の打ち分けなどで終始田中のテクニックを圧倒した。
ラウンドが進むにつれ、攻撃力で上回る名城が終始圧倒。
運命の10ラウンドのゴングがなった。
名城が左右の強打を決め田中をロープ際に追い詰めたところで田中の立っているバランスがおかしくなってきた。
そこでレフリーが試合を止めて名城の10ラウンドTKO勝ちとなった。
田中は初防衛に失敗。戦績は名城が6勝(4KO)、田中が16勝(4KO)7敗3分け。
ここまではボクシングの試合で良くある光景であった。
悲劇は試合終了後に起こった。
田中は控室で嘔吐(おうと)するなど症状が悪化し、意識不明の重態に陥ったのだ。
大阪市の国立病院機構大阪医療センター病院に運ばれ、開頭して血を抜く手術を受けたが、
試合の12日後の15日午後8時43分、前日本スーパーフライ級王者田中聖二は帰らぬ人となった。
死亡した田中聖二は名城の親友だった。
お互いにスパー相手となり、後に「岩盤パンチ」とトレーナーに呼ばした右のストレートも田中のスパーで磨きをかけた。
名城は親友、いや拳友とも言うべき田中を皮肉にも自分の拳で死に至らしめたのだ。
ショックでトラウマに悩んだ。
家に引き篭り真剣に引退を考えた。
相手にパンチを当てるのが怖かった。
戦いを恐れる日本チャンピオンは生きる屍だ。
戦意喪失ではもはや日本タイトル防衛は不可能と考えて、その前にタイトル返上して引退したほうがましだと考えた。
だが、田中の家族からの励ましの言葉が名城の気持ちを変えた。
「聖二から受け継いだ日本タイトルを出来るだけ長く防衛してください。そして聖二の代りに世界タイトルを取ってください。 それが聖二への一番の供養です。 引退はいけません」。
名城の五体に力が甦った。
≪そうだ。 引き継いだ日本タイトルを防衛する。 これが一番の供養なのだ。 そしてもう一つ。 君が果たせなかった世界王者のタイトル奪取だ≫
≪約束しよう。 世界王者のベルトをきっと墓前に供えることを≫
日本タイトル初防衛の相手はWBA4位の世界ランカープロスバー松浦(国際)と決まった。
そしてその勝者はWBA世界スーパーフライ級王者カステーリョへの挑戦権獲得が決定した。
(続く)