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物事の交渉で、一方の意見が百%通ることはことはまずない。
ましてや、それが意見の異なるグループの対立ともなると、どこかで話の落とし所を見つけないと、永遠に交わることのない不毛な議論となる。
沖縄の日本復帰だって、一部の論者の主張した「基地全面撤去での返還」を譲らなかったら、復帰が実現していたかどうか。
住宅密集地域に隣接する「米軍基地」が危険なら、一刻も早く自分が移転すべきだが。
基地の方で移転するという。
諸手を挙げて賛成するのがのが普通の人の考えること。
出来れば人間の住まない南極(人間住んでいる?)にでも移設すればよいだろう。が、現実的ではない。
より基地公害の少ないという考えが普通の考えの人だろう。
だが、普通でない人が大騒ぎするのが沖縄の基地外、いやプロ市民と基地外議員。
沖縄県知事も、移設先の名護市長も、
辺野古移設に賛成なのに、
危険が一杯のはずの宜野湾市と県議会が反対だという。
知事、県内が「現実的」 「普天間」新基地反対決議に反論 2008年9月5日
6月県議会の新基地反対決議に対し「わたしの姿勢が十分理解されていない」と語る仲井真弘多知事=5日、県庁
仲井真弘多知事は5日午前、定例記者会見で普天間飛行場移設について県民に理解を得るため「県の考え方」をまとめ、公表した。県議会6月定例会で可決された「名護市辺野古への新基地建設反対決議」について知事の姿勢が十分理解されていないと反論した。普天間飛行場の県外・国外移転は「検討の積み重ねを振り出しに戻すようなもの」と指摘した。知事は、県内移設を「現実的シナリオ」と推進の立場をあらためて繰り返した。
年明けに予定する訪米要請では、従来の沖合移動要求を取り上げない考えを示し、二度訪米することも検討していることを明らかにした。
会見で「野党の議員だけで移設反対という趣旨の決議をされたこともあり、それに対する私の考え方をまとめた」と説明し、県議会決議に反論。この時期にまとめたことについては、「9月県議会が始まるのでその前にまとめておこうということだ」と述べた。「考え方」は県のホームページにも掲載する。
反対決議に対して会見で「(普天間の移設について)県外、国外を想定しているなら、どう展開していくのかシナリオがまったく示されていない。それでは、今のまま危険性や騒音を含む基地をこれから先も固定化させることになる」と支持できないとの考えを示した。(略)
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>普天間飛行場の県外・国外移転は「検討の積み重ねを振り出しに戻すようなもの」と指摘した。
>知事は、県内移設を「現実的シナリオ」と推進の立場をあらためて繰り返した。
>県外、国外を想定しているなら、どう展開していくのかシナリオがまったく示されていない。
>それでは、今のまま危険性や騒音を含む基地をこれから先も固定化させることになる」
仲井真県知事は、昨年の「教科書問題」では考えがグラグラ揺れて左翼知事の印象さえ与えたが、ここに来てやっとまともなことを発言するようになった。
言っていることは子供でも分かる理屈なのだが・・・。
でも、反対の反対は賛成でしょうが。
「普天間新基地反対決議」に反対なんていわないで、「普天間新基地に賛成!」といったほうが分かりやすいのでは?
知事は普通の人が考える当たり前の意見を述べたら、当たり前でない考えの新聞が、「目新しさが何もない。従来の答弁の繰り返し」と、早速批判の社説。
当たり前のことには、目新しさも何もないものだよ、新報さん。
移設の「考え方」 釈明や解釈より「解決」を2008年9月6日
仲井真弘多知事が5日、「普天間飛行場の移設に関する沖縄県の考え方」(A4判5ページ)を公表した。「発信力不足」「発信しない知事」との声もあるだけに、「普天間移設問題に県民が抱く多くの疑問に答え、政府にも県民の意思を示す行動」と期待した。
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普天間市民の安全よりジュゴンの命が大事だというプロ市民の皆さん。⇒ジュゴンネットワーク沖縄の主な動き
ジュゴンの数を減らしたのは沖縄人ですよ!
沖縄近海のジュゴンの減少経過は次のように推測されました。
沖縄県のジュゴン Dugong dugon 捕獲統計
http://www.h6.dion.ne.jp/~unisan/data/dugong/dugong1
.html
沖縄でのジュゴンの捕獲は先史時代から続き、近代以前の捕獲数は持続可能なレベルだった。明治21年(1888)の時点でも西表島から奄美大島の範囲に広く分布し観察例も多かった。しかし、八重山諸島では明治20年代末から同40年代始めに(1890-1910年頃)多いときには年間20頭を越える捕獲が続き、個体群は明治末年までに相当程度縮小した。沖縄本島周辺でも各郡に分布していたが、明治35-39年(1902-1906)に年間10頭前後捕獲された後、同43年以降の年間捕獲数は本島南端部で幼獣1頭程度の捕獲に縮小した。宮古諸島での経過の詳細は不明だが、大正2年(1913)を最後に捕獲がなくなった。八重山諸島では同3年(1914)、沖縄本島周辺でも同5年(1916)を最後に捕獲記録は途絶え、沖縄県のジュゴン個体群は、第二次世界大戦を待たず大正時代始め(1910年代中頃)までに各地で僅少となり、ジュゴン漁は廃止された。
当時は沿岸部での大規模開発や大量の定置網の設置はなく、浅海の環境破壊を引き起こした自然災害も知られていないことから、沖縄県のジュゴン個体群の減少要因は、明治27-37年(1894-1904)の11年間に少なくとも170頭、明治27年~大正5年(1894-1916)の23年間に推定で最低300頭前後を捕獲した伝統的漁業によることが大きいと推測される。(名護博物館紀要「あじまぁ」11号掲載(2003))
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来週の火曜日、9月9日は、「集団自決訴訟」の第二回控訴審が大阪高等裁判所で行われる。
裁判の前になると、またぞろこのような「場外乱闘」を新聞が報じる。
体験者の苦悩描く 「集団自決」題材の...(2008.9.5)
体験者の苦悩描く 「集団自決」題材の「海の一座」2008年9月5日
「集団自決」を取り上げた「海の一座」の一場面=豊島区の小劇場・てあとるらぽう
【東京】沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)の悲劇を取り上げた「海の一座」(作・謝名元慶福)の公演が3日から東京都豊島区の小劇場「てあとるらぽう」で始まった。7日まで。
沖縄の島々を回る旅芸人の玉城朝晶が「集団自決」が起きた島を40年ぶりに訪れ、「集団自決」に直面した自らの戦争体験を娘の晶子と劇団員の鈴木に明かす。劇中劇を織り交ぜながら、戦後を生き延びた玉城の苦悩を描く。
1984年の文化座による初演にも出演した伊藤勉さん、青田いずみさんが24年ぶりの再演に挑み、落合祐介さんが若い鈴木役を演じた。
作者の謝名元さんは「若いメンバーが集団自決の背景にある教育や天皇制の問題に取り組み、舞台を作ってくれた。重たいテーマを新しい観客に投げ掛け、共有できることは素晴らしい。作品を書いたわたしもうれしい」と語っていた。
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集団自決は沖縄だけの専売ではない。
南樺太の集団自決を知るものは少ない。
この人たちは 「軍の命令」と、責任転嫁しない。
霧の火:生命線の通信守った交換手 終戦の南樺太、集団自決題材に 25日、日テレ系 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします |