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昨日の夕刊で琉球新報は「米憲兵タクシー関与事件」から撤退し、今朝の朝刊にも一行もこのフォロー記事は無い。
一方沖縄タイムスは、昨日の夕刊で果敢にも「特ダネ」に食い下がった。
逃走車両 憲兵所有か (爆笑)
この見出し、いかにも「東スポ風」で、今後の展開が楽しみだ。
ところで今朝のテーマは「靖国」。
連日沖縄タイムスはネタを提供してくれる。
沖縄タイムス 社説(2008年4月6日朝刊)
4月 6日 【「靖国」上映】試される社会の成熟度
日本在住の中国人監督・李纓(リ・イン)氏のドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映を中止する動きは、言論・表現の自由が私たちの社会には十分に定着していないのではないか、との懸念を感じさせる。
映画は、八月十五日に靖国神社で繰り広げられる様子を十年間にわたって記録したものだ。
もし国会議員向けに開かれた試写会を「無言の圧力」と感じて中止したのだとしたら、行き過ぎた自主規制というしかない。
試写会のきっかけをつくった自民党の稲田朋美衆院議員は、当初、「反日映画になっているようだ」としていた。が、その後「上映をやめさせようと考えたことはない」と主張を変えている。
言うまでもないが、表現の自由は民主主義社会の根幹を成す。意見の違いを大切にし尊重し合うのは民主社会を計る尺度でもある。
「わたしは、お前のいうことに反対だ。だが、お前がそれを言う権利を、わたしは、命にかけて守る」―フランスの啓蒙思想家、ヴォルテールの言葉だが、自由に意見を言い合える社会でなくなれば、戦前の暗い社会に逆戻りし息苦しくなるのは論をまたない。
何よりも映画は表現の自由を担う大きな分野だ。目に見えぬ「影」に脅え、自主規制したとしたら、言論の自由はまさに危機的状況にあるとみなければならない。
映画の評価は見る人が判断するものだ。事前に見る機会を閉ざせば、映画館は社会的役割を放棄したといわれかねない。映画館には踏ん張ってもらい、私たちもまた声を上げ上映を支えていきたい。
五月以降、北海道から沖縄まで二十一の映画館が五月以降に上映を計画しているという。
今回の騒ぎが、逆に上映に向けてベクトルを転換したのであれば評価したい。
多様な意見があってこそ健全な社会であり、自由に表現できるのが民主的な社会といえるからだ。
映画を見るにあたっては、まず予断を持たず、実際に自分の目で確かめた上できちんと判断すべきだろう。大方の意見もそうであり、自らの思想的尺度をいったん脇に置いて映画を見る。私たちに求められているのはそのことである。
不気味な「影」を過大に評価し、無難に自主規制してしまうと、自由社会とは裏腹に自らの首を絞めることになりかねない。
そんな空気が日本社会を覆ってしまわないようにすることが、一人一人の責務と考えたい。
上映中止は、日教組の「教育研究全国集会」が東京都内のホテルによって契約破棄され、全体集会が中止になったこととも軌を一にする。
憲法二一条は集会、結社及び言論、出版を含めた表現の自由を保障している。「表現の自由は、とりわけ批判の自由ないし反対の自由として、重要な意味を持つ」(宮沢俊義『憲法講話』)。
権力にものが言えなくなる社会を再びつくってはならない。そのためには私たち一人一人が不断に努力し、言論の自由を脅かす芽が出たらそれを摘み取る社会を築くことが大切だ。
◇
見ていない映画についてコメントするのは難しい。
従ってこの問題、つまり「『靖国』上映中止」についてはスルーするつもりだった。
が、チベットの人権問題にはやけにおとなしい沖縄タイムスが「言論・表現の自由」というお定まりの論旨の社説で参戦。
さらに日曜日のTBSの「サンデーモーニング」。
普段はあまり見ないのだが、見るとなく見ていたらコメンテーターの面々は揃って「言論の自由」を大上段に判で押したようなコメント。
特に浅井信雄氏は番組に媚びるような左翼発言を連発していた。
ついでに言うとこの人物1998年に神戸市外国語大学を定年になるや左翼の巣窟・沖縄大学に潜り込み、そこで教授の肩書を確保したエセ学者。
左翼・親中派の立場での発言を行ってTBSに媚を売る発言は同じコメンテーターの浅井慎平も同じ穴の狢だろう。
番組は両・浅井氏の左翼コメントに加えて、食い詰めた「右翼くずれ」に実家を放火された加藤紘一や暴力団に殺された長崎市長までVTRで登場させ「言論を弾圧も危険な兆候」とご高説を垂れる始末。
これは明らかな意図的論点のすり替えである。
当日記としてもスルーするわけにはいかない。
降りかかる火の粉は払っておかなきゃ。(笑)
この問題の論点は「言論弾圧」でもなければ「表現の自由の弾圧」といった大それた問題でもない。
そもそも「言論弾圧」なんてものは弾圧すべき権力がなければ弾圧しようにもできるものではなく、今回の映画館の上映中止をした映画館に言論を弾圧する権力などあるはずもない。
>上映中止は、日教組の「教育研究全国集会」が東京都内のホテルによって契約破棄され、全体集会が中止になったこととも軌を一にする。
ホテルも映画館も自社のの営業に最適との自主判断で日教組を断り、上映を断ったのであり、どこぞの命令や強制で断ったのではない。
憲法は表現の自由を保証する一方、自主判断で断る営業の自由も保証しているはずだ。
靖国問題は日本人の心、宗教にかかわる問題だ。
仮にも他国・他宗派の人間が他の宗教を侮辱すれば世界中の批判を浴びることはイスラム教の例でも明白だろう。
テレビのコメンテーターたちが揃って紋切り型の「言論弾圧発言」を垂れ流す中で漫画家の黒鉄ヒロシ氏が自分は「靖国」を観たと前置きして正論を吐いていた。(日曜日だったが番組名は失念。 他にテリー伊藤がコメンテーターとして出演していた)
以下その発言の要旨。
「外国人が日本の映画を作るとき、日本人が観ると違和感を覚えることがある。 『靖国』は中国人が作っておりドキュメント風な構成になっているが明らかに中国人作者の靖国観がちりばめられており日本人としては違和感を感じる」。
「映画「靖国」に文化庁系独法が750万円助成しているのだから、このままドキュメント映画として外国で放映されたら誤解の元になる」。
突然ですが沖縄大学さん。
浅井信雄のようなエセ学者の苔むした授業より黒鉄ヒロシの講義の法が有意義だと思いますがね。(もっとも黒鉄氏はエセ学者ほど暇はないはずだが)
この問題は「言論の自由云々」ではなく次の三点に要約される。
①日本人の宗教に関わる微妙な問題を唯物論の中国人が「ドキュメント風」映画を作った。
②文化庁がこれに助成金を出した。
③日本人が観たら違和感を覚える(黒鉄ヒロシ氏談)映画に日本政府のお墨付きがついたと誤解される。(文化庁助成金)
言論の自由の無い唯物論の中国で似たような例を見つけ出すのは困難だが、
もし中国在住の日本人が日中間に問題のある「南京大虐殺館」を批判する映画を作り、中国政府がこれに助成金を出す・・・。
こんなことは想像するだけでもムダか。(笑)
意図的なの無知なのかは知らないが、
沖縄タイムスさん、論点が全く違いますよ。
参考記事:
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