狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

沖縄県知事が「ジュゴンより人間が大事!」

2008-09-06 14:40:55 | 未分類

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物事の交渉で、一方の意見が百%通ることはことはまずない。 

ましてや、それが意見の異なるグループの対立ともなると、どこかで話の落とし所を見つけないと、永遠に交わることのない不毛な議論となる。

沖縄の日本復帰だって、一部の論者の主張した「基地全面撤去での返還」を譲らなかったら、復帰が実現していたかどうか。

住宅密集地域に隣接する「米軍基地」が危険なら、一刻も早く自分が移転すべきだが。

基地の方で移転するという。

諸手を挙げて賛成するのがのが普通の人の考えること。

出来れば人間の住まない南極(人間住んでいる?)にでも移設すればよいだろう。が、現実的ではない。

より基地公害の少ないという考えが普通の考えの人だろう。

だが、普通でない人が大騒ぎするのが沖縄の基地外、いやプロ市民と基地外議員。

沖縄県知事も、移設先の名護市長も、

辺野古移設に賛成なのに、

危険が一杯のはずの宜野湾市と県議会が反対だという。

 

知事、県内が「現実的」 「普天間」新基地反対決議に反論 2008年9月5日

6月県議会の新基地反対決議に対し「わたしの姿勢が十分理解されていない」と語る仲井真弘多知事=5日、県庁

 仲井真弘多知事は5日午前、定例記者会見で普天間飛行場移設について県民に理解を得るため「県の考え方」をまとめ、公表した。県議会6月定例会で可決された「名護市辺野古への新基地建設反対決議」について知事の姿勢が十分理解されていないと反論した。普天間飛行場の県外・国外移転は「検討の積み重ねを振り出しに戻すようなもの」と指摘した。知事は、県内移設を「現実的シナリオ」と推進の立場をあらためて繰り返した。
 年明けに予定する訪米要請では、従来の沖合移動要求を取り上げない考えを示し、二度訪米することも検討していることを明らかにした。
 会見で「野党の議員だけで移設反対という趣旨の決議をされたこともあり、それに対する私の考え方をまとめた」と説明し、県議会決議に反論。この時期にまとめたことについては、「9月県議会が始まるのでその前にまとめておこうということだ」と述べた。「考え方」は県のホームページにも掲載する。
 反対決議に対して会見で「(普天間の移設について)県外、国外を想定しているなら、どう展開していくのかシナリオがまったく示されていない。それでは、今のまま危険性や騒音を含む基地をこれから先も固定化させることになる」と支持できないとの考えを示した。(略)

                 ◇

>普天間飛行場の県外・国外移転は「検討の積み重ねを振り出しに戻すようなもの」と指摘した。

>知事は、県内移設を「現実的シナリオ」と推進の立場をあらためて繰り返した。

>県外、国外を想定しているなら、どう展開していくのかシナリオがまったく示されていない。

>それでは、今のまま危険性や騒音を含む基地をこれから先も固定化させることになる

仲井真県知事は、昨年の「教科書問題」では考えがグラグラ揺れて左翼知事の印象さえ与えたが、ここに来てやっとまともなことを発言するようになった。

言っていることは子供でも分かる理屈なのだが・・・。

でも、反対の反対は賛成でしょうが。

「普天間新基地反対決議」に反対なんていわないで、「普天間新基地に賛成!」といったほうが分かりやすいのでは?

知事は普通の人が考える当たり前の意見を述べたら、当たり前でない考えの新聞が、「目新しさが何もない。従来の答弁の繰り返し」と、早速批判の社説。

当たり前のことには、目新しさも何もないものだよ、新報さん。


移設の「考え方」 釈明や解釈より「解決」を2008年9月6日

 仲井真弘多知事が5日、「普天間飛行場の移設に関する沖縄県の考え方」(A4判5ページ)を公表した。「発信力不足」「発信しない知事」との声もあるだけに、「普天間移設問題に県民が抱く多くの疑問に答え、政府にも県民の意思を示す行動」と期待した。

                   ◇

普天間市民の安全よりジュゴンの命が大事だというプロ市民の皆さん。⇒ジュゴンネットワーク沖縄の主な動き

ジュゴンの数を減らしたのは沖縄人ですよ!

沖縄近海のジュゴンの減少経過は次のように推測されました。

沖縄県のジュゴン Dugong dugon 捕獲統計
http://www.h6.dion.ne.jp/~unisan/data/dugong/dugong1
.html

沖縄でのジュゴンの捕獲は先史時代から続き、近代以前の捕獲数は持続可能なレベルだった。明治21年(1888)の時点でも西表島から奄美大島の範囲に広く分布し観察例も多かった。しかし、八重山諸島では明治20年代末から同40年代始めに(1890-1910年頃)多いときには年間20頭を越える捕獲が続き、個体群は明治末年までに相当程度縮小した。沖縄本島周辺でも各郡に分布していたが、明治35-39年(1902-1906)に年間10頭前後捕獲された後、同43年以降の年間捕獲数は本島南端部で幼獣1頭程度の捕獲に縮小した。宮古諸島での経過の詳細は不明だが、大正2年(1913)を最後に捕獲がなくなった。八重山諸島では同3年(1914)、沖縄本島周辺でも同5年(1916)を最後に捕獲記録は途絶え、沖縄県のジュゴン個体群は、第二次世界大戦を待たず大正時代始め(1910年代中頃)までに各地で僅少となり、ジュゴン漁は廃止された。

当時は沿岸部での大規模開発や大量の定置網の設置はなく、浅海の環境破壊を引き起こした自然災害も知られていないことから、沖縄県のジュゴン個体群の減少要因は、明治27-37年(1894-1904)の11年間に少なくとも170頭、明治27年~大正5年(1894-1916)の23年間に推定で最低300頭前後を捕獲した伝統的漁業によることが大きいと推測される。(名護博物館紀要「あじまぁ」11号掲載(2003))

                    ◇

来週の火曜日、9月9日は、「集団自決訴訟」の第二回控訴審が大阪高等裁判所で行われる。

裁判の前になると、またぞろこのような「場外乱闘」を新聞が報じる。

 

体験者の苦悩描く 「集団自決」題材の...(2008.9.5) カメラ

体験者の苦悩描く 「集団自決」題材の「海の一座」2008年9月5日

「集団自決」を取り上げた「海の一座」の一場面=豊島区の小劇場・てあとるらぽう

 【東京】沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)の悲劇を取り上げた「海の一座」(作・謝名元慶福)の公演が3日から東京都豊島区の小劇場「てあとるらぽう」で始まった。7日まで。
 沖縄の島々を回る旅芸人の玉城朝晶が「集団自決」が起きた島を40年ぶりに訪れ、「集団自決」に直面した自らの戦争体験を娘の晶子と劇団員の鈴木に明かす。劇中劇を織り交ぜながら、戦後を生き延びた玉城の苦悩を描く。
 1984年の文化座による初演にも出演した伊藤勉さん、青田いずみさんが24年ぶりの再演に挑み、落合祐介さんが若い鈴木役を演じた。
 作者の謝名元さんは「若いメンバーが集団自決の背景にある教育や天皇制の問題に取り組み、舞台を作ってくれた。重たいテーマを新しい観客に投げ掛け、共有できることは素晴らしい。作品を書いたわたしもうれしい」と語っていた。

                   ◇

集団自決は沖縄だけの専売ではない。               

南樺太の集団自決を知るものは少ない。      

この人たちは 「軍の命令」と、責任転嫁しない。                       

霧の火:生命線の通信守った交換手 終戦の南樺太、集団自決題材に 25日、日テレ系

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パイプラインを破壊せよ!ロシアの陰謀

2008-09-06 08:28:13 | 県知事選

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沖縄には国道58号線と並列して東西に走る「パイプライン通り」と呼ばれる道路がある。

米軍占領時代を忍ばせる名前だが、復帰後日本風に251号線とされたが、県道251号線といわれても知る人は少なく、地元の人にとってはパイプラインといったほうが分かりやすい。

かつて、その道路を米軍用の石油輸送のパイプラインが走っていたが、当時最小の装備で米軍にダメージを与えようとするテロリストがいたら、真っ先に米軍の動脈ともいえる「パイプライン」を破壊していたただろう。

