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自分が書いたブログとほぼ同じ論旨のコラム等が全国紙に載ると、ブロガー冥利につきると、一人密かに快哉を叫ぶことがある。
二日前の当日記でペシャワール会中村代表を批判した。
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マスコミによって神格化された人物をマスコミを通じて批判するのは苦しいのだろうか。
【断 大月隆寛】伊藤さんの「義」と「善意」
2008.9.4 02:44
ボランティア、なんて呼ぶから心得違いも出る。かつては「義勇兵」と訳されていました。「義」に勇む。いい表現じゃないですか。こういう翻訳を可能にした明治時代の日本人ってのは、まっとうな国際感覚してたんだなあ、と思います。
義勇兵なんだからそりゃ危ない。いくら憲法9条を日夜勤行、信心深く唱えたところで、世界はそんなこと知ったこっちゃない。死ぬことだってある。ましてや、渡航危険度世界トップクラスのアフガン。そんな土地であえて義勇兵として長年活動してきた中、今回遭難した伊藤和也さんは、彼の「義」に殉じたと言えましょう。農業技術の指導をしていた由。属していた団体はもともと医療活動から始まったNGO。「平和憲法」に信を置いた「義」によるボランティアだからこそ地元の人々の「信頼」を得ていた、それはある程度事実でしょうし、何より、その行為に向かわせるものはひとまず「善意」、ではありましょう。
ならばなおのこと、そのボランティア=義勇兵の名にふさわしい程度の軍事的な知識や訓練を施してから送り出す、そんな選択肢は全くなかったのでしょうか? 丸腰の「善意」と、地元民との「信頼」だけで身を守れると信じるのはご自由ですが、「義」と「善意」だけで同胞をこのいまだろくでもない世界にほうり出す、そのことに対する責任感の所在ということになると、はて、どうもよく見えてきません。
「アフガニスタンにもその国民にも今回の事件についての糾弾はしない」と、当のNGO幹部は海外メディアの前で英語でタンカを切ってみせました。その表情に、紋切り型な外務官僚の答弁などとまた別の意味での、「善意」で人を死地に追いやる立場の「いやな感じ」を抱いたのは、さて、あたしだけでしょうか。(札幌国際大学教授)
◇
>丸腰の「善意」と、地元民との「信頼」だけで身を守れると信じるのはご自由ですが、「義」と「善意」だけで同胞をこのいまだろくでもない世界にほうり出す
良くぞ言ってくれた!
いろんな賞を受けてカリスマ化した中村医師や「ペシャワール会」は、左翼マスコミの間では批判を許されない存在で、左翼の巣窟日本ジャーナリスト会議から表彰を受けたくらいだ。
日本ジャーナリスト会議は、VAWW-NETジャパン も同じように表彰しているくらいだから、同会議から受賞したことがサヨク判別のリトマス試験紙にもなるくらいだ。
沖縄では県自ら沖縄平和賞で表彰しており、サヨク新聞がこの通りの騒ぎようだ。↓
>「善意」で人を死地に追いやる立場の「いやな感じ」を抱いたのは、さて、あたしだけでしょうか
確かに中村医師は伊藤さんの死に悲しみを表明しているが、犯人のテロリストに対する怒りは感じ取れない。http://mainichi.jp/area/shizuoka/news/20080902ddl
k22040177000c.html
このお方、やはり、ボランティアは九条を信じて平和的に行えば、どんな危険な地域でも安全は確保できると思っているようだ。
⇒講演:ペシャワール会・中村医師「平和的に国際貢献を」--九条の会・七尾 /石川
【おまけ】
アメリカの兵役制度についてのウンチク。
アメリカでは徴兵のことをドラフトと言う。
だが、現在のアメリカに徴兵制(ドラフト)は無い。
イラクでの多くの戦死者を出しているアメリカ軍のの兵役は徴兵制ではなく、
志願兵でまかなっている。
志願兵はアメリカでは、ボランティア(volunteer)と言い、しばしば日本語の「義勇軍」と言う言葉に置き換えられる。
だが「義勇軍」という日本語の定義を誤ると歴史を見誤る。
スペイン戦争の折、ヘミングウェイ等の知識人が参加したことで知られるように、「義勇軍」とは 「戦争・事変の際に、人民が自発的に編成する戦闘部隊」のことを指す。
日本では1873年に国民皆兵を目指す徴兵令が出され、幾多の戦争を専ら徴兵で乗りきって来たので、志願兵とか傭兵、或いは義勇兵という言葉はあまり馴染みがない。
このウンチクは≪完結、「真珠湾」以前に日本と戦った米兵≫から抜粋し加筆したもの。
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