だが、パイプライン通りは一滴の血も流さず返還され、その通りの片隅に記念碑としてのみその歴史をとどめている。

◆パイプライン通りの「碑」http://gpzagogo.s8.xrea.com/paipline.html

                   *

2006年7月13日、ロシアを通過せずに旧ソ連圏産の石油を輸出することが可能で、グルジア領内も通過するBTCパイプライン開通した。

これで旧ソ連圏の国はロシアの顔色を伺うことなく石油を輸出できる。

パイプラインはロシアを通過しない替わりに 、グルジアを通過するとなると、黒海に港を持つグルジアの重要度が高くなってくる。

今でも旧ソ連圏の盟主を自認するロシアが、これを拱手傍観するはずはない。

ロシアは、「先に手を出したのが悪い」というのなら、「先に手を出させればよい」と考えた。

そしてグルジアがその手に乗った。

ロシアにとって、戦争の目的は当初から決まっていた。

パイプラインを破壊せよ!

                   ◇

 

  • 動画形式を変更する

9月5日 18時33分

南オセチア自治州をめぐるロシアとの武力衝突について、グルジアのサーカシビリ大統領は、ロシア軍は豊富な天然資源が眠るカスピ海からロシアを通らずに石油を国際市場に出す巨大なパイプラインの破壊を狙っていたとして、この地域のエネルギー支配がロシアの目的だったとする見方を明らかにしました。

詳しく

   

グルジアの地図

グルジアは、ロシアにとって旧ソ連圏産(カスピ海産)原油パイプラインの存在等、南の玄関口黒海へ連なる要衝に位置する。

ロシアは、グルジアがソ連からの独立後「脱露、親欧」路線に走る姿勢に警戒感を持ち両国の関係は急速に悪化していたが、今回の「グルジアーロシア戦争」の結果、

8月28日、グルジア議会は政府へロシアとの外交関係を断絶するよう求める決議を全会一致で採択した。

8月29日、バシャゼ外務次官は、ロシアがアブハジア自治共和国と南オセチア自治州の独立を承認したこと対しロシアとの外交関係を断絶すると発表した。

そして事態はこうなった。⇒米国:軍艦がグルジアのポチに停泊 露と緊張増大も(毎日新聞 9月6日朝刊)

                    ◇

時を遡ること63年の1945年2月。

黒海沿いのクリミア半島にあるリゾー地ヤルタで、ルーズベルト(アメリカ)・チャーチル(イギリス)・スターリン(ソ連)による首脳会談が行われた。

その頃太平洋地域では、日本がアメリカと断末魔の戦いを続けていた。

日本は、能天気にも、「日ソ中立条約」を盲信しており、敗戦間際の和睦交渉の仲介国にソ連を念頭においていた。

歴史を鑑とせよというならば、ソ連と交わし条約はいつでも破棄できる紙切れのようなものだと知るべきだった。

日米開戦2年前の1939年8月23日。

ドイツが独ソ相互不可侵条約を締結したことを知って、ドイツと共に反共を国是としていた平沼騏一郎首相は、、衝撃を受け、歴史に残る迷言を遺して総辞職した。

「欧州の天地は複雑怪奇なり」(8月28日)

当時の日本にとっては模範国家であったドイツ帝国がその憎むべき敵である社会主義国ソ連と同盟を結んだ事実は、平沼首相の理解をはるかに超えていたのであろう。

毒素、もとい、独ソという二つの独裁国が紙切れ一枚で仲良くなれるはずもなく、その二国はポーランドを分割したあと、必然的に大祖国戦争にいたる。

日ソの関係でも、日本の敗戦(8月15日)間際の8月9日にソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、満州・樺太・千島列島などに侵攻を開始した。

まさに「火事場泥棒」以下の卑劣な行為と云わざるをえない。

このようなソ連に日米戦の和解交渉を依頼しようとしていた当時の日本の指導者はKYの極みだといわれても仕方ない。

 

米第6艦隊旗艦がポチ入港=人道物資運搬、ロシア牽制狙いか-グルジア

旧ソ連諸国の支持得られず=南オセチアなどの独立承認-ロシア

旧ソ連各国 ロシア賛同至らず
 

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